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中村陽子のコラム

2001年5月8日

人間にできること

 福岡正信さんは、25歳のある日、自然の完璧な設計図を観たらしい。人間が手を加えるところなど何もない、何をしても余計なこと、無駄、何もしないのが一番いい世界。それから彼は、今までの農業から、あれもしなくても良いのではないか、これもしなくても良いのではないか、と止めていった結果、不耕起、不施肥、無除草、無農薬となりました。これは近代農法から健康に悪そうなものを除いていく現代の自然農法とは根本的に違います。農薬を我慢するのではなく、必要としない、また除草剤を我慢するのではなく、草の働きを知って利用する。不耕起から始めると、自然に必要なものがなくなり、すべてが理にかなっているので無理なく良い流れに入ることができるのです。
 耕すと言う自然破壊から出発した文明とは、その起源から違うこの流れを仮に「耕さない文明」と呼ぶことにします。耕さない文明系の医学や教育はどういうものなのでしょうか。考えてみると私は既にいくつかの事例に会っています。


私に人間のしくみがいかに優れているかを見せてくれた人がいました。もう17年くらい前でしょうか。男と女の年子を持ったお母さんでした。下のお子さんが脳性マヒで生まれ、病院の先生から、厳しいリハビリを受ければ食事と排泄が一人でできるようになるといわれたそうです。その方が絶望の中にいたとき、ある人からこの子は普通になるよ、といわれ、その言葉にすべてをかけて、ただ寝かせておいたのです。すると3歳になったある日、その子は歩き始め、まったくその後は普通の子どもと変わりなく成長しました。私は幼稚園に通う元気なその子を見ながら、この奇跡は人間にとって当たり前の迫ヘなのではないかと、ふと考えました。きっとこの子は、お腹でするはずの生命数初ュ年分の進化を、お腹から出てきてからしたに違いない。赤ん坊は、自分の治し方をちゃんと知っていて、誰からも邪魔をされなかったので、せっせと治したんだ、と思いました。それにしても命の力は凄い、私の理解を超えていましたが、目の前に証拠があるので信じるしかありませんでした。それでも私がこのことを受け入れられたのは、子どもの頃からあまり熱心とはいえないけれど家で実行していた西式健康法で、「生まれたばかりの子どもの体を洗わずに10時間ほど放置すると、新生児黄疸も心臓の奇形も治ってしまう」と聞いていたからかも知れません。
 何もしないことをする、ということは人間には一番難しいことです。ところがこれが命の力や人間の迫ヘを最大限に引き出す方法なのかもしれません。耕さない文明系の科学と技術は、何をしないほうが良いのか、を徹底的に研究し、自然もこうするだろうということで、人間ができることを探すことかも知れません.
 耕さない文明系の教育も、少し想像することができます。子どもの育て返しはできないので、研究といってもなかなか難しいのですが、私は前述した勇気あるお母さんを先輩に持ったことで、自己責任のもと、無駄な心をかけず手も口も出さない子育てをしてみました。何も教えなかった三番目の子は、5歳になるまで自分の歳を聞かれても分かりませんでしたが、5歳になったある日、私のところに駆けてきて、「お母さん、人間って生まれて一年たつと一歳になるの。」と聞きました。このとき時間とか数を一度に理解したようです。自分で気がつくまで教えてもらわない幸せを、子どもたちにあげたいと思いました。最近になってこれがルメ[の「エミール」の教育と根本が同じであることが分かりました。
 暖かい地方の福岡さんが粘土団子という農業技術を考案したのに対し、寒い地方の研究をしていた岩澤さんは、苗にして植える方法を研究しました。
 耕さない固い田んぼに去年の株と株の間に溝を切って植えられる苗は、五葉になった成苗です。その苗は二葉半までは暖かい温室の中で育てられるのですが、それ以後はまだ三月の冷たい雪解け水の田んぼに出され、時間をかけてゆっくりと育てられます。寒さで上に伸びることを抑えられた苗は、太く丈夫になり、根と葉で作った栄養を運ぶ維管束という管をたくさん発達させるそうです。稲の場合この管の数だけ穂を出すので、既に苗の段階で、今年何侮謔黷驍ゥが決まるのだそうです。やはり一生を決めるのは三つ子の魂ですね。
 耕さない文明系の科学や技術は、何もしないことが基本で、人間が手を出すポイントの研究でしょう。たぶん教養と勤勉さが邪魔をするでしょうが、命の力の凄さや、自然や体のしくみの絶妙さに感心したりするのが好きな人には向いています。