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活動報告

2008年6月11日

6/7-8 『まよったら、田んぼ』その1

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6月7日(土)8日(日)の二日間、わたしは、めだかの学校の栃木路イベントに参加してきました。
妻、小学四年生になる娘と三歳の息子、そして友人とわたしの五人での参加です。
メンバーは、まったくといっていいほど農業経験がなく、しかも、めだかの学校にも初参加という「めだか若葉マーク」です。
ですから、農作業ができるのか、という不安もさることながら、どのような方々がいるのか、農家の方に、「そんな細い腕で田んぼに入れるか!」と一括されたら、とハラハラしていました。
そんな心配も、車窓から見えるビオトープに一気に吹き飛んでしまいました。
初めてなのに、なぜか懐かしいのです。きたはずのない場所なのに、以前一度立ち寄った気がするのです。
胸の奥の方がなぜかうずいて、おもわず「ふるさと」を口ずさみたくなるのです。
遠くに丘のような山、音が聞こえてきそうなせせらぎ、草に覆われた周囲にぽっかりと口をあけるように水辺が顔をのぞかせていました。まるで生き物たちをおいでおいでと招き入れているようでした。
このビオトープによって、生き物たちが戻ってきたというのです。
効率ばかりを考えていると、この水辺が一見、無駄のように思えますが、里山生態系という自然環境を作る重要な役割を果たすというのです。自然に何一つ無駄なものはないのです。
水口さんの田んぼには無数のアカガエルがいました。水口さんの田んぼで育ち、成長とともに、あのビオトープへとかえっていくというのです。そしてそのアカガエルを食する生物が次々に集まってきて、周囲の環境を保全していくというのです。
その全体的な視点に驚きました。ここがだめだから、ここを治療して、という視点ではなく、自然そのものの力を信頼しているのです。
しばらく見とれているわたしたちの前に日に焼けた人懐っこい笑顔の方が近寄ってきました。無農薬農業のエキスパートであり、一日目の場を提供してくださる水口さんでした。
気難しい、頑固な職人のような方をイメージしていたので、びっくりしてしまいました。
水口さんご一家のふるまいでお昼をごちそうになったのですが(ごちそうさまでした)どこにでもいる、気のいいおじさん、という感じでした。
ところが、田に入り、草とりをはじめたとたん、その手際のよさや体裁きに感激してしまいました。こちらは、これは稲か、稗かなんて必死で吟味しているわたしの近くを周囲の人と雑談しながら進んでいるのです。
それだけじゃありません、常に回りを見ていて、気さくに声をかけてくるのです。草取り初体験の小学生の娘にも「ありがとうね」と声をかけてくれているのです。素晴らしい人だと思いました。
わたしは、かねがね、冬田に水を入れる意図を理事長から聞いて感心していたのですが、他の農家さんがそれをしないのはなぜか不思議だったのです。
そんな素人丸出しの質問を水口さんにぶつけてみました。
「よさはわかるんだろうけど、水をくみ上げる電気代もばかにならないからね」
そういって、水口さんはとなりの田んぼを指差しました。
「優等生の田んぼだ」
そういって涼しそうに微笑んでいました。
見ると、規則正しく稲が並び、稲と稲の間には一本の草もありませんでした。今までそれが田んぼだと思っていました。それが当たり前だと思っていました。
何往復も田の草をとり、糸ミミズが乱舞するとろとろの土にふれていたたせいで、その整然さがなんとなく気味悪く感じられました。それは、なんとなくわたしがかって勤めていた学校という場所を思い出させました。
ここでも効率という言葉が頭に浮かびました。しかし、効率という言葉で安易に農薬を使う方法を否定できないことは、たった数時間の田の草取り体験でもわかります。
水口さんの信念や本物をもとめる良心を強く感じたのです。
きっと気苦労も軋轢もおありなのにそのことをちっとも見せない。プロフェッショナルの極意だな、と感心せずに入られませんでした。
「うちのお米を食べてもらう、消費者にたべていただく」、水口さんの口から何度もその言葉が出ていました。視点が他者にあるのです。
それは、自然の恩恵を知っている人の心からの言葉のように感じられました。
そういった水口さんの信念や人柄をしたい、その日も環境学を学ぶ学生、シュタイナー学校の先生や子どもたちが集まっていました。仕事の後、トマトをかじる姿は、祭りのような温かさと優しさを感じました。下の息子は、水口さんのお孫さんと意気投合し、ちゃっかり水口さんのお宅に上がりこんでしまいました。なかなか見つからなくって帰りの時間が押してしまいました。
しかし、たけのこをにぎって走り回る姿、かえるにおそるおそる人差し指をのばしている姿は「人間は自然の一部」ということを改めて思い出させてくれました。
そして、何よりもどの人からも『好き』が伝わってきました。
理事長や副理事長が、水辺にしゃがんで子どものように生き物を見ている。気がつくと中に入って土に手にしてながめている。「うほほほ」という笑い声さえ聞こえてきそうな陽気な目をしているのです。調査隊の林さんも目を離すと、どこかに行ってしまう子どものようにあっちの木で、こっちの草原で生き物を採集しているのです。
本物の人たちと過ごす時間は、こちらの本物魂を呼び覚ましてくれるのです。
そしてその力は、何も手を下していないように見える里山生態系がつくりだしてくれたのでしょう。
水口さん、ご家族の皆さん、ご縁の会った皆さん、そして素敵な水口さんの里山さん、本当にありがとうございました。