水の心は命を育む
水の心は「命を育む」、これは夢物語だと思ってもらっていいのですが、ある日、ある人が、水が泣いているような気がしたので、どうしてなのか聞いてみると、このごろ自分たちに人を癒す力がなくなっていることを悲しんでいました、でも水源や湧き水はまだきれいなんでしょう、と聞いてみると、それも力が落ちているといって嘆いていました。えっ、それで水は怒っていないの、どうして、汚したのは人間じゃない、それなのに、人を癒したいなんて思っているの、ワァー、と涙なみだ、ごめんなさい、ごめんなさい、・・・ありがとう、ありがとう、・・・
この事件は私の感性を変えてしまいました。この日から、不本意に塩素消毒されている水道水にも、農薬が溶け込んでいるであろう野菜の中の水にも、謝罪と感謝の気持ちが湧いてきてしまいます。薄い塩水で労をねぎらってから料理するようになりました。
先日、衝撃的な新聞記事を読みました。汚染で有名な湖で、リンや窒素が多いためにアオコが湧き、それが死んで酸化する時に、水の酸素が奪われるのですが、それを測定していた研究者の書いたものでした。夜中の2時過ぎ、急激に水の中の酸素が低下し始めると、湖の鯉が酸素を求めて魔黷セし、30分もすると静かになって、また30分ほどすると、何トンもの鯉がお腹を上にして浮き始めたそうです。酸素がなくなった水の塊が湖を流れと共に動き回り、生き物をみんな殺してしまったのです。命を育み、命を癒したい水の悲しみはどれほどだったでしょう。あまりの大きさに、真っ黒な感じる心を捨てた怪物になっていたかもしれません。
私も、ごめんなさいと何回言ってみたところで、謝りきれない気持ちで、半日、何をするにも涙が出てきて止まりません。 午後になって少し落ち着いて、どうしよう、何かしなければ、と考え出すと、そういえば最近会った人は、そのことで会ったわけではないのですが、皆、水を守る働きをしている人たちでした。ゴルフ場建設反対や、ダム建設反対を、成功させたり、失敗に終わったりしていました。彼らは、反対署名を住民の半数以上集めたのに、賛成派も同意書を半数以上集めて合法的に通すといった民主主義の不思議を味わい、活動のために地元の議員になったり、国土交通省の膨大な資料の中から、新しいダムが必要だと判断するための基準である、水の需要量卵ェの数字が急に意味もなく増やされているのを発見したり、本当に頭が下がる人たちでした。
でも私にはそんなこと出来ない。水源を守りたいのに、水に喜んでもらいたいのに。そうだ、私には、“メダカのがっこう”があるではないか、命を育む水の力をいっぱい引き出す田んぼと、上流から海までの水系が、水の力を殺すことなく豊かにつながっているかどうかを、教えてくれるメダカがいました。本当に、私はこの時、“メダカのがっこう”を何のために作ったのか、その意味がやっと分かったのです。
何が自然破壊なのか、何が環境保全なのか、やっとその中身が分かりました。ずばり、水の力を殺すことが自然破壊で、水の力を引き出すことが環境保全であり、地球が喜ぶことなのです。ダムや、護岸工事、基盤整備、近代農業や工業、都市生活は、水の力を殺し続けてきたのです。それでも僅かな自然が残っているのは、藻類や草や木、菌たちが水を蘇生させてきたからです。みんな、ありがとう。
私たち人間も、国土を富栄養にしないで、身土不二の生活をし、水と緑の力をお借りして、山や川や海の自然を復活させ、美しい国を作りましょう。どこまでもやさしい水の心を知ってしまったのですから。
P.S. メダカのがっこうは8月13日付でNPO法人になりました。 皆さま、ありがとうございます。