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中村陽子のコラム

2006年8月20日

あー面白かった!おらが町のあるもの探し

茂木に惚れ込んで5年、棚田復元を始めて4年、家を借りて3年。関係者との交渉はあるものの、好きになるともっと知りたくなるのが人情。ところが地元の人とも挨拶や世間話をする程度、実に上っ面しか知らないのだ。
また地元の人にとっても、都会からやってくる人が、いったい何に惹かれてやってきているのか、また地元の何を誇って語ったらいいのか、よく分からないでいるようだ。お互いに、相手の真のニーズや、自分の魅力がつかめていないのだ。
そこで、この7月、茂木にどんな宝物があるのか、地元の方たちとメダカのがっこうのメンバーと一緒に、探検をしてみた。


●「はじめまして・・・」手探りのお見合い
 「おーい、みんな、東京からやってくるメダカのがっこうと、おらが町の宝もの探しをするぞー」と茂木町の東元気会の人たちが声をかけてくれた。「何するって?」よく呑み込めないのに、何か楽しいことが始まりそうな予感がして、付き合いのいい地元を愛する人たちが20名ほど集まってきてくれた。 東京からも、茂木が大好きな人たちが15名ほど集まってきた。朝8時半、茂木東小学校跡体育館集合。「私は○○地区の○○です」「私は○○から来た○○です。」と初対面の挨拶もそこそこに、各地区のグループに分かれて、地元の参加者の家を訪ねたり、手がかりになりそうは所を探検に出かけた。
●本当のふれあいは時空を超えて
 ありがたい、茂木の節々の行事や祭りの今昔、昔に遡って里山の様子や暮らしなど、ゆっくりお話を聞かせてくれる。こんな企画でもなかったら、家宅侵入罪で捕まるところだ。
 茂木の多くの農家が、昔、葉タバコを作っていたこと、その後はコンニャクに移行したが、今や輸入自由化で価格が下がり、経済作物でなくなってしまったこと、葉タバコを背負って無理をしてきた体が今痛むこと、ユンボや大型重機がない時代、山を開拓し畑を広げる苦労を共にしながら、家を盛り立ててきた夫婦の歴史などなど。お話を伺っているうちに、何十年も遡った昔の里山の風景が目に浮かび、そこに暮らしていた人々の思いが伝わってきて、いつも目にしている景色が様変わりして心に映った。
●霊柩車、十字架のお地蔵さん、塩の道・・・

 「このお堂何ですか?」「下の世話にならないようにお願いする観音さまだよ」。見るとお札に何人も連名で名前が書かれている。全員が女性の名前だ。たまたま開いている扉の中を見るときれいに細工された長方形のおみこしがある。「このおみこしは今でも出るんですか?」「いや、これは死んだ人をみんなで担いで運んで土葬にしたんだよ。」「へぇー霊柩車だったんですか」
 本当に珍しいお地蔵さんを発見してきたグループもあった。右手に十字架、左手におむすびを持ったお地蔵さんだ。昔は3体あったそうだが1体盗まれてしまったので、今は公民館に保管されている。江戸時代の隠れキリシタンのものだろう。この時代、茂木に住む彼らが心の拠りどころにしていた様子を想像してみる。意識はぐっと茂木の過去に遡っていく。それにしてもキリスト教の伝道師達は、日本人の心をつかんで導くすごい人たちだ。どんな人だったのだろう。
 塩の道を発見してきたグループもいた。鎌倉時代から、関東の六十六箇所の一つに数えられてきたお寺もあった。四国のお遍路さんは今でも盛んなのに、こちらはすたれてしまったらしい。
 
●茂木に理想郷を作る現代の人たち発見
 茂木にも都市化の波が押し寄せて、若者が少なくなっている。でも茂木の自然、穏やかな山や豊かな湧き水に魅せられて、有機農業や、循環農業、自然を味方にする農業などをめざすステキな人たちが集まってきている。その農園や、家周りを取材してきたグループもいた。
 
地元のみんなが誇れば育つ、疎んずればすさみ、無関心なら消えてしまう。だから地元を愛する人たちで、あるものを見逃さず、宝もの探がしを始めよう!!