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中村陽子のコラム

2007年4月1日

いのちの田んぼを復活させる

 「何があったら人は幸せに生きていけるのだろうか」と真剣に考え始めたきっかけがあります。私事で恐縮ですが、長男が5年間登校拒否になり、そのとき命を支えるものについて、1から考えました。その間に、それまで気がつかずに持っていたエリート意識を捨てて、囚われない頭で考えてみました。その結果、塩と米と野草、そしてお互いの存在を認め合う信頼関係、これをみんな揃えて子どもの復活を待つことにしたのです。彼の弟や妹には、「お兄ちゃんは天才だから学校に行かなくていい」といって、我が家における長男の確固たる地位を確保しました。


 しばらくすると、母が原因不明の病気になりました。日本中から健康に良いといわれるものを集めましたが、何か釈然としません。「何でこんなにサプリメントが必要なのだろう。何か変だ。空気と水と土が健康なら、そこから収穫する作物がすべて健康の元ではないか、そのためには、日本の山や川や海や田畑が清らかであることが一番大切ではないか」などなどいろいろ考えました。
 よく探してみると、日本にはすでに自然の摂理に沿って農業をしている人、塩づくりをしている人、野草などの山の幸、海藻や魚などの海の幸を頂いて生きていける本当に教養のある人が、あちらこちらにいました。私はその人たちに会いに全国各地に出向き勉強しました。そして自分一人で面白い話を聞くのがもったいなくなり、毎月「海のミネラル研究会」を開き講師としてお招きして、みんなでお話を伺いました。塩のことも徹底的に調べました。
私の人生が順調だったら、命を支えるものについてあまり真剣に考えなかったかも知れません。問題が山積する現代は、命について考え行動を始めるチャンスがいっぱいです。そうこうしている内に、命あふれる田んぼに出会ったのです。この田んぼは冬の間から水を張り、人間はあまり耕さず、根っこやイトミミズなどに耕してもらいます。そうすると生物層が豊かな田んぼになり、絶滅危惧種も復活する環境がすぐに戻ってくることが分かりました。この命の田んぼを広げれば、日本の自然再生は一挙に進むと考え、NPO法人メダカのがっこうを始めました。それまで調べていた日本の自然海塩は、平成9年に専売法が解かれてから作る人がどんどん増えているので「海のミネラル研究会」のほうは事実上休止しました。とりあえず10年間は、後継者がいなくて危機的状態にある田んぼを、消費者の立場から守ることにし、しかも日本中の田んぼを生きものワンダーランドにしようという活動を始めました。
生きものが消えた「沈黙の田んぼ」
昔の田んぼを知っている人は、田んぼでたくさんの生きものたちを捕まえた覚えがあるでしょう。しかし、今日本の99%の田んぼは、生きものがほとんどいない「沈黙の田んぼ」です。環境問題のバイブルともいえる「沈黙の春」、アメリカでDDTという農薬を大量に使っていたら、ある年、春になっても鳥たちの声が聞こえなくたっていたという背筋が寒くなる状況を知らせてくれた本ですが、著者のレイチェル・カーソンは、自然の声に耳を傾ける感性を持っていたから、沈黙の春に気が付いたのです。ところがこれはアメリカの問題ではありません。私たち日本人は、田んぼの生きものたちの沈黙に、気が付く感性を失っているようです。私たち「メダカのがっこう」も2002年から田んぼの生きもの調査を始め、小さな生きものたちに目の焦点を合わせてみて、初めて日本のほとんどの田んぼが沈黙の田んぼであることに気がつきました。
田んぼの生きものたちがいなくなった理由
その理由は大きく3つあります。
1つ目は基盤整備といって、田んぼの水を都市の上下水道のように、用水をパイプラインで引き、水を抜くとき、暗渠排水といって、落差がある3面コンクリートの灰水路に落とすので、田んぼで増えた生き物たちも一度落ちたら戻ってこられないのです。
2つ目は、田んぼを乾かす農法が主流になったことです。今の日本の田んぼは、1年のうち3ヵ月半しか水が入っていません。日本の絶滅危惧種の半数を占める水辺の生きものたちにとっては、生きるのがとても厳しい環境です。
3つ目は、農薬や化学肥料の使用です。世界の農薬使用金額の55%は日本が使っています。また減農薬というと少し安心に聞こえますが、成分を減らすということで、強くて、効き目が長い成分を使うので、生態系に及ぼす影響は大きくなっているという研究もあります。
日本の四季がなくなりサバンナ化する恐れ

 もう少し寒くなると、日本のほとんどの田んぼはカラカラに乾き、農薬や化学肥料がしみこんだ土の下から毛細管現象で地表に上がって白い粉を吹き、塩害化、砂漠化の様相を呈します。その上、今田んぼは日本の自然にとって大切な山間地からどんどん放棄され、さらに水辺がなくなっています。トンボはどこに産卵し、カエルはどこで冬眠し、イトミミズはどこに住んだらいいのでしょう。気候も変わりつつあります。日本の美しい四季はなくなり、乾季や雨季がはっきりしてきます。しとしとと雨が降ることも少なくなり、生きものたちもドカッと雨が降るときだけ一挙に増えるサバンナ型になるでしょう。あぁ、四季の変化に恵まれた『美しい日本』はどこに行くのでしょう。
田んぼが再生するとき

 しかし、絶望することはありません。命の田んぼがあります。この田んぼが「耕さない・冬・水・田んぼ」です。田んぼは国土の7%、日本の環境の鍵を握るところです。環境にとって大切だといわれている干潟や湖沼を合わせても2%、あらためて人間が作った平らな浅い水溜りである田んぼの大きさ、先祖の働きのありがたさが分かります。この田んぼを藁を鋤きこまず、しかも冬も水を張ると、あっという間に絶滅危惧種の生きものたちが戻ってきます。冬・水・田んぼは2001年から始めたのですが、この年水を張った田んぼには、準絶滅危惧種のニホンアカガエルの卵塊が発見され、メダカが何万匹にも増え、イチョウウキゴケやサンショウモなどの絶滅寸前の植物も見つかりました。毎年6月には田んぼで育ったヤゴが羽化したくさんのトンボが飛び立ち、稲刈り後に水を張ると、田んぼに戻ってきて産卵するのです。冬水を張らないほとんどの田んぼでは、生きていけない生きものたちです。
人を元気にする生命力のあるお米

残念ながら、ほとんどの農家の人たちは、農薬で生きものたちを殺し、化学肥料を入れないと稲作りはできないと思い込んでいますが、田んぼの生きものたちを殺さずによくよく観察してみると、実はいろいろ役に立つ働きをしているのです。たとえば、イトミミズは田んぼに頭を突っ込み、米ぬかなどの有機物を食べながら糞を吹き上げ土作りをしています。田んぼの水の中は人間の腸のようなもの、イトミミズはさしずめ小腸の役目をします。イトミミズのおなかを通過した米ぬかは不思議と短期間で稲が吸収できる栄養に変わっているのです。イトミミズがいなければ、田んぼに撒いた米ぬかが稲の栄養になるまでに1年くらいかかってしまうのですから驚きです。アリストテレスが「ミミズは地球の腸だ」といったそうですがやはり本質を見極めていたのですね。またイトミミズがつくるトロトロ層は雑草の種を埋め込み、草を抑えます。
そのほかにもカエルやクモは害虫から稲を守ってくれます。彼らの餌になるのがユスリカ、こちらも冬の間から水を張っているとユスリカの幼虫が増えるので、カエルやクモにとどまらず、田んぼに大きな生態系ができます。この方法だと生きものと一緒に生きる力が詰まったお米が作れます。森下先生もこのお米の生命力が高いので、患者さんたちに勧めていらっしゃいます。
農家こそ「絶滅危惧種」
「こんないい方法が何で広がらないの?」とよく質問されます。その理由は主に2つ、①この農法のお米は農協が買い取らないので、販路を自分で見つけなければならないことと、②田の草取りが大変だからです。ですから、私たちが出来ることは、素晴らしい農家がつぶれてしまわないように、周辺の農家や後継者にアピールできるくらいの価格で直接お米を買って応援することなのです。この田んぼの生きもの調査を始めて分かったこと、それは絶滅しそうなのはメダカやトキではなく農家(特に後継者)だということです。ですから、この方法で田んぼを作ってくれる農家を応援すると状況は一気に変わります。
 経済社会では、なんでもお金に換算しますが、農家が里山の自然を保全してくれている作業は37兆円、すべたがただ働きです。田んぼは単にお米の生産場所ではなく、美しい日本の自然を守っているところです。そこで私たち「メダカのがっこう」は、この田んぼのお米を命の田んぼをつくってくれている農家から日本の国土保全費を加えた価格で買うことにしています。
田んぼ支える日本の自然といのち
一昨年から、棚田をほんの少し復活してみて、分かりました。地球を平らにすることの大変さ、水を溜めたり抜いたりできる水環境の整備の大変さ、自然界には平らなところはどこにもないのです。田んぼは人間が作った浅い水溜り、しかも同じ水深なのです。日本の隅々まで田んぼを作ってくださったご先祖様の苦労を垣間見ました。これをそう簡単に放置しては申し訳ありません。田んぼはわが瑞穂の国、日本の宝だったのです。
それからお米を主食に選んだご先祖様の先見の明にも脱帽します。稲という植物は、単位面積あたりの収穫量がとても多い植物です。一粒万倍という言葉のとおり、一粒のお米を種として蒔くと一万粒のお米になります。麦は一粒百倍といわれていますから、どれほど多くの人口を養うのに適した主食かが分かります。それからお米を食べている人の細胞は緻密なので怪我や病気が治りやすいと聞きます。
生きる力を養う知恵
日本の山や川や田畑や海の環境が壊れてしまった一番の理由は、都市部に住んでいる市民が塩のこと、土のこと、種のこと、田んぼのことを全く知らないからです。お金や物、管理効率や生産コストなどに価値基準を置いていて、命を支えるものに関心がないからです。私がそうでした。でも愛する人が病気になったり、心が傷ついて不登校になったおかげさまで、命について勉強し始めました。米と塩と少々の野草と信頼があれば、人間は健康で幸せに生きていけます。海のミネラルがバランスよく入った日本の自然海塩と、命の田んぼで穫れたお米を未精白で食べれるのが、日本人の食の基本です。そこに自ら種を落とし命をつないでいる逞しい野草の知恵が加われば、地面が八百屋、地面が薬屋、かなり生きる力を養うことができます。次回の命を支えるものは野草を中心にお話します