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中村陽子のコラム

2002年4月15日

お母さんのススメ

 お母さんほどステキな立場はありません。「お母さんってお得よねー」と言った流奈君のお母さんに全く同感です。
 何かの事情でお母さんになりたくてもなれない人には、ごめんなさい。
 冒険家が旅を語らずにはいられないように、すばらしい人に会ったら黙ってはいられないように、私の人生で一番楽しかった事を話さずに入られないのです。それはお母さんになれたことです。


 子供がまだ小さい頃、おでこが晴れ渡っている子が信頼しきった顔を見せてくれますが、ある時お父さんやおばあちゃんに向けている顔を見ていて思いました。あっ、私に向けている顔が一番可愛いいって。その顔を見せてあげたい、とも思いました。お母さんってホントにお得です。だから子供のためなら何でもできるのですね。
 ある夏の東北新幹線で、家族で東京に帰るとき、一つだけ指定席がとれなくて、私は3番目の子の隣がたまたま空いていたので、人が来るまでと思って座りました。どこも満員、この席の人が乗ってくるのも時間の問題だと覚悟していたら、隣の子が、「私はマーフィーの法則を実行するから、私がこの席がずっと空いていると信じられたら、お母さんは座っていられるから安心して」と言い出しました。そして一心にイマジネーションに集中し始めたのです。そのとき、隣の私に、子供の真心と言うか、あまりにも純な魂が感じられて、凄いものに触れてしまったと思いました。彼女のイメージ通り、その席の人は来ませんでした。
 毎日お日様のような笑顔と、寝顔を見られる幸せ。スズメの鉄棒(電線)目指して電信柱をどこまでも登っていったり、僕は町田ライオン小学校(第四小学校)に行くんだと信じていたり、急な坂を三輪車で登りながら「坂が僕に力をくれるんだ」と言ったり、珠玉の言葉が聞ける幸せ。土が味わいたくて首まで土に埋まって私を呼んだり、霧吹きにおしっこを入れて葉っぱや虫にかけて実験したり、びっくりさせてくれた幸せ。1日とて飽きたことはありません。でもどんな凄いいたずらも一回しかしませんでした。最後までやり切って満足したからでしょう。
 私は子供たちを愛していますが、私が与えたものよりずっとたくさんの愛と真心を子供たちからもらっています。とてもかないません。次男が小学校のとき、学校で吐いてしまい、シャツを借りて帰ってきました。そのとき、私が超多忙で1週間洗濯が出来ずにいた上、借りてきたことさえ忘れていました。学校で催促された次男は、お母さんが悪いのではなく、自分が出すのを忘れていたのだ(これはウメA悪いのは私)、と言って謝ったそうです。その話を面談で先生から聞いたとき、次男の優しさに涙し、本当に真似が出来ない人だと尊敬しました。
 長女が幼稚園前のこと、今日は一日家にいられると、朝からお手洗いの掃除を本格的にやっていたら、彼女が嬉しそうに「ありがとう、ありがとう、お母さん、お手洗いきれいにしてくれて」と言って、お手洗いの前の廊下をピョンピョンと跳ねています。えっつ、子供は神の子、本当にそう、なんて凄い。その後大きくなってからも家の廊下で会うと、時々、「お母さん、いてくれてありがとう」、と言われ、その度にびっくりしました。私は凄い人たちに囲まれているのだなーって。
 私のエリート意識と常識の枠を壊してくれたのは長男です。自分が潰されてしまう学校に行くことを拒否しました。親が喜ばないことをするのは、かなり苦しいはず、でも彼は自分の命の声に従ってくれたのです。私に遠慮してくれなくて、本当に良かった。私は、人間が幸せに生きていくのに何が大切なのか、一から考えました。水と空気と田んぼと畑、そう日本の自然と、人を称え大切にすること、愛と信頼かな。これを用意しよう(とんでもなく大変だけど)、そしてこの子が咲くまでいつまでも見ていよう、と心に決めました。これは「メダカのがっこう」の原動力になっています。
 「あなたは天才だから、学校へ行かなくてもいい。40歳までお小遣い上げるから、好きなことしてなさい。」教育家が聞いたら呆れるようなことを言うバカな親です。でも私は、子供の命も自分の命も信じられてしかたがないのです。先日夫が、「お前は不耕起栽培の子育てをしてきたんだね。」と言いました。不耕起栽培は、丈夫な成苗を作って田植えをしてからは、苗が目立たなくてどんなに心配でも、水管理だけして待っているしかありません。でも必ずバリバリと野生化して生長する日が来ます。長男はもうすぐ社会人、友だちや彼女もいて自分の命を生きています。超お得なお母さん業、オススメします。