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中村陽子のコラム

2006年4月23日

よーく考えよー。田んぼは国の宝だよーん。

今大切なこと
 「よーく考えよーーおかねはだいじだよー・・・」と流れるCM。確かに都会に住んでいると、どこへ行くにも何をするにもお財布を開けてお金を払わなければならない関所だらけです。お金さえあれば、何でもできると思ってしまうのもうなづけます。しかし今のお金は金(鉱物としてのゴールド)に換金することもできず、ただの紙切れやコイン、天変地異がおきたり、経済が破綻したときに、到底頼りになるとは思えません。よーく考えてみると、サラリーの語源、塩がお給料だった地域もあるし、年貢や武士のように、米が給料だった時代が日本にもありました。日本では神棚にお供えするのも水と塩とお米は必須です。そのお塩やお米は今どうなっているのでしょう。


塩の現状
 日本の塩田は昭和47年に廃止され、広大な平地は工業地帯になりました。塩は工業用を含め、国内需要の80%が輸入です。食用塩についても、日本の海水を使ってイオン交換膜法で生産されているものと、輸入原塩を溶解再結晶させたものとがあって、こちらも自給できていません。塩田ではなく天候に左右されずに工場で生産できるイオン交換膜法は日本が世界に誇る技術で、ありがたいと感謝すべきなのですが、この塩は塩化ナトリウム99.6%以上の純粋なもので、賛否両論ある中、日本の伝統食である発酵、醸造に使う塩としては微量元素が足らないので、菌の働きにいいとは思えません。また昭和47年から平成9年まで、厳しい専売法が敷かれ、自然海塩を作ることが許されない25年余りの月日がありました。国民に選択の自由を与えない、という日本の国の悪いところが発揮されてしまいました。平成9年に専売法が解かれ、自由に塩が作れるようになってから、全国各地でさまざまな方法で、自然海塩が造られるようになりましたが、これは厳しい専売法下でも、研究と称して工夫し造り続けた少数の人たちと、それを支えた消費者たちのおかげです。それでも日本の自然海塩は工業生産と違って大量生産できないので、日本の食用塩全体の1%以下の生産量です。100人に一人しか食べられない計算ですね。全国各地で地元の塩作りをし、海をきれいに守り、自給率を上げたいものです。
種にも選択の自由がない!
 大切な話なので脱線しますが、これは種の世界でも今まさに直面している問題です。新潟では、新潟産コシヒカリのブランドを守るため、BLコシヒカリという品種以外の種を使ったお米を新潟コシヒカリと認めないという方針を出しました。佐渡でも従来のコシヒカリの種を使ってお米を作っても新潟コシヒカリと認めてもらいないということで、メダカのがっこうのありがとう田んぼ以外の農家のほとんどが従いました。選択の自由を与えない、管理効率優先の行政やJA(農協)、あー、ここにも日本の悪い癖が出てしまいました。でも考えてください。
どうしてメダカのがっこうの花まる農家の人たちが、JAに従わない勇気を持ったのか、それは、何があっても田んぼを買ってくれている消費者がいるからです。みなさん、だからもっともっとこの田んぼを買ってください!!
お米の事情
 お米はもっと深刻です。戦後パン給食の成果が上がり、パスタなどの小麦食の消費がどんどん増え、お米の消費が減りました。そこで減反政策が始まり、日本の自然を守っている山間地の田んぼからどんどん放置田が広がりました。昔の人は、田んぼを兄弟で分けることも許さず、「田分けもの」は「たわけもの」、愚かなことだと戒めていたのに、国を挙げて「たわけもの」以上の愚かな方向に走っています。でも私は国際分業・自由貿易の立場をとり、外圧に弱い国に何も期待してはいけないと思います。この国の田んぼは、私たちが賢い消費者となり、環境を取り戻してくれる田んぼを復活させ守りましょう。
私たちの先祖が、米を主食に選んだことは本当にすごいことなのです。麦は一粒百倍、米は一粒万倍といって、稲は最も生産性が高く、しかも九州から北海道まで育つたくましい植物です。だから私たちの先祖は平野から山奥まで田んぼを作り続けたのです。しかも命をつなぐ種の問題についても、米だけはいまだにF1(エフワン)という1代限りの種はありません。私たちメダカのがっこうが太鼓判を押す「ありがとう田んぼ」のお米を買って食べてくださったり、棚田復元に協力してくださったり、一生懸命考えて出した有効な提案に乗ってくだされば、まだまだ間に合います。
よーく考えよーー田んぼは国の宝だよー
 私事で恐縮ですが、私は長男が5年間不登校になり、そのとき人が幸せに生きるのに何が必要なのか、1から考えました。その結論が、米と塩を野草とお互いの存在を認め合う関係で、これをみんなそろえて、天才(親バカの極致ですが)の復活を待つことにしたのです。そういう目で探してみると、日本にはまだ鍋釜持たず山の幸、海の幸を頂いて生きていける本当に教養がある人がいました。そうこうしているうちに命あふれる田んぼに出会ったのです。棚田をほんの少し復活してみて分かりました。地球を平らにすることの大変さ、水の道を整えることの大変さ、ご先祖様の苦労、これをそう簡単に放置してよい訳はありません。田んぼは我が瑞穂の国の宝だったのです。 
田んぼの力で「男」
 田んぼの大切さが分かると、とたんにかっこよく見える男性が変わってきます。私たち女性が逆立ちしてもできない仕事を、どんどんやってくれる頼もしい男性たちは本当にかっこいいです。その横で火を起こし、おいしいご飯を炊いて、トン汁を作り、お新香を切って用意することが、あふれる感謝の気持ちで自然にできます。もっとおいしいご飯をつくりたい!もっと体にいい食べ方を勉強しよう!などなど、女性としての感性も磨かれます。
制限時間を教えてくれるのが癌
メダカのがっこうの大切な仲間の中には、癌になり人生観が変わった人、今癌が発見された人などがいて、私もいろいろ考えました。何を教えてくれているのかしら?と。すると理事の一人が、制限時間があるということを教えているのではないか、というのです。それは当たっていると思いました。たくさんの生きものが生きていける環境も、私たちの健康にも、制限時間があるから、急いだほうがいいということなのだと思います。メダカのがっこうに卒業式を定めたのも、良い判断だったようです。今メダカのがっこうは、「消費者みんなが疎開地(田舎)に田んぼを持とう」「日本人ならお米作りを必修にしよう」「小学校では農家の田んぼをもち、5年生が学校みんなのお米を作ろう」など、具体的な提案をしています。
自分の限られた時間をどんなことで忙しくするのかが思案のしどころ。忙しさの中身をよーく考えて見ませんか?