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中村陽子のコラム

2002年2月15日

大切にしたい

 人は人から大切にされたい。特に自分の愛する人から大切にされないと、とてもさびしい、辛い、我慢していると病気になる、と私は思っています。父が病気になりました。思い当たる節があります。
 私の長男は数年間学校に行かなかったのですが、とてもいい子で天才で、落ちこぼれなんてとんでもないし、長女はどんなに無愛想でも黙々と葉っぱを食べる芋虫みたいに可愛く見えて、世間に出て苦労するなんてとても思えないし、私は、父から、「お前につける薬はない」と言われるほどの親ばかなのです。そう、それに私は、「おてんと様と親ばかの太陽があれば子は育つ」というのが持論なのです。良い子の時だけ良い子だなんて、とんでもない、私は父に心を閉ざしていました。


 母親の心はそのまま子どもに反映しますから、本当に素直で優しくていい子たちなのに、父にはなつきませんでした。すると父はどうなったでしょう。昔話に、くしゃみをしたら即座に「お大事に」と言わないと牢屋に入れてしまう王様がいましたよね。この王様は、とてもさびしかったのでしょう。父も形から求めてきました。私が怠っているしつけを自分がしよう、とかなり努力していました。しかし子どもたちは純粋で、心が伴っていないことは出来ません。したとしても本当にしないほうがいいくらいおざなりで。悪いのは私です。どちらにも可哀想なことをしてしまいました。私が最も私らしくない部分、心の中のしこり、いつかは溶かしたいとずっと思っていました。
 その時は突然やってきました。暮れから腰が痛くて横になって眠れなかった父の病名は、悪性リンパ腫、進行度3、悪性度3、放って置けばあと1ヵ月半から2ヶ月の命、切ることも、放射線も効きません、抗がん剤治療が唯一の方法です、と説明されました。父も隣で静かに聞いています。この期に及んでも社会的立場にたって正しい判断をしようと無理をしています。抗がん剤治療の危険性を順々と担当医が説明します。生命力を打ちのめす作用に身震いします。かけがえのない人にこんな恐ろしいことは出来ない、涙がひとりでに溢れてきて、「それは出来ません、それは出来ません」と言っていました。
 友人から、たくさんの方法とみんなの気と真心が集まってきます。呼吸法、気功、手かざし、手当て、手技、AHCC、プロ|リス、アイ鮫の肝油、酵素、ミネラル、田七エキス、食事療法。
 ある人が、黒炒り玄米のエキスが、どんな難病からも人を生還させる、と教えてくれました。それも七輪で炭火を起こし、土鍋で娘が愛情を込めて右回りにかき混ぜながら何時間もかけて玄米を炒り、炭の一歩手前までするというものです。さっそく作ってみました。なるほど、娘の愛情か、昔話の主人公になったみたいでもあり、命の秘密に触れたような気持ちがしました。
 数ヶ月前から習い始めた手技も、やってみました。手の技、人間の手はこんなにも人を大切に扱うことが出来るのか、と思う技です。人から大切にされる気持ちよさ、愛され包まれているという幸福感を、幸せなことに私は初めての手技で味わいました。この気持ちを私の好きな人たちにも分けてあげたい、という思いで始めたのです。
 父の曲がらなくなった足のある点に手を当てると、そこは鉄板の様に固くなっていました。その硬結と呼ばれるものに触れると、みるみる解けていって足がスーと伸びたのです。不思議、これが手技というものなのか。
 酵素と生姜のシップはかなり気持ちが良さそうでした。ビワの葉温灸はお腹の真まで熱が届き、放してからも暖め続けてくれます。これが手当てというものなのですね。
 この病気は私の問題かも、という気がしてきました。実は私はこのところ、友人と「いのちの学校」を始めようと思っていたのですが、思い立ってから、人の輝きを奪ってしまう組織の仕組みや、どこどこまでも不思議な男と女の関係や、命について次から次へと課題がやってきます。「いのちの学校」は既に実在していたし、その第一期生は、実にこの私なのでした。
 抗がん剤治療に父の心が揺れ動いている中、私は絶対に承諾できない|を医師団に伝えてきた帰り道のこと、空を見上げると、冬の星座が輝いていました。私が歩くとついてくる、私との位置は変わらない、ふと、「私は私でここにいる、お前はお前でそこにいろ」、と星に言われたような気がしました。私は自分の位置に立っているみたい、私これでいいみたい、星に励まされて自信が湧いてきました。とても疲れた一日だったのに、星も大気も優しかった。誰でも自分の位置だと輝けます。
 もっともっと人を大切にしたい、愛をこめて。