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中村陽子のコラム

2002年6月10日

怖れと悔いのない生き方

 私は学生時代、「飢餓輸出」と言う不思議な言葉に出合い、貧困や飢餓の国「を知りました。自分の国の食糧が足らないのに、農作物を輸出しなければならなくなる、また自分の利権にしがみつく政治家や役人の存在を知りました。そこで私は、国民のことを考えない政府や、世界の金融資本や、穀物メジャーに影響されずに生きられる人間は誰かと考えました。それは自給自足が出来る独立自営農民、自然と直接繋がっている自立した人間たちだと考えました。


 せっかくこの世に生まれて来たのだから、誰にも脅迫されず、何物も恐れないで、ただ自然のしくみの精妙さに感動しながら、自由に生きたい、という希望が私にはありました。結婚して3人の子供に恵まれましたが、ある日、長男が学校に行かなくなりました。両親が心配する、担任の先生が記憶力が良い若い時に勉強することの大切さを説く、カウンセラーの先生が私の問題点を分析する、私はこの人たちが|かったです。何故|いのかと考え、原因と思われる自分のエリート意識と常識の枠を壊しましたが、尚|さが残ったので、さらに原因を考えました。それは私が、今の社会が決めたルートでしか、生きる糧を得られないと思っているからでした。もっと幅広い生き方を知りたいと思い、“登校拒否の子供達の進路を考える研究会”の事務局長になりました。多方面にわたる復帰ルートがわかり、心にゆとりは出来ました。しかし、生きる根源を知り恐|心をなくしたい私には、まだやりたいことがありました。
 私は海の幸、山の幸、直接自然の恵みから生きる糧を頂く方法を知りたいのです。探してみると、今の日本でも鍋釜持たずに自然の野山を歩いて生きていける人、本当の教養に溢れている魅力的な人がいました。お百姓さんとか、生きる知恵を百も千も持っているス<pーマンたちです。そういう人のお話が聞きたくて、海のミネラル研究会を作り、月一回講演会を開きました。そして、人間が幸せに生きるのに必要なこと、一から考えました。水と空気と田んぼと草と塩、そして人から否定されない愛と信頼の人間関係、という結論に達しました。気がついてみると、私の恐|心はかなり消えていました。
 命の視点とクリアーな意識、この曇りなき目は私が心から尊敬する“風の谷のナウシカ”の目です。人間が住めない星にしてしまった未来の地球で、彼女はその澄んだ目と明晰な頭脳で、皆が恐れ憎んでいる毒を吐き出すカビの森、腐海が実は人間は汚してしまった地球を浄化しているということを一人で突き止め、感謝の涙を流したのです。
 そういう目でこの世の中を見まわしてみると、一番大切なもの、水や空気を犠牲にして、経済発展を優先し、地球の自然は瀕死の状態です。地球の痛みに涙することしばし、36歳のある日、「私を地球の手足にしてください、身勝手な人間をたくさん乗せて、それでも生かしてくれている地球さんのして欲しいことを代わりにやります。」とお願いしました。
 8年ほど前、岩澤信夫さんが開発した不耕起栽|の存在を知り、探していたものに出合ったと思いました。この農法は実に理にかなった方法です。人間は耕さないけれど、イネの根っこやミミズなどが耕すから自然耕、第一耕さないと言うことは、地球の分解者である菌の棲家を壊さないということ、一番小さな命から大切にすると、自然の生態系が復活するのです。実際この田んぼに、絶滅危惧種になったメダカを放したら、一夏で数万匹にまで増えたのです。この田んぼを日本中に広げたいと、NPO法人“メダカのがっこう”は生まれました。
 この田んぼに出合うまで、人間の行為はすべて自然を破壊することばかり、人間がいなくなったら、地球の生き物の大部分は喜ぶだろう、などととても悲観的になっていました。ところが自然の摂理に従って人間が自然に手を入れることで、自然の力が発揮され、もっと多くの生き物たちが命を謳歌できるのです。すばらしい!地球が喜こんでくれそうです。
 私は岩澤さんに同士を感じています。「日本の土と水を殺してしまったのは、私たち農業者の責任です。これを回復させる方法を完成させて次の世代に渡すまで、私は死ねません。」と彼は言います。誰も一人で責任を感じる必要はない、と思いますよね。でも私もずっと考えてきました。人類全体の責任を取るのはイエス・キリストだけではありません。自分も含め世界のどこで誰が環境汚染をしたとしても、人間はみんな自分の命でその責任をとらなければならないのです。今こんないい方法に出合った私たちは、地球の自然復元が可狽ナす。もし力及ばず地球が人の住めない星になってしまったとしたら、未来のナウシカに顔向けできません。私は頑張りました、なんて言い訳は通らないのです。
 |れと悔いのない生き方、この幸せをご一緒に。