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中村陽子のコラム

1999年6月27日

生きる感性

江戸時代末期に起きた天保の大飢饉を察知し、小田原藩の大難を小難にしたのは、二宮尊徳の味覚だったと言う有名な話があります。ちょうど田植えが終わったころ、彼が初ナスの漬物を食べていると、秋茄子の陰の味がしました。すぐさま田んぼを見て回ると稲の根が伸びておらず、野山の草木は秋の準備をしているし、秋のせみであるツクツクボウシが鳴いていました。今年はもう夏がこないと察知した彼は、早速小田原藩に進言、稗、粟、蕎麦を植えたものは年貢を払わなくても良いと言う思い切った政策をとり、徹底させたのです。その年は天保の大飢饉で大変な餓死者が各地に出たにもかかわらず、小田原藩は何とかしのぐことが出来ました。(6月号の赤峰さんのなずな新聞と、6月12日研究会講師の廣野さんが、同時にこのお話を取り上げています)


自然からのサインを読み取る人間の感性は凄いですね。都会にすむ私達は「生きる」と言うことを殆どしていません。水も、エネルギーも食糧も全て外注していますし、生きていくのに必要な感性は錆付いてしまっています。でも素晴らしい感性を持った人々は、現代の日本にもたくさんいます。そして私達も間違いなく持っています。ではどうしたら取り戻せるでしょうか。
それは根本的な生命観と自分で確かめてみる探求心だと思います。この世界に無駄な命はないはず、みんな訳あって命を頂いているはずなのに、自分にとってこの不都合に見える菌や虫や草は何の用事があるのだろう、と言う気持ちでずっと畑を見ていると、ある日事件が起こり分かる日が来る。二枚の畑に同じように白菜を植えたのに一枚の畑だけに虫がついたのは、その畑の隅に未熟堆肥が積んであったからだと推理した赤峰さんは、四週間白菜が食い尽くされるのをじっと見ていて、アンモニア臭の届く範囲でぴたっと虫が止まったことから虫は人間が食べてはいけない野菜を食べてくれる神虫だと発見しました。

また、ルイ・ケルブランの生体内原子転換の例、スギナが珪酸カルシウムを作り酸性土壌を改良していることを確かめてみようとした廣野さんは、スギナを数メートル掘り出してみて、地表近くで土筆とスギナに枝分かれしている様子や、土筆とまだ若いスギナの体は酸性で、成長するにしたがってアルカリ性になっていく様子を発見しました。また廣野さんは虫が益虫だと判るまでに28年かかったそうです。しかし例え何年かかろうとも、本当に自分で発見したことが一つあれば、後はどんどんひも解けて行くのです。
二宮尊徳の感性は凄いです。でも当時はその彼でも、草や虫や菌の役割には気が付きませんでした。彼と同じ程度の感性と地球丸ごとの生命感を持って現代を生きている人達は、もっと凄い発見をどんどんしています。知識に捕らわれずに、自分で本当かどうか確かめるまで、知っていると思わずにやってみること、こうして生きる感性を磨きませんか、ご一緒に。