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中村陽子のコラム

2003年3月12日

稲を育てる気持

 「ふつう稲を生産するって言いますけど、生産するって、命あるものに使う言葉では、ありませんよね。子どもを生産するって、言いませんから。だから僕は、稲を育てることにしたんです。」 胸にジーンと来る言葉でした。
 この言葉の主は、琵琶湖の湖北地区で、不耕起栽培で稲を作っている柴田さんです。彼は、お父さんから、農業は将来性のある仕事ではないから、自分の好きなことをするようにと言われ、都会に出て、グラフィックデザイナーの仕事をしていました。仕事は順調でしたが、都会そのものの空気に馴染みきれずにいた時、故郷で田んぼをやっていた身内が次々と農薬による病気や突然死に遭い、彼は守り手がいなくなった田んぼを引き受けるため、故郷に帰る決心をしました。


 彼は農法の研究をとことんしました。図書館にいっていろんな文献を調べている時、岩澤さんの不耕起栽培に出会い、これだ!と思ったそうです。
 「殺虫剤、殺菌剤、除草剤、これらは今の農業に欠かせないものです。ところが、不耕起栽培にすると、これがみんな必要なくなるのです。」と彼は胸をはって説明します。彼は命が蘇るこの田んぼに、本当に喜びを感じています。田んぼの上を渡ってくる風を楽しみ、人が癒される姿を見、生きものたちが命を謳歌している姿を喜んでいます。
 「稲を育てていて、収穫してお金になる前に、僕はたくさんのものを田んぼから貰っていますよ。」なんて耳に心地よい言葉なんでしょう! すっかり忘れていたけれど、子育てと同じですね。母は、「子どもは3歳まで育てたら、恩は返してもらったと思っていいのよ。」と言っていました。
 冒頭からの柴田さんの言葉は、京都や大阪でこの田んぼの応援をしようと集まってくれた方々への呼びかけです。「育てた娘は、お金持ちでも悪くないけど、本当に娘を理解してくれる人のところに嫁がせたいと思うでしょ。稲を育てていても同じです。この田んぼとこの米の素晴らしさを良く理解してくれる人に食べてもらいたいです。」 みんなシーンと聞いていました。感動の沈黙です。
 「稲を育てる」って、命の世界の意識ですよね。「稲を生産する」って、経済効率の世界の意識ですよね。言葉は言霊、これからは、「生産者」と呼ばずに、「稲を育てる人」と呼ぶことにしましょう。
 今まで私は農家の方から、長い間苦労をしてきた話しか聞いたことがありませんでした。これはこれで心を打ちます。だから何とか農家が潤うシステムを考えたり、楽で良いものが出来る技術を研究して普及してきたのだと思います。これらの努力の手を緩めるつもりは全くありませんが、でも、その苦労を喜びに変換させてくださったら、もっとうれしいです。柴田さんと会って本当に聞きたい言葉を伺って、本当に食べたいお米をいただいて、初めて気が付きました。私は苦労が詰まったお米より、喜びが詰まったお米を食べたいと思っていたことに。
 農家の方が命の視点と持つと、稲を育てる気持になり、田んぼから喜びを頂いていることに気がつき、私たちに命が詰まったお米を分けてくださる方になるのですね。そこには、誰かに何かをして貰おうという貪る心から、命の喜びを分けてあげたいという与える心への変換があります。これは意識の世界ではもっとも大切なターニングポイントです。
 消費者も命の視点で生きることにしましょう。私たちは命あるものをいただいて自分の命をつないでいることをよくよく知ることが大切だと思います。言霊の世界では、イネは命の根っこ、コメは個々の芽(種)、メシは、召す、身になるものという意味です。日本の言葉ってすばらしいですね。私たち日本人が何を食べたら良いのか、ちゃんと分かるようになっています。おコメは一粒一粒が命ある種です。
 ワラを活かした耕さない田んぼは、森の循環を応用した人間の最高傑作です。この田んぼなら水と緑の力を使って、生きる環境を復元できます。「ありがとう、お願いね」の心をお金に乗せて、命を育む田んぼ環境を買ってください。大切に育てられた稲の命と喜びが詰まったお米がおまけについてきます。