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中村陽子のコラム

2001年4月9日

耕さない文明

 農業を耕さないということから始めたらどうなるのか、を現実に見せてくれたのが、福岡正信さんの粘土団子と、岩澤信夫さんの自然耕です。
 粘土団子はシンプルですがとても高度な農業技術で、種の力を100%引き出して、地球の砂漠緑化をしています。厳しい自然におかれた種は、不用意に芽を出したりしません。まずすべてのエネルギーを一本の主根に託し、水脈を探します。水を確保したら芽を出し、強風に耐えるため茎を太くし、生きるのが厳しいときほどたくさんの花を咲かせ種をつけます。緑の面積がある水準を越えると、雨を呼び自らの生きる環境さえ改善します。
 自然耕はイネの力を100%引き出す農業技術です。もともと岩澤さんは、冷害に強い米作りを研究していたとき、福岡さんの自然農法に出会い、その大原則の不耕起から始めてみたのです。この成果が目に見えたのが1993年の大冷害のとき、このとき、東北から関東までの稲は、それぞれに花の咲く時期を調節して実をつけたのです。野生の雑草に冷害が無いのと同じようにイネが野生の記憶を取り戻したのです。


 福岡さんが1938年から着手し、45年後の1983年に『わら一本の革命』で発浮オた自然農法の不耕起という呼び名と画期的農業技術が、岩澤さんの手によってはじめて日本の農業界に認められたときでした。この研究開発の中で10年という歳月と10億という費用をかけたのが、固い田んぼに苗を植える田植え機の開発です。これは不耕起が省力化に向かっている農家に受け入れられるためには、どうしても必要なものでした。こうして完成した不耕起は自然耕という名前になり、生業としても、省力化の点でも優れたものとなりました。
 すると思ってもみなかったことが次々と起こりました。田んぼの中が生き物でいっぱいなのです。調べてみるとサヤミドロという藻が吐き出す酸素が元になって、田んぼに生態系ができることが判りました。水の使用量は1/2,耕さないので土の中でワラが嫌気性発酵せずメタンガスがほとんど発生せず、CO2、に換算して1/13というとても環境に良い米作りだったのです。その上、種籾が年々優良化するので種戦略にもかからないし、当初の目的の冷害や異常気象に強いので食糧問題にも安心です。さらに、田んぼの生態系のトップに位置するマガンなどの渡り鳥を呼ぶこともできるし、田んぼに湧くタニシやドジョウやトンボなどの豊富な餌で朱鷺を野生化することもできます。次々と良いことばかりで、世の中にこんなうまい話があるはずないと思うほどです。しかしこれは本当なので、なぜだか考えてみたとき、耕さないということは、今の文明と始まりが違うのだということに気が付きました。
 今になって「耕すことが、最大のミステイク」という福岡正信さんの言葉が、じわじわと分かってきました。耕すことは、自然界ではありえないこと、菌も土壌動物たちも住処をひっくり返されて迷惑この上ないことで、自然破壊なのです。一度自然の摂理に逆らうことからはじめると、後はそのことにより順々に起こる不都合の穴埋め行為の悪循環になり、自然の力は弱るばかりです。そして生きるために必要だと思い込まされるものは、増えるばかりです。肥料、農薬、浄水器、健康補助食品等々。 
メダカがいなくなったのも、基盤整備や農薬が原因だと思われていますが、実は耕すということを始めたそのときから、絶滅に向かって出発していたということです。基盤整備は単に自然の回復力に致命傷を与えたということに過ぎません。この延長上で発達する科学も技術も、あちらが立てばこちらが立たないという中途半端なものばかりです。
 耕さないことから始めると、それは自然が望んでいることですから、人間は自然もそうするだろうということをほんの少しするだけで、あとは全部自然が働いてくれます。1の仕事に100の後押しといった感じです。そしてこの世界では、すべてうまくいくというできすぎた話ほど、本当のことです。
 人間は、耕すことから始まった文明で、科学も技術も発達させてきましたが、地球の環境が持ちこたえられなくなるところまでいたずらが過ぎてしまいました。今誰しも方向を変えなければならないと自覚しています。例えば、西洋思想から東洋思想へ、とか、男性の時代から女性の時代へ、とか、効率優先の時代から命優先の時代へ、とか。でもこの二元論につかまった阜サでは、何か違うような気がしていました。
 そう、耕さないという初めの一歩を変えればいいのです。これで自然を壊してから修復するという実りの無い文明から抜け出せます。耕さないことから始めると、人間が考えきれないほど大きい自然の力が味方になってくれるのです。
 世の中を見回してみると、既に耕さない文明はずいぶん発達しています。例えばルメ[に始まる教えない教育、命の力を引き出す医学、そして耕さない農業、数々の天才が打ち立てた学説で現代の科学で相手にされなかった凄過ぎる発見。耕さない文明は、出発が違い、意識が違い、視点が違うので、現代科学との比較は無駄です。耕さない文明は、命を育む科学や技術を育てます。私たちは、自然のすばらしさをもっと認識し、自然の邪魔をしないように注意して、そして自然もそうするだろうと思うことを少しして、あとは溢れる自然の恩恵を遠慮なく感謝して受ければいいのではないでしょうか。