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中村陽子のコラム

2002年8月10日

自分の時間を生きる?

 「くにうみまつりを語ろう」という会で、「自分の時間を生きていますか?」という問いかけが、心に残りました。言葉の主は、アメリカでホピ族のロンゲストウォークに参加してから、日本を沖縄から北海道へ一回、2回目は北海道から沖縄まで「生存への行進」を歩き続けた人、大友映夫さんです。彼は歩き続けることで、自分のリズムと、自分の野性を取り戻し、自分の顔で、自分の時間を生きるようになりました。


 「歩く」というのは人間にとって良さそうだ、と思います。土を自分の足で踏みながら、地球上に生を受けたの自分の存在が感じられそうだし、文明の乗り物に依存しないので、電気が止まっても、石油がなくなっても、慌てず騒がず、自分のスピードで移動できるし。彼は、最低3ヶ月は歩きつづける経験をするといい、と言いました。
 今の私には当分実行不可煤Aそれに、私の一日は、家族それぞれの嵐閧�キいて、その合間に家事と自分の仕事を入れています。一家に一人、そういう人がいると、みんな安心して外で自分を発揮できるし、それが私の喜びなので、別に不満ではありませんが、こういう私の生活って、「自分の時間を生きる」って点から考えると、どういうことになるのだろう、などとつらつら思いながら聞いていました。
 負けず嫌いの私は、人から強制されるのイヤ、出会ったことは、自分の意志で選びなおして、楽しさを発見してやってしまおう、絶対に自分の人生の不足部分を、夫や子供のせいにしない、と心に決め、きっぱりと良妻賢母をやめ、思ったことをやってきました。やるべき仕事は、迷う時間が一番もったいない、と潔く心が決まってしまうと、意外なほど早く終り、時間はたくさんできました。 私が死ぬ時には、「あー本当に楽しい人生だった、みんな私のわがままを許してくれて、ありがとう」と感謝いっぱいの気持になる嵐閧ナす。
 いつの日か「小我を捨てて大我に生きる」という言葉が好きになりました。「真に我侭に生きよう」と思いました。そのための私の作戦は、今日の用事をすべて考えに入れて、逆算して早起きをして済ましてしまう、ということ。カッコつけて簡単そうに言いましたが、眠さとの戦いは、今でも辛いです。
 でも「自分の時間を生きる」って本当にこういうことなのかなー? 「真我を生きる」ってことだと思うけれど、時々息切れがするのは、まだまだ力が入っているってことかなー。そろそろ、もっと軽く自然体になりたい。
 8月は原爆の月、被爆しながらも、アメリカを恨むな、と我子に教えたすごい人がいます。70年は草木も生えないと言われた土地に、朝顔が咲き、40種以上の草が生え、枯れては生え、根っこの菌を元気に働かせて、土をきれいにしてくれた植物たちがいます。人間はすばらしい、草や菌の力はすごい、田んぼのイトミミズもすごい、命がみんな輝いて見えたら、たとえ特に何もしなくても、自分の命もうれしく輝いているのではないか。こうなると「自分の時間を生きよう」なんて考える必要もありません。そういえば、「くにうみまつり」をする大友さんも、毎日訪ねてくる人と、お酒を飲んでお話しているだけに見えます。私ももう少し力を抜きたい。
 「メダカのがっこう」を作ろうと思った時、私の足元から、命の水面(たぶん田んぼ)が地平線の彼方まで広がっていきました。知れば知るほど、自然耕の田んぼは命に溢れいます。耕さない田んぼから大量に湧く藻類が、きれいな水や空気を作り、たくさんの生き物たちを生かし、鳥たちを呼びます。人間だって田んぼと海の塩と、少しの野草と海藻があれば、生きていけます。
 「みんなもう誰かの奴隷になって働く必要はないですよ。今の経済や体制が壊れても、田んぼと塩と野草と心が通じる家族や友達がいれば、幸せに生きて行けますよ。」と私は大きな声で言いたい。今の体制にしがみつくみんなの恐怖感をなくすこと、そして人間の素晴らしさに感動すること、命の輝きを称え合うこと、これが私のやりたいこと。これって女性の役目のような気がします。こんなに素敵で自由で楽な生き方を実現しようと思っているのに、死ぬほど忙しい私って、何かへんだと思いませんか。