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中村陽子のコラム

2015年1月20日

都会に居ても自給自足生活のおすすめ(Sさんの場合)

(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第4回です。2015年1月20日に掲載されました)

子育て介護を終えて、地球とみんなの元気のために生きる

 身が軽くて元氣の塊、メダカのがっこうにも、身体が不調で健康になりたくて参加してくる人と違って、最初から自給自足生活をするため、自分のスキルアップのために野草料理教室や手造り醤油などに参加してきたSさんの波乱万丈の人生をご紹介をします。

 Sさんは専業主婦でした。働くことが大好きで、結婚しても仕事を辞めたくなかったのですが、「お前は家を守ってくれ。子どもが独立して家から出るまではダメだ」というご主人の強い要望に応えたのです。そしてご両親の介護に専念しました。

 お父様が脳内出血で倒れ、全身マヒで入院し、食べられず、話せず、動けず、鼻から栄養を補給している時、お父様に対する処置がとてもおざなりに感じた彼女は、こともあろうに家に連れて帰りたいと病院に申し出ました。するとあなたでは世話ができないからダメだと言われ、半年間、看護師見習いとして病院で研修し、吸引から寝返りまでマスターしたのです。そこで病院から退院の許可をもらい、在宅介護をはじめました。お父様は彼女の手厚い介護を受け、半年後にお亡くなりになりました。一度思ったら目的達成するまで頑張る実行力が、彼女の魅力です。

 その後、お母様が衰弱して入院した時も、わがままな性格が理由で病院から退院させられたお母様を引き取り、最後まで在宅でお世話をしました。
 次に13年前、ご主人を肺がんで亡くされました。ご主人の場合は、会社の検診で発覚、精密検査の結果、余命半年~1年と言われましたが、入院せず最後まで会社に通い、床に就いてからは2~3週間でお亡くなりになったそうです。ご主人は、40代をご両親の介護で苦労した彼女に感謝し、「お母さんには苦労を掛けない」と言っていたそうですが、言葉通りの最期でした。3人の介護と見送りはさぞかし大変だったろうと思うのですが、そのことを聞くと、3人とも時期が重ならないで順番に逝ったから、それがお陰様だったというのです。

 ところが人生最大の苦難はこれからでした。Sさんには2人の娘さんがいらっしゃるのですが、その一人がある事件の犠牲になられたのです。そこからどう立ち直られたのかはわかりませんが、とにかく彼女は現在、自宅の庭で無農薬・無肥料の自然栽培を始め、そのお米や野菜を使って自宅を改造したレストランで、食べたらだれもが元氣になる一汁一菜のお店を開店する夢に向かって、着々と持ち前の実行力を発揮しています。

 彼女の食や健康に対する意識は、かなり筋金入りです。農家生まれで、ある程度田畑のことは分かっている彼女ですが、若いころから食に関心があって、もう30年以上も玄米を食べています。子育ての時代には、生協の運営委員をやり、ジュースの実験などで添加物のことはよく知っていました。ですから自分や子供たちは健康に全く問題がありませんでしたが、自然療法に関心があった彼女は、さらに自然療法を東条百合子さんや大森一慧さんから学び、家族の病気や病院嫌いのご主人を、手当法で介抱しました。

 現在60歳を超えた彼女の最大の目標は、自然栽培をマスターし、土の力を活かした素晴らしい米や野菜を作ること、そしてそれを料理したレストランでみんなに食べてもらうことです。その夢に到達するまでのいきさつは、人との出会いの連続でした。
 ご主人と娘さんを相次いで亡くされてから彼女は、パートの仕事を始めました。その仕事は大きなスーパーの検品係で、とても性に合い、働くのが楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。持ち前の向上心から、仕事の合間を見て、大森一慧さんのマクロビ料理教室に毎週通いました。ある日の教室で、ナチュラルハーモニーの河名さんの名前を聞き、自然栽培に興味があったので、さっそく紹介してもらい、今度は河名さんの銀座のセミナーに毎週通いました。その講座の中で、自然栽培の高橋博さんの存在を知り、ぜひともやってみたいと思い、半年の自然栽培を学べる塾に通い、今年から自宅の敷地内で自然栽培を始めました。同時進行でレストランの準備も始めたところです。自分の人生での良い出会いをどんどん活かして一直線に進んでいくのが彼女の生き方なのでしょう。

 そんな彼女が自然栽培の塾に通う前に、大好きな仕事を辞める決心ができなくて、踏み出せないでいた時期がありました。その時ちょうど私は田の草フォーラムの取材をしていたころで、彼女は自然栽培の高橋さんの草1本ない素晴らしい田んぼの話を目を輝かせて私にしてくれたのです。「そんなに素晴らしいなら、今すぐやった方がいいよ」と思わず私は言いました。その一言で彼女は仕事を辞めて自然栽培に取り組む決心をしたそうで、いつも、中村さんがいなかったら今の私はいないと言ってくれるのです。でも自分にとって必要な人や言葉との出会いを活かすことができる彼女が、素晴らしい人生を自ら引き寄せているのは明らかです。

 子育てと介護を終えて、地球とみんなの元気のために生きようとしている彼女、何だか私の同志のような気がする人です。 

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