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中村陽子のコラム

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2015年10月12日

米・味噌・梅干し・黒焼きという高機能食品の恩恵に浴そう

人間は、非常事態や過酷な状況に置かれたとき、自分にとって何が本当に必要なのかがわかります。日本の歴史においても、下克上の時代、常に正しい判断力と強靭な体力がなければ生き残ることができなかった戦国武将たちが、玄米、味噌、梅干しなどの高い機能性を発見、行軍に兵糧として持参していました。

さて、現在の日本でも、かなり過酷な海外公演の中で、玄米、味噌、梅干し、黒焼きなどの価値を体で実感しているメダカのがっこうスタッフの美月さんの臨場感あふれるお話をご紹介します。

彼女が所属していう国際文化交流舞踏団「曼珠沙華」は、1999年、チェルノブイリ原発被災地公演を皮切りに、これまで20か国、35回の海外公演を行い、「世界の子どもたちに感動と心の花束を」をコンセプトに、言葉や宗教、政治を超えて世界の人と人の心の絆を結ぶ文化交流している団体で、世界各国からラブコールを受けています。今回のベラルーシ共和国での公演は6回目になります。ここからが彼女の体験談です。

私たちは毎日バスで片道5~6時間かけてシベリア大陸を移動し、環境が日本と全く異なる地で毎日ベストコンディションで舞台にたたなければいけません。この状況を打開するために日本から持参する重要アイテムがあります。

一番目はお米です。時には炎天下の中での公演、冷房がなく車内が42度のバス移動は座っているだけで体力が失われていく・・・楽屋を作り、踊る時にはフラフラになってしまいます。そのような中で、日本から持って行ったお米を炊いてつくった“塩むすびや、味噌おむすび”を食べた後の公演は、「足の踏ん張りがきく!」「力の出が全く違う」。お米の力に助けられ、「次の日の体力の回復も違う!」お米の力を身に染みて感じています。

また、ヨーロッパ、ロシア圏の乾燥している地域では、肌がカサカサになり、白塗りがのらなくなってくるのですが、お米を食べると、肌への保水力が違うことも実感します。

次に塩です。舞台上では、幾重にも重なった美しい衣装とピカピカの照明で汗をかきっぱなしですから、フラフラしないように、水分補給と一緒に塩を摂ることを大切にしています

その次は梅干しです。疲れて体が酸化してきたな…と思うと、必然的に梅干しが欲しくなります。クエン酸アミノ酸…という情報とはまた別に、体は素直に反応します。そして海外の様々な食事に胃が負けないよう、食あたりの予防にも必需品です。

その次は味噌です。味噌汁が体に染みる… と感動するのは、海外のなれない環境で、体が知らず知らずのうちにがんばっているからなのでしょう。味噌汁が腸まですぅーっと入った時に、癒される、元氣が出る、体が喜ぶのが分かるのです。味噌はお通じが良くなります。腸内が滞るとそれだけで体調が悪くなり、肌も吹き出物が出てしまうので、味噌汁に出来ない時は、黒パンにつけて食べます。美味しい!!

最後に黒焼き2種です。まず黒焼き玄米珈琲は、疲れてくると、体温が上がらなくなり、食事も摂りたくなくなる時に有効です。体を回復させたい時、質の良い睡眠をとりたい時に寝る前に飲んだり、朝起きて体に力が入らないと感じた時は、飲むようにしています。もう一つの黒焼きは、梅干しの黒焼きです。油っぽい食事が多かったり、体に合わないものを食べていると、おなかがゆるくなります。それでもトイレにこもる時間もないので、そんな時の助け舟で梅干の黒焼きをペロリとなめると、だいたいおさまります。また、風邪をひきそうかな? と思った時も予防でなめて免疫力を高くするよう意識します。

また放射能数値が高い地域での公演でしたので、体がダルいなと思ったら、すぐ黒焼きを摂るようにしました。

帰国してからのアフターケアーですが、2~3週間の仕事を終えて、日本に帰るころには、体もすっかり変わってしまっているので、帰ってきたら体の立て直しをします。①マコモ茶でデトックス・体内浄化を。②一汁一菜で体つきや肌を元に戻す。③百薬の長(メダカのがっこうのお酒)で心の癒しと美容とリラックス+腸を整える。④ぬかパックで肌を立て直す。これで完璧です。

最後にまとめとして、なんでも物事は“少し離れてみるとよくわかる“と言いますが、日本を離れ、異国の地では、水も空気も食も違うので、体は当然無理をすることになります。その中で、日本人である自分の体が、米、味噌、梅干しなどに素直に反応する体験をすると、日本人である私たちが、日本の食事をすることが、どれほど大切であるかを身を以て実感します。これからも、日本の食に支えられながら、日本の美しき良き文化を、世界中の人に喜んでいただける舞台ができるようがんばっていきたいと思っています。(体験談終わり)

いかがでしたか。さながら戦国時代の行軍のような移動と戦のような舞台を、お米、味噌、梅干しを食べて乗り切る美月さんは、戦国武将と同じですね。武士が完成したシンプルな伝統食は日本人の体の立て直しに役立ちます。それがまた放射能汚染の中に生きる日本人にはとても有効だと分っています。皆様、日本人の先祖が築いてきた米、味噌、梅干し、黒焼きの高機能食品の恩恵にもっと浴しましょう!(もちろん化学物質フリーものでなければなりませんが)

2015年10月12日

日本人は昔から味噌という高機能サプリを持っている

味噌は中国から飛鳥時代に渡来し、日本で発展しました。 古代中国では大豆を塩蔵したものを「醤(しょう)」と言っていましたが、醤になる前の熟成途中のものがとてもおいしかったので、これが独立して味噌という食品になりました。ですから名前の由来は、未だ醤にならざるもの「未醤(みしょう)」から「みそ」となったと推定されます。しかし平安時代まではずっと貴族だけのぜいたく品でした。

鎌倉時代にやっと、日本食の一汁一菜という定番メニュー、穀類(玄米や雑穀)と味噌汁と漬物という型ができました。この時代は、それまで蒸していたお米を羽釜で炊く技術や、すり鉢で豆味噌をつぶして水に溶かし味噌汁にするという料理もでてきました。羽釜の鋳物技術やすり鉢の製造技術の向上とも深い関係があるのでしょう。室町時代に入ると、大豆の生産もさかんになり、農民も自家製味噌をつくるようになり、味噌は保存食として庶民に浸透しました。今伝わる味噌料理のほとんどが、この時代に作られたと言われています。

しかし、味噌力を最大限に引き出したのは戦国武将たちです。戦国時代の天下取りで最後に勝利したのは徳川家康でしたが、織田信長、豊臣秀吉など最強の戦国武将を生み出したのは、赤味噌文化圏です。赤味噌というのは、大豆と塩と水だけで造る豆味噌のことです。後に、発酵を早めるために米麹や麦麹が加えられて茶色の味噌や白味噌が考え出されましたが、大豆100%で造られる赤味噌は、米麹や麦麹が入った味噌に比べて栄養分が豊富です。

特にストレス軽減作用があり「幸せホルモン」と呼ばれている神経物質セロトニンのもととなるトリプトファンが豊富に含まれています。つまり、赤味噌を食べると、セロトニンの効果で心が落ち着く一方、気持ちが前向きになり士気が高まります。その上、脳の機能を活性化させるレシチンが含まれており、迅速で冷静な判断ができます。さらに疲労回復や免疫機能強化に効果のあるアルギニンも含まれており、丈夫な体が維持されます。心身ともに強くなければ生き残れなかった戦国武将が味噌力の証明してくれています。

武田信玄は、「陣立て味噌」と言って、大豆を煮てすりつぶし、麹を加えて丸めたものを持ち歩くと、行軍をしている間に発酵が進み、味噌として食べることを考案しました。陣立て味噌は非常に実用的で多くの武将が行っています。ここで大豆に麹を加える味噌が登場するのですが、これは発酵を早めるのが主目的です。また味噌は最高に体によい塩分の摂取方法です。信玄が支配する甲斐や信濃には海がないため、塩分の備蓄としての意味も重要でした。信玄は大豆の栽培と味噌造りを奨励しました。これがのちの信州味噌です。

伊達正宗も軍事用の兵糧としての味噌を重視しました。彼は仙台城の中に、「御塩噌蔵」と呼ばれる味噌の醸造所を作り大規模に製造しました。これが日本初の味噌工場だと言われています。伊達正宗の味噌は、豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、夏場の長期戦にも腐らなかったことで有名になりましたが、これがのちの仙台味噌です。仙台味噌の特徴は、麹の割合が少なく豆味噌にちかい赤味噌です。

味噌力の本領発揮はこれからです。味噌は放射線から体を守ります。長崎に原爆が落とされたときに、爆心地から1.8㎞にある病院で治療にあたった秋月辰一郎医師や看護婦やスタッフの中に一人も原爆症出なかったのは、わかめの味噌汁と玄米などの総合力だと言われています。その当時この病院は味噌・醤油の貯蔵場所になっていたそうです。薬は何もなくても、最高の機能性食品が貯蔵されていたわけですね。

この味噌の力を科学的に研究した広島大学名誉教授の渡邊敦光博士によると、放射線を浴びせたマウスに味噌を与えると細胞の再生能力が上がり寿命が延びることがわかりました。しかも熟成がすすんだ褐色の濃い味噌ほど効果があるのです。その正体はメラノイジンという褐色の成分で、豆味噌、赤味噌などに多く含まれており、米麹や麦麹の割合が多い淡色味噌や白味噌には少ないようです。本物の醤油の褐色もメラノイジンなので、醤油も同じ効果が望めるはずですが、最近の速嬢造りでカラメル色素で色を付けたものは当然ながら効果はありません。渡邊博士の研究だと、味噌はこの他に、ほとんどの癌や脳梗塞や心筋梗塞、糖尿病、肥満、便秘などから体を守る多機能の高機能食品だということです。

ところでここで問題が出てきました。現代の味噌は、本来の味噌の機能を持っていない商品がほとんどなのです。今スーパーに並んでいるの味噌は、酵母が生きているとパッケージが膨張して返品になってしまうため、加熱処理や醸造用アルコールにより殺菌してしまうのです。また「だし入り味噌」もだめなのです。味噌の酵母が生きているとだしの旨味を菌が分解してしまうため、殺菌しなければ旨味を維持できないのです。味噌には加熱処理の表示義務がないため、消費者にはわかりません。しかし商品として並んでいる限り、処理をしているものと考えた方がいいです。

生きている酵母や酵素が有効な成分を腸に運び、健康な細胞を再生力を高めるのですから、味噌は生きたまま摂ることが大切です。殺菌、殺虫、消毒(施毒)の世の中になり、殺菌された味噌でなければ流通にのらなくなってしまったのです。味噌本来の高機能をもった生きている味噌を食べたい人は、メダカのがっこうの自給自足くらぶで、命を優先する農家と一緒に原料から無農薬・無添加で我が家の1年分を作りましょう。今年造らなかった方のために、5㎏樽、10㎏樽の販売もしています。

 

 

2015年6月25日

「百姓」赤峰勝人は現代の食医だ!…アトピーが治らないわけ

(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第9回です。2015年6月24日に掲載されました)

食医というのは、昔は王様の健康管理をするため、中医学や薬草の知識と実践経験を積んだ人であった。これには「医食同源」というすばらしい考え方が基本にある。中医学では、対処療法の薬は毒性があり長期に使用するものではないので、これを下品薬。次に少し毒性が低く少し長く使える薬を中品薬。長期的に体質改善などに使える薬を上品薬としている。さらにその上に位置するのが体調管理をする食事である。

「医食同源」に異論を唱える人はほとんどいないだろう。日本で生まれ世界で認められたマクロビオティックも、自分の体質と現在の陰陽の偏りを知り、何をどう料理して食べたらよいかを判断できる人になるために学ぶ。食には基本的に体を温めるもの、冷やすもの、引き締めるもの、緩ませるものがあり、それを適切に料理して体の陰陽のバランスをとる。身の回りの食で体を立て直すことができれば人間は自由に生きられる。

ところが、いろいろ勉強し食事に気を付けてもなかなかアトピーは治らない。医者にかかると、アレルギーの原因を調べ、卵、乳製品、小麦粉などとわかると摂ることを禁止され、食べる楽しみを奪われた味気ない毎日が始まる。塗り薬はステロイド、一時的にきれいになるが、再び出始めると塗る量が増えていくという悪循環に陥る。これはなぜか。

ここに赤峰勝人さんというお百姓さんがいる。「百姓」という言葉は差別用語で自分で自分のこと百姓という以外は使用できないらしいが、私は尊敬の意味を込めて使っているのでお許し願いたい。

彼は今では中医学もマクロビオティックの陰陽もいろいろマスターしているが、まだこれらの知識がない時に、畑の中ですべての命がまわっているということに気づかされ循環農法を構築した人である。彼は近代農法の土づくり、有機栽培の土づくりなど真剣に試した結果、草はその土地に足りないミネラルを集めたり原子転換でつくり、枯れては完全な土を作ることを発見した。そして草だけで作った土で、念願の見事なニンジンを育てた。今から33年前のことだ。

そのころ彼は、20年来アトピーに悩んできた一人の女性に治してほしいと頼まれた。医学の知識が何もなくて困ったが、あまりの熱心さに、とにかく畑から教えてもらった命の循環の考え方で、土づくりで分かったことを人間の体にも応用した。すると、実にたった3か月でそのアトピーは治ってしまったのだ。頼んだ女性も女性だが、本当に困っている人には治せる人が分かったのだろう。その後口コミで彼のことが知れ渡り、実に1万人以上の人の食事ノートをみて、食事指導をし、実践した人はみんな治っている。彼は現代の食医なのだ。

彼がつかんだ循環の世界は、この世に無駄な生も死もない、すべては循環の中で意味がある存在であるという自然観と生命観である。草に関しては先に述べたとおりであるし、虫に関しても、異常に作物を食い尽くす虫がいたとしたら、それは亜硝酸を含んでいる人間にとって毒になる作物であり、それを食べて死んで土に反してくれる神虫さんだということだ。

さてここからが重要だ。赤峰さんの食事指導によると、「循環の輪の中に入っているもの」と「よい塩気」があれば、どんな病気からでも立ち上がれる。これは「小腸絨毛造血説」の「千島学説」が根拠となっている。人は小腸で血液が造られているので、小腸が元気であればどんな病気でも食で治すことができる。ちなみに、現代医学は血液は骨髄で造られるという違った立場をとっている。

赤峰さんの食事指導はまず、「循環の輪に入らないもの」は決して摂らないことから始まる。循環の輪に入らないものとは、化学合成されたもの、例えば、化学薬品。農薬、化学肥料、化学調味料、人工甘味料、合成甘味料、保存料、発色剤、香料などの添加物群。これらは土の中のプラスチックが分解されないように、体の中に入ったこれらの化学物質は分解できない。また、塩化ナトリウム99・6%以上の塩、ミネラルをすべて排除された砂糖、ノルマルヘキサンなどの溶剤で取り出された油などと、これらを使用した加工食品なども摂らない。

しかし私たちは今この循環の輪に入らない化学合成された物質文明の中で生きているので、これらを排除するとほとんど買って食べるものがない。なぜこんな事態になってしまったのか。それは近代になって私たちが作り上げた化学合成の物質文明が原因だ。私たちは命が循環している地球の上に生かされながら、循環しない化学物質を作り、これを大切な土に、作物に、食品に使ってしまったのだ。地球の中のがん細胞のようなものだ。循環の世界では処理すべき糞尿もゴミも出ないが、循環しないがん細胞の中の世界は、今や廃棄物だらけ、放射能廃棄物も含めて地球を思いっきり汚染してしまった。これと同じことが体の中でも起きている。

赤峰さんの見解によると、昭和37年以降に生まれた人からアトピーが急増しているそうだ。生まれた時からがん細胞の中にいるのだから、ほんとうにやっかいだ。この中で中医学を学んでも、マクロビオティックを学んで食事を作っても、原料である作物や食品に化学物質が混入している限り、決して治らない。アレルギー物質を排除しても、残りの食べ物に化学物質が混入しているのだから治らない。

赤峰さんがなぜアトピーを治すことができるか。それは赤峰農場の土から循環を取り戻し、一切化学物質を含まない作物を作り食べさせているからだ。小麦アレルギーの人もここで収穫した小麦ならアトピーは出ない。汚れていたのは土なのである。現代の食医は、地球の循環を知り、清浄な土を取り戻したお百姓さんなのである。

今回の赤峰さんは食医の育成を念頭に置いて講演してくださる。まず自分が生きている世界が循環の輪から外れたがん細胞の中であることを知り、循環する世界が夢や理想でなく実現可能な素晴らしい世界であることを知り、次に本当に化学薬品に汚された土、作物、加工食品を清浄なものに変えるための行動に移す。赤峰さんほど現代の食医セミナーの講師にふさわしい人はいない。これらを学ぶことは非常に意味がある。家族の食事をつくる人はみんな家族の「食医」を目指そう。料理人もみんな食医であってほしい。もっと理想をいえば、人はみんな自分の「食医」でありたい。

お知らせ:赤峰勝人講演会「現代の食医セミナー―アトピーは自然からのメッセージ」が2回あります。

  1. 7月19日(日)13:00~16:00(会場12:00農薬ゼロ無添加の昼食付)一般5000円ペア8000円、メダカ会員4000円ペア6000円 場所:武蔵野スイングホール(JR中央線武蔵 武蔵境駅北口1分)
  2. 10月11日(日)上に同じ 内容は食医セミナーの続きになります)

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7月19日のお申し込みは、メダカのがっこうホームページの参加者募集かショップから FAX:0422-70-6648, 電話の方は、0422-70-6647 メダカのがっこう事務局まで。

2015年5月20日

今こそ、本物の米、味噌、梅干し、黒焼きが必要なわけ

(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第8回です。2015年5月20日に掲載されました)

 メダカのがっこうでは、毎月「食とお米とその周辺の研究会」を行い、塩、米、種、野草、味噌、醤油、油など、基本的食材について、中村陽子の自然観に基づいた勉強をしていますが、添加物については、九州から安部司さんをお呼びして、「みんな大好き食品添加物―食品の裏側―」という題名でお話をしていただきました。その内容の紹介と、メダカのがっこうが基本食材と原料から無農薬・無添加でつくっているわけをお話しします。

 安部司氏のお話には、強烈なパンチを受けました。さすが食品添加物を駆使して、ヒット商品を連発してきた張本人だけあって、その知識と経験の深さに驚きました。加工食品、飲み物、インスタント食品、お菓子、お惣菜などに使われている本物とは似て非なるものを作る添加物の種類と働きを、余すところなく伝えてくれました。特にお惣菜は、コンビニはともかく、デパ地下からお弁当、ホテルの朝のバイキングに至るまで、原料の段階から味付けまでこれでもかというほど食品添加物が50種とか60種とか使われていることを知り、がっかりしました。

 たとえば、お惣菜で人気があるサバの味噌煮は、中国でサバと、添加物がたっぷり使われた調味料とが真空パックされてから鍋で煮て、それを冷凍して輸入し保管しておき、何ヵ月何年たっても、解凍した日から1ヵ月の賞味期限が決められていることを知り驚きました。
 また、表示のところに、PH調整剤とか香料とか、アミノ酸と書かれていても、それはグループの総称で、何種類もの添加物が使われているそうです。こどもの好きな飲料水、普通では甘すぎて飲めない量の甘味(砂糖より劣悪な遺伝子組み換えのトウモロコシのコーンスターチから取った果糖ブドウ糖液糖や人工甘味料)も、着色料と香料とビタミンCを添加すると喉越し良く飲めてしまうのです。
 インスタントラーメンのスープには、普通では気持ち悪くて飲めない量の油脂と塩分が入っていますが、うまみ成分(大豆を塩酸で溶かし苛性ソーダで中和させて取り出したタンパク加水分解物や、人工のアミノ酸数種)を入れると、おいしいスープに思えてしまいます。これらを常食としているこどもの身体はどうなってしまうのでしょうか。

 私は安部司さんの講演会をyoutubeで見ていましたが、直接お話を伺うと、彼が本当に添加物に侵されてしまった食品に囲まれている日本の子どもたちのことを心配して正そうとしている愛情と情熱を感じました。
 この講演会は、わかっていてもやめられない人たちにとって、やめる決心をする日になったのではないかと思います。それほどの迫力がありました。
 安い、簡単、便利、キレイ、オイシイという基準で買い物をする私たちが、添加物を増長させていることを思い知らされました。こうしたものにお世話になっている以上、中国に足を向けて寝られないそうです。安部さんのお話を聞いて、食べるものがなくなって困ってしまう人はたくさんいると思います。しかし、メダカのがっこうは、この問題を自分で解決するために、自給自足くらぶを始めています。

 危険なのは、添加物だけではありません。よく日本は、人体実験の場所だと言われます。
 戦後、生物兵器が再利用された農薬メタボな作物を作る化学肥料、工業で汚染された水や空気、命が生まれた海の塩から、塩化ナトリウムという化学塩への国をあげての変更、石油化学製品が原料の環境ホルモン、食品添加物、人工甘味料、合成甘味料、香料などの膨大な薬品群、そしてコバルト60照射食品、と次々と身体への負担が増してきました。

 おかげで日本人は、アトピーを手始めに難病奇病が多発、10人に1人の子どもの永久歯が生えず、10人に0.7~1人の子どもが多動性障害になり、2人に1人がガンになっています。そこに2011年3月にはあの忌まわしい原発事故による放射能汚染ときました。

 広島・長崎の原爆を、玄米と味噌と梅干しで乗り切った日本人です。
 でも、今の日本人は米、味噌、梅干しから離れてしまったうえに、手に入れようとしても、日本にはもう昔のような無添加で良い塩で造られた味噌や梅干しがありません。それどころか保存食なのに添加物が使われています。これでは放射能に負けない身体は作れません。だから私たちは、命を優先する農家と手を結んで、会員の皆様と一緒にすばらしい材料を使い、添加物などない本物の米、味噌・醤油・梅干しを作っています。

 しかしここにもう一つ強い味方がいます。それが黒焼きです。
 その中でも、梅干しの黒焼きや、もみ付き玄米の黒焼きが有効だと思います。直接放射性物質を吸着して排出してくれるからです。私は日本人が黒焼き玄米茶や黒焼き玄米珈琲を毎日1杯でいいから飲んでくれると、相当いいのではないかと思っています。
 「炭が地球を救う」と宮下正次さんは教えてくれますが、土の化け物である人の身体も同じことです。
 70年間は草木も生えぬと言われた原爆から、今年がちょうど70年目です。そろそろ農薬や添加物から足を洗い、主食をお米に戻し、命が生まれた海の塩と、その塩でつくった梅干しや味噌と、黒焼きで、たいがいなことには負けない日本人になりましょう。

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2015年4月20日

新潟県阿賀町に元氣な糀ばあちゃんあり(山崎京子さんの場合)

(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第7回です。2015年4月20日に掲載されました)

 表参道に新潟県の物産館ネスパスがあります。ここで甘酒のつくり方や醤油麹、塩糀の作り方や食べ方を熱弁していたのが山崎京子さん70歳。新潟県阿賀町で明治元年から続く糀屋(こうじや)の女将です。
 娘婿の後継ぎもできて5人のお孫さんの将来を考えている頼りがいのある糀屋のおばあちゃん。実は阿賀町は20年後に消滅するかもしれないといわれている限界集落、そんなことはさせてなるものかと起死回生の策を練り、元気な女性たちと「米糀(マイカ)の会」を結成したところです。
 幸運にも私たちはその第1回の会合で会うことができました。でもばあちゃんというのは失礼かなと思うほど、シミもしわもない白く張りのあるお肌と滑舌の良いシャキシャキの女将、しかもスキーは一級で「私が80歳でワールドカップに出たら、糀の力を知らしめることができるかしら」などと冗談なのか本気なのか分からないですが、このやる気には感心します。
 メダカのがっこうの3つの宣言の最後に「生きる環境と安全な食料に困らない日本を次世代に残せるような先祖になります」というフレーズがありますが、まさにそれを地で行っている方と出会ったと思い、皆さんに紹介させていただきます。

●女将の魅力と麹の効力に魅せられて阿賀町に
 東京での出会いで「糀水」を飲み始めたメダカのがっこうのメンバーが、ほんの3週間ほどで、いつもは180以上あった血圧が130台に下がりました。糀水というのは、水500ccに糀100gを入れて作るのですが、発酵が進まないように冷蔵庫に保管し、その上澄み液を朝晩いただくのです。そこで糀に魅せられた仲間で、糀ばあちゃんの本居地を訪ねました。
 東北道の郡山ジャンクションから磐越(ばんえつ)道に入ってすぐの津川I.C.を降りてほんの5分。山崎糀屋がありました。古いたたずまいを入ろうとすると格子戸は自動ドア、大型冷蔵ケースの横にはモニターが設置されており、女将が甘酒や塩糀やスムージーのつくり方や使い方を説明する映像が四六時中流れています。世の中を動かすために努力を惜しまない姿勢に感心し、ここにも本気でやっている人がいると思いました。
 私たちが到着すると、さっそくウェルカムドリンクとしてスムージーを作って飲ませてくれました。りんご少々、バナナ少々、畑の青菜4~5枚、これに豆乳少々と甘酒たっぷりを入れて撹拌すること30秒足らずで、2杯分のスムージーが完成。グリーンのさわやかな甘さで、一気に疲労回復しました。
 考えてみれば、江戸時代、甘酒は夏バテ防止ドリンク。お米を酵母が半分消化してくれた大人の離乳食、お米のミルクともいえるものです。ヨーグルトのように動物性の乳酸菌とは違い、お米の乳酸菌は日本人の腸内細菌を元気にするのに適しているのです。このことは、お米の力を最大限引き出そうと挑戦している私たちメダカのがっこうも注目しています。

●玄米中心の一汁三菜の食生活で一族繁栄
 彼女は、糀屋に嫁いできましたが、その当時、糀屋というのは、米1升を受け取って麹1升を渡し、その鞘(さや)をとる商売だったそうです。彼女が頭角を現したのは、長女が保育園の時。母の会で甘酒のつくり方や糀漬のつくり方を紹介しました。毎日の食事は、ご飯と味噌汁の一汁三菜。ご飯は精白されたものではなく、玄米に麦と小豆を8時間以上つけて酵素玄米にしています。食事回数は昔の人に倣って2回。現代の力仕事もしない日常で3食まともに食べると病気になるのは当たり前。出る量より多く食べたらダメ。そして捨てるところのない一物全体の食生活をしています。
 この食生活が間違いないことは、後継ぎの娘さんご夫妻が小学生をかしらに5歳4歳3歳2歳という子供に恵まれ、みんな元気に育っていることで証明されています。

●食べ物で元気になる健康教室
 「生きているものを摂っていれば元氣になれる。元氣になればやる気が出てくる」これが彼女の無策の作です。スーパーに売っているものはみんな生きていないもの。味噌も糀も醤油も漬物も、生きていれば醗酵して袋が膨れて売り物にならず、返品になるからみんな菌を殺してから出荷します。農産物は農薬まみれ、商品は添加物だらけ、こんなものばかり食べていると、身体が病気になって精神も病んでしまう。これは都会の話ではなく田舎でも同じ状況。日本中が病んでいます。ですから甘酒も自分で作って飲むことが肝心。

 糀というのは日本の国菌。糀屋から生きた麹を買って甘酒、塩糀、糀漬、糀水を作って飲むことで、日本人は元気になれる。精神の病からも立ち直る。そうするともう一度みんなやる気が出てくるから、そうしたら限界集落からも、元気のない日本からも自ずと脱却できる。こう考えて彼女は「食べて元気になる健康教室」を始めて、糀ばあちゃんになって頑張っているのです。
 彼女がこれからやりたいことは、阿賀の町という四方を山に囲まれて汚染から守られている地の利を生かして、有機無農薬の里を作ること。それと阿賀町を糀の町として全国に知らしめることです。皆さんも応援して糀ばあちゃんを講演に呼んでください。

 私たちは6月28日(日)13時~大田区文化の森で糀ばあちゃん山崎京子さんをお呼びして講演会を計画しました。会費3000円です。甘酒と野菜のスムージーも体験できます。関心のある方は、メダカのがっこう事務局 tel:0422-70-6647 fax:0422-70-6648 ホームページからもお申込みできます。ご一緒に生きている糀体験をしましょう!

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2015年3月20日

醤油造りのご先祖様

(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第6回です。2015年3月20日に掲載されました)

 3月はメダカのがっこうでは醤油搾りと醤油仕込のシーズン。みんな1年間育てた醤油モロミの樽を持って、ワクワクしながら集まってきます。手造り醤油の指導者であり、搾り師である岩崎洋三氏と彼が育てた搾り手たちに、おいしい醤油に搾ってもらうためです。
 搾り手は、モロミの状態を見ながら熱いお湯で溶き、搾り袋に入れ、搾り舟にたたみ入れ、ゆっくりと重しをかけていきます。すると搾り舟からタラタラと醤油が流れ出てきます。

 今年の味はどうかとドキドキしながら流れ出てきた醤油をなめます。期待通りおいしいと嬉しくなります。一度に4台の搾り舟で搾っているので、ほかの樽の味も見に行ってなめます。みんなでみんなの醤油をなめっこして、感想を言い合ったり、褒め合ったりします。そして自分の醤油が一番おいしいと内心思ったりします。楽しい時間です。

 醤油を搾りきると、今度は火入れです。60度以上になってから90度近くまで温度を上げ、アクを除きます。アクと言っても悪いものではなく、醤油の中の軽い不純物です。
 とてもおいしいものなので、刻んだ大根や白菜を入れるとアク漬になります。火入れ後のボーメと言って濃度の基準があるのですが、ボーメが17前後だと、搾り師さんもみんなも上手く搾れたという証なので、おいしい醤油の誕生を喜び合います。

 後片付けもみんなでやります。搾り袋の中から搾りカスを出して、袋を洗って干します。
 カスをまとめたり醤油を持ち帰る樽に移したり、車に乗せたり、力を出し合い、協力しなければ作業はすすみません。昔の村仕事です。実は私はこの共同作業が好きです。自給自足と言っても一人で自分の分を造るのではなく、みんなでみんなの分を造ることが素晴らしい。みんな全体の流れを考えて頭を使い動きます。協力する心が育っていくのを見ているとうれしくなります。

 搾りが終わると今度は来年の分を仕込みます。都会にいても自給自足生活を目指しているメダカのがっこうのメンバーにとって、醤油造りは核になる仕事であり、大変な楽しみです。1樽の仕込に必要な原料は、大豆15kgに小麦15kgと塩12kg。これだけです。私たちは、仲間の作ってくれた無農薬・無化学肥料の原料に、醤油の醸造店で麹を漬けていただき、伊豆大島の海塩で塩切りをし、33Lの水と混ぜてモロミを仕込みます。

 私たちの醤油の造り方は醤油屋さんからは異端だと言われます。醤油屋さんでは、暗いところで毎日かき回して2年から3年かけて醸造するのに、私たちの方法は、太陽がさんさんと照り付けるところに置き、風にも当てて、1ヵ月に1回かき混ぜるだけで1年でできるからです。

 この醤油造りの技術を発見し、研究してくれた方がいます。15年前に92歳で亡くなられた荻原忠重さんという方です。彼がいなかったら、各家庭でこんなに小ロットの醤油造りを失敗なく出来る方法は生まれませんでした。醤油造りのご先祖様です。彼は戦後の物資がない時代、醤油が手に入らなくて困っていた主婦の姿を見て、なんとかしてやろうと醤油造りの研究を始めたのです。

 はじめは醤油屋さんに勉強に行き、暗いところで毎日かき回す方法を試してみましたが、これでは苦労多くしておいしいものが出来ないので、独自で研究を始めました。そして醤油の醸造には温度と風が必要だということを発見し、今までと180度反対の、太陽の光の下で醸造する方法を編み出していったのです。そしてほぼ失敗なくできるところにこぎつけたのは87歳の時、研究を始めてから40年近く経っていました。

 彼が90歳の時、信州放送で『90歳醤油造りの詩』という番組が制作されました。その中の言葉で心に深く残ったのは、「独学だわね。独学でなかったら本気になれないじゃない。失敗すればまた人に聞けばいいってもんじゃ」というくだりです。この覚悟。この自立心。この心があったから彼は醤油造りに新たなる1ページを開けたのです。ご先祖様になれたのです。

 メダカのがっこうの目標の一節に、「生きる環境と安全な食料に困らない日本を次世代に残せるようなご先祖様になります」というくだりがあります。今私たちに最も必要なのは、大切なことを人任せ、企業任せにしない自立心です。
 「都会に居ても自給自足生活のおすすめ」というスローガンも、高速道路のお世話になり、エネルギーも水も何もかも自給できていない中でも、大切な米、味噌、醤油、梅干し、たくあん、油だけでも仲間で作れるようになろうという自立への一歩として打ち出しました。例え業者に頼むことになっても、原料が作れて造り方が分かっていること、努力すれば作れる知恵と力を持っていることが大切です。もし賛同して下さる方は、一緒に何らかの分野のご先祖様を目指しましょう。

 さて、みなさんに聞いていただきたいお話があります。安部司さんの『みんな大好き食品添加物―食品の裏側』という講演です。「きれいで便利で安い」と引き換えに私たちが失っているものの大きさが分かります。人任せにしない覚悟ができます。メダカのがっこうと一緒に農家と繋がって自給自足を目指したくなります。

 日時は3月29日(日)13:00から 場所は渋谷のエボリューションフィナンシャルセンタ―3階大会議室です。中村陽子さんの紹介と言えば会員扱いで、4,000円(お弁当付き)二人以上なら3,000円です。中村陽子までお電話ください。090-3472-2038中村携帯です。自立して繋がりましょう! 

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2015年2月20日

次世代のために「なんでもやるじゃん」メダカのがっこうの 理事Mさん紹介

(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第5回です。2015年2月20日に掲載されました)

 メダカのがっこうの理事Mさんは、山梨県白州町に五風十雨農場という自給自足の里を拓いています。五風十雨とは観音経に出てくる理想郷で、5日に1回風が吹き、10日に1回雨が降るという穏やかな郷、これは地球全体の気候が穏やかでないと実現しない世界です。

 ここに「鼓腹亭」という小屋が建っているのですが、この小屋ひとつにも彼のポリシーが詰まっています。原料の木材は、3km以内の杉の木を11月の新月の日に谷側に切り倒し、枝葉を付けたまま乾燥させた丸太です。彼はこれを実行するために、新月の木国際協会で勉強し、現認者の資格を取りました。現認者というのは、釣りの世界の証明人のことですが、これを応用し、この木材は確かに何月何日の新月伐採で正しく処理された木材であることを証明することができる人のことです。

 彼はこれらの丸太を使い、チェーンソウだけで小屋を建てました。小屋と言っても大黒柱になる木は2人で手を伸ばしてやっとという太さで、その木に合わせて高さと大きさが決まった小屋なので、ロフトだけで20人は寝られます。

 ここは水もエネルギーも自給できる郷です。水は貯蔵タンクにためた山の水と井戸水。台所はかまど、部屋は薪ストーブ、薪は近くの山を掃除して得た木材、巨大な薪置場と炭焼き小屋が同じ敷地にあります。鼓腹亭に泊まると、ヌカクドという籾殻(もみがら)を炭にするときに出るガスだけでご飯を炊く道具があり、籾殻の量を加減すれば自動炊飯器のように簡単に美味しいご飯を炊くことができます。ヌカクドの残る籾殻燻炭(くんたん)は、苗床の土にするなど、米づくりには欠かせないものです。いつも鼓腹亭に泊まる時は、畑の野菜と手造り味噌で具だくさんの味噌汁を作って贅沢な一汁一菜の食事を頂きます。

 小屋の西側の山には3枚の大きな田んぼがあり、地元の品種「さとじまん」というお米を作っています。近くの畑では大豆を造り、この大豆で大量の味噌を仕込みます。また、メダカのがっこうの醤油造りの拠点として、醤油麹仕込みと、1年後の醤油搾りの会場になっています。この農場では遺伝子組み換えの作物は作りません。田んぼの生きもの調査や植生調査、大地の呼吸を取り戻すための大地の再生講座もやっています。

 Mさんが塗料会社の経営者だった時代、地球のためには経済活動が小さくなることが必要だと、目標をマイナス成長に置いて話題になりました。日本の中小企業で初めてISOの資格を取りました。天水利用、アイドリングストップ、配達コースの見直し、裏紙使用、使用する机の上の電気だけ点ける紐スイッチ、マイナス売上を目標にしても、経費節減で利益が上がります。社員をオイスカの植林に送り込んだりしていました。地球村の高木善之さんが最も尊敬する経営者だと評しました。息子さんに後継を譲ってからは、本格的に五風十雨農場で次世代のために美しい地球を残す活動を始めました。

 ところが、ここで彼は重いうつ病に罹ります。人はなぜうつ病になるのでしょうか?
 世界で一番うつ病に罹りそうもない人だと思っていたので、私には関係ない病気だと思ってはいられないのだと少し不安になりました。自殺願望が強く危険なので入院しました。
 メダカのがっこうの理事も辞めたいと言っていましたが、「いつ辞めてもいいけど今はお休みしていて」と言って待ちました。本当に何もできませんでしたが、なぜか少しずつ元気になり、ある日全快しました。

 回復してからの彼は以前にも増してフル回転を始めました。2014年から「ありがとう笑い共和国」を建国し、酋長に就任しました。笑ヨガも始めました。鼓腹亭の上の方には、チベット仏教に倣ったマニ車を造り、水車で回しています。お経の代わりにみんなに書いてもらった「ありがとう」の紙を入れて回しています。マニ車は1回転で100倍のご利益があるといわれており、1日1万回まわるので、1つの「ありがとう」が1日100万回天に届くことになります。彼は五風十雨農場を「ありがとう」の発信基地にしました。

 福島の子どもたちの保養キャンプも年数回行っています。昨年の夏休みは、郡山と須賀川からの7家族を受け入れました。
 毎週金曜日18時から、「甲府でもやるじゃん」という原発反対のデモをやっています。2月末で130回目以上。原発を止めさせてから死ぬ予定だとか。

 ごくごく最近また活動が増えました。メダカのがっこうのもう一人の理事がご夫婦で始めたダーチャ構想に参加したのです。
 ダーチャとは、旧ソ連で始まった週末別荘。国が国民に郊外の農地を与え、小屋を建てて何でも手造りの生活を楽しんだり、作物を育てたりする制度です。旧ソ連では、国民の80%近くがダーチャを持っていて、金曜日にはダーチャ渋滞が起こったそうです。ソ連が崩壊し、経済が破たんした時に、国民がパニックにならなかったのは、ジャガイモの90%をダーチャで生産していたおかげだそうです。すべての国民が土と繋がることは、今の日本に必要だと彼は思ったのでしょう。「次世代のためには何でもやるじゃん」の本当に盛りだくさんの人生です。

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2015年1月20日

都会に居ても自給自足生活のおすすめ(Sさんの場合)

(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第4回です。2015年1月20日に掲載されました)

子育て介護を終えて、地球とみんなの元気のために生きる

 身が軽くて元氣の塊、メダカのがっこうにも、身体が不調で健康になりたくて参加してくる人と違って、最初から自給自足生活をするため、自分のスキルアップのために野草料理教室や手造り醤油などに参加してきたSさんの波乱万丈の人生をご紹介をします。

 Sさんは専業主婦でした。働くことが大好きで、結婚しても仕事を辞めたくなかったのですが、「お前は家を守ってくれ。子どもが独立して家から出るまではダメだ」というご主人の強い要望に応えたのです。そしてご両親の介護に専念しました。

 お父様が脳内出血で倒れ、全身マヒで入院し、食べられず、話せず、動けず、鼻から栄養を補給している時、お父様に対する処置がとてもおざなりに感じた彼女は、こともあろうに家に連れて帰りたいと病院に申し出ました。するとあなたでは世話ができないからダメだと言われ、半年間、看護師見習いとして病院で研修し、吸引から寝返りまでマスターしたのです。そこで病院から退院の許可をもらい、在宅介護をはじめました。お父様は彼女の手厚い介護を受け、半年後にお亡くなりになりました。一度思ったら目的達成するまで頑張る実行力が、彼女の魅力です。

 その後、お母様が衰弱して入院した時も、わがままな性格が理由で病院から退院させられたお母様を引き取り、最後まで在宅でお世話をしました。
 次に13年前、ご主人を肺がんで亡くされました。ご主人の場合は、会社の検診で発覚、精密検査の結果、余命半年~1年と言われましたが、入院せず最後まで会社に通い、床に就いてからは2~3週間でお亡くなりになったそうです。ご主人は、40代をご両親の介護で苦労した彼女に感謝し、「お母さんには苦労を掛けない」と言っていたそうですが、言葉通りの最期でした。3人の介護と見送りはさぞかし大変だったろうと思うのですが、そのことを聞くと、3人とも時期が重ならないで順番に逝ったから、それがお陰様だったというのです。

 ところが人生最大の苦難はこれからでした。Sさんには2人の娘さんがいらっしゃるのですが、その一人がある事件の犠牲になられたのです。そこからどう立ち直られたのかはわかりませんが、とにかく彼女は現在、自宅の庭で無農薬・無肥料の自然栽培を始め、そのお米や野菜を使って自宅を改造したレストランで、食べたらだれもが元氣になる一汁一菜のお店を開店する夢に向かって、着々と持ち前の実行力を発揮しています。

 彼女の食や健康に対する意識は、かなり筋金入りです。農家生まれで、ある程度田畑のことは分かっている彼女ですが、若いころから食に関心があって、もう30年以上も玄米を食べています。子育ての時代には、生協の運営委員をやり、ジュースの実験などで添加物のことはよく知っていました。ですから自分や子供たちは健康に全く問題がありませんでしたが、自然療法に関心があった彼女は、さらに自然療法を東条百合子さんや大森一慧さんから学び、家族の病気や病院嫌いのご主人を、手当法で介抱しました。

 現在60歳を超えた彼女の最大の目標は、自然栽培をマスターし、土の力を活かした素晴らしい米や野菜を作ること、そしてそれを料理したレストランでみんなに食べてもらうことです。その夢に到達するまでのいきさつは、人との出会いの連続でした。
 ご主人と娘さんを相次いで亡くされてから彼女は、パートの仕事を始めました。その仕事は大きなスーパーの検品係で、とても性に合い、働くのが楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。持ち前の向上心から、仕事の合間を見て、大森一慧さんのマクロビ料理教室に毎週通いました。ある日の教室で、ナチュラルハーモニーの河名さんの名前を聞き、自然栽培に興味があったので、さっそく紹介してもらい、今度は河名さんの銀座のセミナーに毎週通いました。その講座の中で、自然栽培の高橋博さんの存在を知り、ぜひともやってみたいと思い、半年の自然栽培を学べる塾に通い、今年から自宅の敷地内で自然栽培を始めました。同時進行でレストランの準備も始めたところです。自分の人生での良い出会いをどんどん活かして一直線に進んでいくのが彼女の生き方なのでしょう。

 そんな彼女が自然栽培の塾に通う前に、大好きな仕事を辞める決心ができなくて、踏み出せないでいた時期がありました。その時ちょうど私は田の草フォーラムの取材をしていたころで、彼女は自然栽培の高橋さんの草1本ない素晴らしい田んぼの話を目を輝かせて私にしてくれたのです。「そんなに素晴らしいなら、今すぐやった方がいいよ」と思わず私は言いました。その一言で彼女は仕事を辞めて自然栽培に取り組む決心をしたそうで、いつも、中村さんがいなかったら今の私はいないと言ってくれるのです。でも自分にとって必要な人や言葉との出会いを活かすことができる彼女が、素晴らしい人生を自ら引き寄せているのは明らかです。

 子育てと介護を終えて、地球とみんなの元気のために生きようとしている彼女、何だか私の同志のような気がする人です。 

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2014年12月20日

都会にいても自給自足生活のおすすめ(Yさんの場合)

(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第3回です。2014年12月20日に掲載されました)

東京から移住、田舎で子育てをするホームページビルダー

 今回は、メダカのがっこうのホームページを作ってくれているYさんのお話です。彼女との出会いは、メダカのがっこうを始めた2001年頃、彼女が主催していた満月の会でした。チェルノブイリ原発事故の後、100万本のキャンドルナイトという市民運動が起こりましたが、彼女はこれにヒントを得て、満月の日は電気を消して月光の下、ローソクの火を囲んでお話ししようと始めた会。場所は井の頭公園の隣にあるジブリの森、メンバーは口コミで誰でも1品持ち寄りならOK、私はおでんやぬか漬けを持って時々出かけましたが、面白い人や意外な人に出会えて刺激的な集まりでした。異業種交流を超えた異次元異人種交流の場とでも言ったらいいでしょうか。

 冬水田んぼの生物多様性に魅せられて、メダカのがっこうを始めたばかりの私は、一生懸命感動したこと、これからやりたいことなど、会う人毎に話しました。それを聞いていたYさんは、「私、メダカのがっこうのホームページが作りたい」と言ってくれました。彼女はご夫妻でホームページを作るお仕事している方だったのです。お二人とも頭脳明晰な方たちで、メダカのがっこうの趣旨と膨大な活動内容を理解してくれて、とても良いホームページを作ってくれました。その中で“生きものいっぱいの田んぼのレシピ”なども簡潔にまとめてくれました。

 ちょうどそのころ彼女は一人目の子供を妊娠、出産。こどもを育てる場所を考え始めていました。食べるものを自然食品屋さんで買う生活も悪くはないけれど、自分の食べるものは自分で作る生活がしたい。メダカのがっこうなどの自然環境再生の活動を発信するホームページを作りながら、東京の事務所で夜遅くまで仕事をしているという裏腹な生活。また経済的にも都会で仕事を続けるのは大変で、事務所と住居を借り、保育園に通わせ、人を雇うと、2ヵ所の家賃、保育料、人件費などを毎月の支払わなければなりません。仕事の内容は素敵なのに、自分たちが都会でやせ細っていくのは良くないなと思いました。

 もちろん実行前には漠然とした不安もありましたが、それと同時に「ひょっとして町に住んでいないと仕事はできないと思い込んでいるだけなのかも知れない」「農業にしても神様はそんなに難しくしていない。やりさえすれば何かしらできるはず。昔からみんながやってきたわけだから、そんなに難しいはずがない。ちょっと忘れているだけ」という思いも頭に浮かびました。「とにかくわからなくても飛び込んでみればいい」という“お金ではない食べていける世界”を信じる気持ちになっていました。

 都会暮らしに疑問を感じた決定的な出来事もありました。ベランダのコンポストで生ごみを処理していたらよい土がたくさんできたので、その土を自然に返そうと思い、井の頭公園の係りの人に電話したところ、公園に土を撒いてはいけない決まりがあると言われ唖然としたことです。やはり、都会では循環の輪をとじることはできないのかと思いました。

 そうこうしているうちに、2人目が生まれました。このままだとズルズルと東京の生活にからめ捕られてしまう。この子が1歳までに田舎に移住しようと心に決めました。仕事と生活に追われてなかなか本気で探しに行かなかった田舎の古民家を見に行って決めました。
 移住先は山梨県北杜市になりました。最低限の改修工事にお金がかかることもあり、お金が底をつく前に移住しなければならず、本当なら春にしたかった引っ越しでしたが、寒さが厳しくなる11月になってしまいました。初めの冬は寒さに泣きました。突然の環境の変化に下の子は喘息やしもやけになりました。ですから春が来たときはうれしかったです。

 畑の方は、冬のうちから家の前の畑に枯葉を積んで準備をしてあったので、春になって早速始めました。地元には三井和夫さんという自然農の師匠がいて、研修生になろうと思いましたが、「とにかくやってみなさい。そしてわからないことがあったら、その都度応じていきましょう」と言ってくださり、わからないことは聞きながら始めました。畑は肥料やマルチを買ってくるような余計なことはしないで、何も買ってこないでしようと思いました。すでに与えられているものがあるという感覚がありました。

 畑が軌道に乗って4~5年してから田んぼを始めました。やはり主食を作れれば安心です。田んぼは水の問題があるので、近所の人との関係ができてからでないと無理でした。
 今年は無農薬自然栽培だと困る田の草対策のため、深水に耐える畦(あぜ)塗りをし、畔豆(大豆)も植えました。これで味噌を造ります。近所の人は除草剤を使うので深水の必要はなく畔塗などしませんが、また何か面白いことを始めたようだと、Yさん一家を温かく見守ってくれています。ちょっと変わったよそ者として認めてくれているようです。

 移住の一番の目的の子育てですが、期待以上です。一度に改修工事ができないため、一部分ずつ家を直しながら住んでいることも、薪を用意する仕事も、また田んぼ作業も、畑仕事も、子どもたちを育ててくれます。お小遣い制度がないため、長男は新聞配達、次男は家族で作ったもち米でチマキを作って売って自分の使えるお金を溜めています。親と学校だけではこういう風には子どもは育たないと思うので、本当に良かったと思っています。

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2014年11月20日

「自給自足くらぶ」でどんどん幸せに

(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第2回です。2014年11月20日に掲載されました)

  今回は、1年半前に緑内障がきっかけで、若杉友子さんに出会い、メダカのがっこうの活動にかなりディープに参加されるようになったIさんをご紹介します。

 彼女は大手企業の経理部長までされたキャリアウーマンで、仕事で生きていこうと思っていたそうですが、よくよく考えてみると結婚は人生の選択科目ではなく必修科目ではなかったかと思い、10年ほど前に婚活を開始。3年半前に今の音楽家のご主人と結婚されました。それまで一人暮らしの時には、自分の健康を考えて肉を少なめに野菜中心の食生活を心掛けていたのですが、慣れない結婚生活でのストレスは相当なもので、それが崩れてしまいました。豚肉の美味しい群馬県に嫁いだこともあり、しゃぶしゃぶやらアイスクリームや甘いものが止められなくなったのです。

 そうこうしているうちに1年半前、緑内障が発覚。本屋で若杉友子さんの『長生きしたけりゃ肉は食べるな』(幻冬舎)に出合い、全著書を読破。その時、メダカのがっこうの存在を知りました。さて本格的な食による心身の立て直しを始めましたが、肉を止め、ストイックな生活はどこか違うと感じ、「あなたと健康」の東城百合子さんの料理教室に1年通ったり、マクロビオティックの久司道夫さんの講演を聴いたり、兎龍都さんの教室に行ったりしているうちに、偏ったことはしないで、祖母の時代の生活に近づければよいのではないかと思うようになりました。祖母の時代は晴れの日には肉も食べ、週に1度はお魚も食べていました。飽食の現代ですが、昔を思い出し、玄米とお味噌汁中心の一汁一菜を基本に、バランスのとれた食生活をしようと頑張り始めました。

 彼女はこれ以前にも何回か大変な努力をしたことがありました。10年前に婚活を始めるまでに、タバコをやめておこうと、1カートンを持ち歩くほどヘビースモーカーを止めた時はとても苦しかったです。また頭皮にアトピーもありステロイドを10年くらい使用していましたが、それを止めた時も大変でした。

 しかし今回の食生活改革は、メダカのがっこうの自給自足くらぶの活動の中で、仲間と一緒にチャレンジしていくことばかり、本当に楽しいそうです。
 彼女曰く、「以前から味噌は作っていましたが、いつも食べているメダカのがっこう米で麹造りからする味噌造りの2泊3日の合宿は、麹の温度管理を交代でしたり、育っていく様を素手で感じたり、思いが似ている他の参加者の話を聴いたりと本当に楽しかったです。
 また醤油のことですが、まさか自分が醤油麹とこだわりの塩でモロミを作り、1樽の醸造の世話ができるとは思わず、これで3月には30升の醤油が搾れるとは本当に驚きです。

 12月のたくあん作りも青首大根ではなく首まで土に埋まっている漬物用の大根と、擦りたてのメダカのがっこう米の糠と昆布と無農薬のみかんの皮など吟味した原料だけで、砂糖ゼロなのにほんのり甘いたくあんができるのも本当にうれしい。6月にメダカのがっこうで教えてもらった梅干し作りで、自分の家の庭の梅を60kgも漬けましたとのこと。何から何まで手造りの贅沢な粗食生活は、楽しくてやめられません。

 実は彼女は「都会に居ても自給自足生活」のパターンではなく、群馬県の庭の広い家に嫁いだので、田舎で自給自足生活ができる人なのです。しかし、3年前に嫁いだときには、広い庭をもてあまし、草むしりが大変だと厄介に思っていました。しかしメダカのがっこうで野草の料理の仕方を知ると、ミョウガとかフキの自生している場所や、野草の存在に気が付き、この庭が宝の山に見えてきました。ビワの葉もスギナもふんだんにある庭です。
 梅干しも家の庭にある無農薬の梅の実で梅干しを漬けることができましたし、たくあん漬けも昨年覚えたので、今年は畑で栽培した大根でたくあんを漬ける予定です。

 緑内障ですが、2ヵ月に1回の検診を受けつつ、昨年の12月に薬を止めましたが進行は止まっており、徐々に明るい光が戻りつつあります。これには食養や手当法だけでなく、塩と苦汁で作った塩ローションを目薬にしていることも効果があるかもしれません。また糖尿病であった主人は、体重が10kg近く減り、6以上で糖尿病だと言われているチェック数値HbA1c(ヘモグロビン・エイワンシー)が7.8から5.8に下がりました。

 結婚して3年半、彼女は最近結婚して本当によかったと思うようになりました。こうして人生のパートナーとして人と関わることの大切さと良さが分かるようになり、それを体験できてよかったと思っています。また子どもも育ててみたかったのですが、自分たちの子どもはいないので、親戚の喘息の親子を何日か食養と手当でお世話したりしています。
 これには、自分が今まで体験した食養や効果があった手当法を自信を持ってさせていただいているとのこと、そしてこういうものに出合えたのは緑内障になったおかげだと思うと、緑内障になってよかったのだと考えるようになりました。

 最近、彼女は自分の7年余りにもなった婚活の豊富な経験を活かし、おせっかいおばさんを始めました。結婚しない幸せは大きな勘違いだと彼女は言い切ります。そして、いろいろな教室にやってくる以前の自分のような仕事人間の独身女性に、結婚の良さを伝え、パートナーを探している将来有望な農家の後継ぎの方などに引き合わせたり、迷っている人の背中を押したりしています。素晴らしいおせっかいおばさんの誕生秘話でした。

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