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中村陽子のコラム

2011年1月16日

見えてきたメダカ流自給自足の形

企業から家業へ
 メダカのがっこうの自給自足の師匠、若杉ばあちゃんは、命を支える食は経済効率を追及せざる終えない企業に任せるのは止めて、命を優先する家業で作るべきだと提案し、実践に移しています。それに続く私たちも、2010年自給自足くらぶを結成、米だけでなく基本的な調味料や食材を作り始めました。
今年メダカのがっこうで会員農家が作ったすべて無農薬・無化学肥料の最高に贅沢な材料で、味噌、醤油、梅干、どぶろく、コンニャク、たくあんと作った人は、生きる力がかなりアップしたと思います。そして面白くてたまらなくなったでしょう。買う生活は楽ですが、その楽な暮らしにもう戻りたいとは思わないでしょう。
 それに少し困ったことに、味の違いが分かってしまうと、買ったものが食べられなくなってしまうのです。味の違いはすぐ分かります。つい先日醤油搾りの仲間と、搾りたての醤油を湯飲みに少しいれお湯を注いで飲んでみたところ、まるで昆布だしで作ったお吸い物のようにおいしいので、みんなで感動しました。これと同じことを市販の醤油で行うと、いろんな添加物が薄まって気持ち悪い味になって飲めたものではありません。米と塩と調味料は、自分で作るか、作る人と深く関わって仲間になるしかないと思いました。
 さて、その自給自足の仲間作りには醤油造りが最適ではないかと最近思うようになったので次にそのことをお話しましょう。
新しい村、新しい結(ゆい)になっていくかも
 味噌や梅干や漬物などは1人でも作れますが、醤油搾りは皆で協力し合わなければ出来ません。搾り師を中心に、早朝から大量のお湯を沸かし、湯を運び、搾り終わったら搾り袋をひっくり返してモロミ粕を出し、袋を3回洗いして干し、醤油を釜に入れて火をいれ、60度まではゆっくりと、その後は88度まで一気に炊き上げ、さっと火を落とし、棒目計で比重を計り棒目1.7で最後の調整をする。皆がすべての行程を理解し、気をつけ、指示されなくても声を掛け合って働き、それぞれが持ち寄ったモロミが次々とおいしい醤油に生まれる変わる場に立ち会い喜び合う。現代では都会でも田舎でも味わうことが出来ない共同作業の喜びがここにはあります。1度味わうと病みつきになるほど身体は大変なのに楽しい時間なのです。醤油造りは私の両親の時代も村仕事だったようです。今ではなくなってしまいましたが、私たちの活動から生まれたこの仲間は、新しい村、新しい結(ゆい)のような存在になっていくのではないでしょうか。
各地に広がる醤油師たち
 醤油造り2年目にして、綾部は既に独自で搾りはじめています。また、伊豆大島の阪本さんも、大田原の2大農家、水口さんと杉山さんも自給自足会社をめざす佐藤さんも、味噌造りの山崎さんも、地元の核となって始めたいという希望をもっているので、岩崎先生から醤油搾りの研修をしていただきました。それぞれの方は自分で何でも工夫して作れる兵ばかりですので、さっそく醤油搾りの舟の設計図を元に、搾り船を作る予定です。この世界に企業秘密はありません。それは萩原師匠の精神を継承している岩崎先生が、みんなが醤油搾り師となって、それぞれの地域の手造り醤油の中心になってほしいと願っているからです。
見えてきた自給自足の形と価値観
 自給自足体制は1人や1家族ではできません。農薬・化学肥料を使わないで命を大切にしている農家と提携する必要があります。調味料に至っては、大豆、小麦などを有機栽培か自然農法で作ってくれる農家、私たちの活動を理解してくれる麹屋さん、日本の海水で塩を作ってくれる塩屋さん、皆が集まれる場を提供してくれる人たちと仲間を作ることで手造り体制をすることができます。
 そしてその仲間たちを結ぶためには、とても大切な価値観がひとつあります。それは、
①日本人の健康を支える根本的な食、米、塩、味噌、醤油などに関しては、優先的に予定を組み、市場経済からはずして考えること。
②一人ひとりが、醤油搾りの萩原忠重さんのような独立独歩、独学の精神を忘れず、先駆者への感謝を忘れないこと、そして、お金さえ出せばいいだろうという考えを捨てること。
③常に自分の頭で考え、仲間のことを思いやり、自分が出来る無償の働きを惜しまないことです。
 各県、各地域に生まれようとしている醤油搾り師を核として、必要な時だけメダカのがっこうがお手伝いして仲間作りをし、定期的に情報交換の場を設ける。企業から家業へのビジョンがかなり具体的になってきたでしょう。これがメダカのがっこうの活動を通して、見えてきた自給自足の形です。