水の心は命を育む
水の心は「命を育む」、これは夢物語だと思ってもらっていいのですが、ある日、ある人が、水が泣いているような気がしたので、どうしてなのか聞いてみると、このごろ自分たちに人を癒す力がなくなっていることを悲しんでいました、でも水源や湧き水はまだきれいなんでしょう、と聞いてみると、それも力が落ちているといって嘆いていました。えっ、それで水は怒っていないの、どうして、汚したのは人間じゃない、それなのに、人を癒したいなんて思っているの、ワァー、と涙なみだ、ごめんなさい、ごめんなさい、・・・ありがとう、ありがとう、・・・
この事件は私の感性を変えてしまいました。この日から、不本意に塩素消毒されている水道水にも、農薬が溶け込んでいるであろう野菜の中の水にも、謝罪と感謝の気持ちが湧いてきてしまいます。薄い塩水で労をねぎらってから料理するようになりました。
地球緑化・粘土団子の旅
粘土団子で種を包み、砂漠化の進む地球に、鳥になって種を蒔き、もう一度地球を緑の楽園にしようと世界に働きかけている福岡正信さんと本間裕子さんが、中国から帰ってきました。以下は彼女の報告を要約したものです。
『皆様が集めてくださった種のうち9.4トンは、今年2月6日に北京に向けて高知を出港し、北京から更に列車とトラックで20時間あまりの内モンゴル地区のゴビ砂漠に届いていました。そこで現地の選ばれた30人の女性と一緒に粘土団子を作り、蒔きました。
ありがとうで時空を越える
先日、粘土団子に使う種集めをしました。利根川土手に数純Lロにわたって繁殖しているのカラシ菜の種です。朝から雨が降っていたにもかかわらず、たくさんの人が来てくれました。
人の背丈ほども伸びて種をいっぱいつけたカラシ菜の種は、触れると弾けてしまうものも多く、雨に濡れたカッパには赤い小さな種が唐閧ツきました。野生のカラシ菜の種です。さぞかし辛いでしょう。春に出る可愛い双葉も辛いので、鳥には食べられにくいかもしれません。
種集めのあと、集会場で福岡正信さんを囲む会をしました。
人間にできること
福岡正信さんは、25歳のある日、自然の完璧な設計図を観たらしい。人間が手を加えるところなど何もない、何をしても余計なこと、無駄、何もしないのが一番いい世界。それから彼は、今までの農業から、あれもしなくても良いのではないか、これもしなくても良いのではないか、と止めていった結果、不耕起、不施肥、無除草、無農薬となりました。これは近代農法から健康に悪そうなものを除いていく現代の自然農法とは根本的に違います。農薬を我慢するのではなく、必要としない、また除草剤を我慢するのではなく、草の働きを知って利用する。不耕起から始めると、自然に必要なものがなくなり、すべてが理にかなっているので無理なく良い流れに入ることができるのです。
耕すと言う自然破壊から出発した文明とは、その起源から違うこの流れを仮に「耕さない文明」と呼ぶことにします。耕さない文明系の医学や教育はどういうものなのでしょうか。考えてみると私は既にいくつかの事例に会っています。
耕さない文明
農業を耕さないということから始めたらどうなるのか、を現実に見せてくれたのが、福岡正信さんの粘土団子と、岩澤信夫さんの自然耕です。
粘土団子はシンプルですがとても高度な農業技術で、種の力を100%引き出して、地球の砂漠緑化をしています。厳しい自然におかれた種は、不用意に芽を出したりしません。まずすべてのエネルギーを一本の主根に託し、水脈を探します。水を確保したら芽を出し、強風に耐えるため茎を太くし、生きるのが厳しいときほどたくさんの花を咲かせ種をつけます。緑の面積がある水準を越えると、雨を呼び自らの生きる環境さえ改善します。
自然耕はイネの力を100%引き出す農業技術です。もともと岩澤さんは、冷害に強い米作りを研究していたとき、福岡さんの自然農法に出会い、その大原則の不耕起から始めてみたのです。この成果が目に見えたのが1993年の大冷害のとき、このとき、東北から関東までの稲は、それぞれに花の咲く時期を調節して実をつけたのです。野生の雑草に冷害が無いのと同じようにイネが野生の記憶を取り戻したのです。
立上る雑草
1946年の「採集と飼育」という雑誌に「立上る雑草」という題名で、広島に原子爆弾が落ちたあとに生えはじめた雑草を調べて記録してくれた人がいます。結城一雄さんという方です。当時の様子がよく伝わってくるので彼の文章を引用します。
「広島の焼野が原は、原子砂漠といわれていますが、その原子砂漠に今や数々の雑草が雄雄しく立上がっています。閃光一瞬、広島の人たちが被ったごとく、かれら雑草の大半は死滅したものと思われていました。当時の強烈なウラニュウムの放射は、広島に70年間生物を住まわしめぬだろうとさえ言っていましたが、広島復活の先駆は、実にナズナ、ウマゴヤシなどの雑草たちによってなされたのです。爆心地の湖畔から広島城一帯のかれらの繁茂は驚くほどです。緑に飢えた砂漠の人々のオアシスとなっているのです。スクスクと何物にもひるまない逞しいかれらの成長は、戦の疲れから抜けきらない人たちへの無言の教示とも言えましょう。」と彼は爆心地から1500m圏内の草を調べています。
メダカの学校
この夏、自然耕(不耕起栽培)の田んぼでメダカの繁殖に成功したことを知り、20匹程もらいに行きました。この夏だけで一万匹以上のメダカを養子に出したそうです。メダカは今年、環境庁のレッドデータ-ブックの絶滅危惧種�に載りました。それを知った不耕起栽培普及会会長の岩澤信夫さんが、今まで田んぼに生き物たちの循環を作り、命をたくさん蘇らせ育んできた経験を生かして、メダカを復活させたのです。
人間の素晴らしさ
生命連鎖の中にいる生き物自身は、別に次の生命の餌になろうとか、役に立つ死に方をしようとは、思っていないでしょう。しかし、自然界では、植物が光合成によって、澱粉などの形にした太陽エネルギーを出発点として、次々と生物が食べて生きる糧とし、死骸という形あるエネルギーが残っているうちは、それを使って生きる生命が現れて、最後に菌により無機(=無気、エネルギーがゼロ)になるまで分解されます。
良い土で、理想的に出来たにんじんは、酸性土壌を改良してくれたススキや茅、カルシウムを作ってくれたスギナ、春先寒さから守ってくれたハコベや、土を作ってくれた土壌動物や菌の働きに感謝したりはしません。
しかし人間には、このつながりが見えます。
生きる感性
江戸時代末期に起きた天保の大飢饉を察知し、小田原藩の大難を小難にしたのは、二宮尊徳の味覚だったと言う有名な話があります。ちょうど田植えが終わったころ、彼が初ナスの漬物を食べていると、秋茄子の陰の味がしました。すぐさま田んぼを見て回ると稲の根が伸びておらず、野山の草木は秋の準備をしているし、秋のせみであるツクツクボウシが鳴いていました。今年はもう夏がこないと察知した彼は、早速小田原藩に進言、稗、粟、蕎麦を植えたものは年貢を払わなくても良いと言う思い切った政策をとり、徹底させたのです。その年は天保の大飢饉で大変な餓死者が各地に出たにもかかわらず、小田原藩は何とかしのぐことが出来ました。(6月号の赤峰さんのなずな新聞と、6月12日研究会講師の廣野さんが、同時にこのお話を取り上げています)
