次世代のために「なんでもやるじゃん」メダカのがっこうの 理事Mさん紹介
(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第5回です。2015年2月20日に掲載されました)
メダカのがっこうの理事Mさんは、山梨県白州町に五風十雨農場という自給自足の里を拓いています。五風十雨とは観音経に出てくる理想郷で、5日に1回風が吹き、10日に1回雨が降るという穏やかな郷、これは地球全体の気候が穏やかでないと実現しない世界です。
ここに「鼓腹亭」という小屋が建っているのですが、この小屋ひとつにも彼のポリシーが詰まっています。原料の木材は、3km以内の杉の木を11月の新月の日に谷側に切り倒し、枝葉を付けたまま乾燥させた丸太です。彼はこれを実行するために、新月の木国際協会で勉強し、現認者の資格を取りました。現認者というのは、釣りの世界の証明人のことですが、これを応用し、この木材は確かに何月何日の新月伐採で正しく処理された木材であることを証明することができる人のことです。
彼はこれらの丸太を使い、チェーンソウだけで小屋を建てました。小屋と言っても大黒柱になる木は2人で手を伸ばしてやっとという太さで、その木に合わせて高さと大きさが決まった小屋なので、ロフトだけで20人は寝られます。
ここは水もエネルギーも自給できる郷です。水は貯蔵タンクにためた山の水と井戸水。台所はかまど、部屋は薪ストーブ、薪は近くの山を掃除して得た木材、巨大な薪置場と炭焼き小屋が同じ敷地にあります。鼓腹亭に泊まると、ヌカクドという籾殻(もみがら)を炭にするときに出るガスだけでご飯を炊く道具があり、籾殻の量を加減すれば自動炊飯器のように簡単に美味しいご飯を炊くことができます。ヌカクドの残る籾殻燻炭(くんたん)は、苗床の土にするなど、米づくりには欠かせないものです。いつも鼓腹亭に泊まる時は、畑の野菜と手造り味噌で具だくさんの味噌汁を作って贅沢な一汁一菜の食事を頂きます。
小屋の西側の山には3枚の大きな田んぼがあり、地元の品種「さとじまん」というお米を作っています。近くの畑では大豆を造り、この大豆で大量の味噌を仕込みます。また、メダカのがっこうの醤油造りの拠点として、醤油麹仕込みと、1年後の醤油搾りの会場になっています。この農場では遺伝子組み換えの作物は作りません。田んぼの生きもの調査や植生調査、大地の呼吸を取り戻すための大地の再生講座もやっています。
Mさんが塗料会社の経営者だった時代、地球のためには経済活動が小さくなることが必要だと、目標をマイナス成長に置いて話題になりました。日本の中小企業で初めてISOの資格を取りました。天水利用、アイドリングストップ、配達コースの見直し、裏紙使用、使用する机の上の電気だけ点ける紐スイッチ、マイナス売上を目標にしても、経費節減で利益が上がります。社員をオイスカの植林に送り込んだりしていました。地球村の高木善之さんが最も尊敬する経営者だと評しました。息子さんに後継を譲ってからは、本格的に五風十雨農場で次世代のために美しい地球を残す活動を始めました。
ところが、ここで彼は重いうつ病に罹ります。人はなぜうつ病になるのでしょうか?
世界で一番うつ病に罹りそうもない人だと思っていたので、私には関係ない病気だと思ってはいられないのだと少し不安になりました。自殺願望が強く危険なので入院しました。
メダカのがっこうの理事も辞めたいと言っていましたが、「いつ辞めてもいいけど今はお休みしていて」と言って待ちました。本当に何もできませんでしたが、なぜか少しずつ元気になり、ある日全快しました。
回復してからの彼は以前にも増してフル回転を始めました。2014年から「ありがとう笑い共和国」を建国し、酋長に就任しました。笑ヨガも始めました。鼓腹亭の上の方には、チベット仏教に倣ったマニ車を造り、水車で回しています。お経の代わりにみんなに書いてもらった「ありがとう」の紙を入れて回しています。マニ車は1回転で100倍のご利益があるといわれており、1日1万回まわるので、1つの「ありがとう」が1日100万回天に届くことになります。彼は五風十雨農場を「ありがとう」の発信基地にしました。
福島の子どもたちの保養キャンプも年数回行っています。昨年の夏休みは、郡山と須賀川からの7家族を受け入れました。
毎週金曜日18時から、「甲府でもやるじゃん」という原発反対のデモをやっています。2月末で130回目以上。原発を止めさせてから死ぬ予定だとか。
ごくごく最近また活動が増えました。メダカのがっこうのもう一人の理事がご夫婦で始めたダーチャ構想に参加したのです。
ダーチャとは、旧ソ連で始まった週末別荘。国が国民に郊外の農地を与え、小屋を建てて何でも手造りの生活を楽しんだり、作物を育てたりする制度です。旧ソ連では、国民の80%近くがダーチャを持っていて、金曜日にはダーチャ渋滞が起こったそうです。ソ連が崩壊し、経済が破たんした時に、国民がパニックにならなかったのは、ジャガイモの90%をダーチャで生産していたおかげだそうです。すべての国民が土と繋がることは、今の日本に必要だと彼は思ったのでしょう。「次世代のためには何でもやるじゃん」の本当に盛りだくさんの人生です。
都会に居ても自給自足生活のおすすめ(Sさんの場合)
(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第4回です。2015年1月20日に掲載されました)
子育て介護を終えて、地球とみんなの元気のために生きる
身が軽くて元氣の塊、メダカのがっこうにも、身体が不調で健康になりたくて参加してくる人と違って、最初から自給自足生活をするため、自分のスキルアップのために野草料理教室や手造り醤油などに参加してきたSさんの波乱万丈の人生をご紹介をします。
Sさんは専業主婦でした。働くことが大好きで、結婚しても仕事を辞めたくなかったのですが、「お前は家を守ってくれ。子どもが独立して家から出るまではダメだ」というご主人の強い要望に応えたのです。そしてご両親の介護に専念しました。
お父様が脳内出血で倒れ、全身マヒで入院し、食べられず、話せず、動けず、鼻から栄養を補給している時、お父様に対する処置がとてもおざなりに感じた彼女は、こともあろうに家に連れて帰りたいと病院に申し出ました。するとあなたでは世話ができないからダメだと言われ、半年間、看護師見習いとして病院で研修し、吸引から寝返りまでマスターしたのです。そこで病院から退院の許可をもらい、在宅介護をはじめました。お父様は彼女の手厚い介護を受け、半年後にお亡くなりになりました。一度思ったら目的達成するまで頑張る実行力が、彼女の魅力です。
その後、お母様が衰弱して入院した時も、わがままな性格が理由で病院から退院させられたお母様を引き取り、最後まで在宅でお世話をしました。
次に13年前、ご主人を肺がんで亡くされました。ご主人の場合は、会社の検診で発覚、精密検査の結果、余命半年~1年と言われましたが、入院せず最後まで会社に通い、床に就いてからは2~3週間でお亡くなりになったそうです。ご主人は、40代をご両親の介護で苦労した彼女に感謝し、「お母さんには苦労を掛けない」と言っていたそうですが、言葉通りの最期でした。3人の介護と見送りはさぞかし大変だったろうと思うのですが、そのことを聞くと、3人とも時期が重ならないで順番に逝ったから、それがお陰様だったというのです。
ところが人生最大の苦難はこれからでした。Sさんには2人の娘さんがいらっしゃるのですが、その一人がある事件の犠牲になられたのです。そこからどう立ち直られたのかはわかりませんが、とにかく彼女は現在、自宅の庭で無農薬・無肥料の自然栽培を始め、そのお米や野菜を使って自宅を改造したレストランで、食べたらだれもが元氣になる一汁一菜のお店を開店する夢に向かって、着々と持ち前の実行力を発揮しています。
彼女の食や健康に対する意識は、かなり筋金入りです。農家生まれで、ある程度田畑のことは分かっている彼女ですが、若いころから食に関心があって、もう30年以上も玄米を食べています。子育ての時代には、生協の運営委員をやり、ジュースの実験などで添加物のことはよく知っていました。ですから自分や子供たちは健康に全く問題がありませんでしたが、自然療法に関心があった彼女は、さらに自然療法を東条百合子さんや大森一慧さんから学び、家族の病気や病院嫌いのご主人を、手当法で介抱しました。
現在60歳を超えた彼女の最大の目標は、自然栽培をマスターし、土の力を活かした素晴らしい米や野菜を作ること、そしてそれを料理したレストランでみんなに食べてもらうことです。その夢に到達するまでのいきさつは、人との出会いの連続でした。
ご主人と娘さんを相次いで亡くされてから彼女は、パートの仕事を始めました。その仕事は大きなスーパーの検品係で、とても性に合い、働くのが楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。持ち前の向上心から、仕事の合間を見て、大森一慧さんのマクロビ料理教室に毎週通いました。ある日の教室で、ナチュラルハーモニーの河名さんの名前を聞き、自然栽培に興味があったので、さっそく紹介してもらい、今度は河名さんの銀座のセミナーに毎週通いました。その講座の中で、自然栽培の高橋博さんの存在を知り、ぜひともやってみたいと思い、半年の自然栽培を学べる塾に通い、今年から自宅の敷地内で自然栽培を始めました。同時進行でレストランの準備も始めたところです。自分の人生での良い出会いをどんどん活かして一直線に進んでいくのが彼女の生き方なのでしょう。
そんな彼女が自然栽培の塾に通う前に、大好きな仕事を辞める決心ができなくて、踏み出せないでいた時期がありました。その時ちょうど私は田の草フォーラムの取材をしていたころで、彼女は自然栽培の高橋さんの草1本ない素晴らしい田んぼの話を目を輝かせて私にしてくれたのです。「そんなに素晴らしいなら、今すぐやった方がいいよ」と思わず私は言いました。その一言で彼女は仕事を辞めて自然栽培に取り組む決心をしたそうで、いつも、中村さんがいなかったら今の私はいないと言ってくれるのです。でも自分にとって必要な人や言葉との出会いを活かすことができる彼女が、素晴らしい人生を自ら引き寄せているのは明らかです。
子育てと介護を終えて、地球とみんなの元気のために生きようとしている彼女、何だか私の同志のような気がする人です。
私のナウシカプロジェクト
私は光合成ができる植物に畏敬の念を持ち、独立自営農民を最も自由に生きる力がある人だと憧れていた少女だったが、30歳で3人目の子どもを産んで育てていた頃、宮崎駿さんのアニメ「風の谷のナウシカ」に出会った。知らない方のために少し解説すると、この映画は、核戦争後の汚染された地球が舞台で、そこには腐海というカビの世界が広がり、大型の虫が棲み、人間の村や町を飲みこもうとしていた。ナウシカは辺境の地、風の谷の王女。幼い時から腐海の虫たちと交信できる少女で、腐海の存在理由を考え続けていた。ある時、腐海の底に落ちた彼女は、底の土や砂が浄化されていることを知り、腐海のカビや石化した樹木が実は地球を浄化していること、虫たちがその世界を守っていることを発見する。そうとは知らない愚かな人間たちは、ただ腐海を焼き掃い、虫を殺そうとするが、旧時代の遺物である核兵器をもってしても虫たちの暴走は止められない。最後の場面、怒りで真っ赤な目になった虫たちが風の谷に向かって暴走している時、ナウシカが捉えられていたその虫の子どもを取り戻し群れの前に返す。すると、しだいにその子の周りから怒りの赤色が消え、群れ全体に友愛の青い光が広がっていく。
以来、私の敬愛する人はナウシカになり、母なる地球の声を聴いて手足となって働きたいと願うようになった。長男の不登校も私のエリート意識を粉砕してくれた。次に共感したのは、百姓・赤峰勝人さんの、すべては調和を取り戻すために訳あって存在するという神草さん、神虫さん、神菌さんの自然観だ。ナウシカの世界が現実になったと思った。そして47歳の時に足元から緑の水面が地平線まで広がっていくビジョンを見て、田んぼだと直感し、瑞穂の国の国産みを意識した。これが14年前のメダカのがっこうの設立につながった。
大地との絆を取り戻すことは、破壊的なエネルギーではできない。1つの命を確実に返していくこと、それには、1つ1つの田んぼに生物多様性を取り戻していくことが肝心だ。生きもの殺す赤い光の田んぼを、生きものを活かす青い光の田んぼに変えていく。この青い光を1つ1つ広げていくことをイメージして。とても地道な活動だがこれしかない。
私のナウシカプロジェクトは「草も虫も人もみんなが元氣になれる田んぼがある。」
このコンセプトで決めたメダカのがっこうのお米の価値基準は3つ。
- 農薬・化学肥料を使わず生きものに配慮した田んぼづくりをした結果、その田んぼから生物多様性が復活し、その地域の自然再生の拠点となっていること。
- そのお米農家が後継ぎが出来るくらい収入が安定し喜んで働いてくれていること。
- 食べた人がおいしくて元氣になるお米であること。
③の食味と健康を求める消費者は多いが、①と②をお米の選択条件に入れてくれている消費者はお米くらぶ会員くらいで、まだメダカのがっこう会員の4分の1以下と少ない。しかし①と②こそ、ナウシカプロジェクトには欠かせないものだ。
皆様、どうぞお米くらぶ会員になって、日本人の食生活で一番大切なお米をメダカのがっこう米にして、私のナウシカプロジェクトに協力してください。よろしくお願いします。
都会にいても自給自足生活のおすすめ(Yさんの場合)
(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第3回です。2014年12月20日に掲載されました)
東京から移住、田舎で子育てをするホームページビルダー
今回は、メダカのがっこうのホームページを作ってくれているYさんのお話です。彼女との出会いは、メダカのがっこうを始めた2001年頃、彼女が主催していた満月の会でした。チェルノブイリ原発事故の後、100万本のキャンドルナイトという市民運動が起こりましたが、彼女はこれにヒントを得て、満月の日は電気を消して月光の下、ローソクの火を囲んでお話ししようと始めた会。場所は井の頭公園の隣にあるジブリの森、メンバーは口コミで誰でも1品持ち寄りならOK、私はおでんやぬか漬けを持って時々出かけましたが、面白い人や意外な人に出会えて刺激的な集まりでした。異業種交流を超えた異次元異人種交流の場とでも言ったらいいでしょうか。
冬水田んぼの生物多様性に魅せられて、メダカのがっこうを始めたばかりの私は、一生懸命感動したこと、これからやりたいことなど、会う人毎に話しました。それを聞いていたYさんは、「私、メダカのがっこうのホームページが作りたい」と言ってくれました。彼女はご夫妻でホームページを作るお仕事している方だったのです。お二人とも頭脳明晰な方たちで、メダカのがっこうの趣旨と膨大な活動内容を理解してくれて、とても良いホームページを作ってくれました。その中で“生きものいっぱいの田んぼのレシピ”なども簡潔にまとめてくれました。
ちょうどそのころ彼女は一人目の子供を妊娠、出産。こどもを育てる場所を考え始めていました。食べるものを自然食品屋さんで買う生活も悪くはないけれど、自分の食べるものは自分で作る生活がしたい。メダカのがっこうなどの自然環境再生の活動を発信するホームページを作りながら、東京の事務所で夜遅くまで仕事をしているという裏腹な生活。また経済的にも都会で仕事を続けるのは大変で、事務所と住居を借り、保育園に通わせ、人を雇うと、2ヵ所の家賃、保育料、人件費などを毎月の支払わなければなりません。仕事の内容は素敵なのに、自分たちが都会でやせ細っていくのは良くないなと思いました。
もちろん実行前には漠然とした不安もありましたが、それと同時に「ひょっとして町に住んでいないと仕事はできないと思い込んでいるだけなのかも知れない」「農業にしても神様はそんなに難しくしていない。やりさえすれば何かしらできるはず。昔からみんながやってきたわけだから、そんなに難しいはずがない。ちょっと忘れているだけ」という思いも頭に浮かびました。「とにかくわからなくても飛び込んでみればいい」という“お金ではない食べていける世界”を信じる気持ちになっていました。
都会暮らしに疑問を感じた決定的な出来事もありました。ベランダのコンポストで生ごみを処理していたらよい土がたくさんできたので、その土を自然に返そうと思い、井の頭公園の係りの人に電話したところ、公園に土を撒いてはいけない決まりがあると言われ唖然としたことです。やはり、都会では循環の輪をとじることはできないのかと思いました。
そうこうしているうちに、2人目が生まれました。このままだとズルズルと東京の生活にからめ捕られてしまう。この子が1歳までに田舎に移住しようと心に決めました。仕事と生活に追われてなかなか本気で探しに行かなかった田舎の古民家を見に行って決めました。
移住先は山梨県北杜市になりました。最低限の改修工事にお金がかかることもあり、お金が底をつく前に移住しなければならず、本当なら春にしたかった引っ越しでしたが、寒さが厳しくなる11月になってしまいました。初めの冬は寒さに泣きました。突然の環境の変化に下の子は喘息やしもやけになりました。ですから春が来たときはうれしかったです。
畑の方は、冬のうちから家の前の畑に枯葉を積んで準備をしてあったので、春になって早速始めました。地元には三井和夫さんという自然農の師匠がいて、研修生になろうと思いましたが、「とにかくやってみなさい。そしてわからないことがあったら、その都度応じていきましょう」と言ってくださり、わからないことは聞きながら始めました。畑は肥料やマルチを買ってくるような余計なことはしないで、何も買ってこないでしようと思いました。すでに与えられているものがあるという感覚がありました。
畑が軌道に乗って4~5年してから田んぼを始めました。やはり主食を作れれば安心です。田んぼは水の問題があるので、近所の人との関係ができてからでないと無理でした。
今年は無農薬自然栽培だと困る田の草対策のため、深水に耐える畦(あぜ)塗りをし、畔豆(大豆)も植えました。これで味噌を造ります。近所の人は除草剤を使うので深水の必要はなく畔塗などしませんが、また何か面白いことを始めたようだと、Yさん一家を温かく見守ってくれています。ちょっと変わったよそ者として認めてくれているようです。
移住の一番の目的の子育てですが、期待以上です。一度に改修工事ができないため、一部分ずつ家を直しながら住んでいることも、薪を用意する仕事も、また田んぼ作業も、畑仕事も、子どもたちを育ててくれます。お小遣い制度がないため、長男は新聞配達、次男は家族で作ったもち米でチマキを作って売って自分の使えるお金を溜めています。親と学校だけではこういう風には子どもは育たないと思うので、本当に良かったと思っています。
「自給自足くらぶ」でどんどん幸せに
(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第2回です。2014年11月20日に掲載されました)
今回は、1年半前に緑内障がきっかけで、若杉友子さんに出会い、メダカのがっこうの活動にかなりディープに参加されるようになったIさんをご紹介します。
彼女は大手企業の経理部長までされたキャリアウーマンで、仕事で生きていこうと思っていたそうですが、よくよく考えてみると結婚は人生の選択科目ではなく必修科目ではなかったかと思い、10年ほど前に婚活を開始。3年半前に今の音楽家のご主人と結婚されました。それまで一人暮らしの時には、自分の健康を考えて肉を少なめに野菜中心の食生活を心掛けていたのですが、慣れない結婚生活でのストレスは相当なもので、それが崩れてしまいました。豚肉の美味しい群馬県に嫁いだこともあり、しゃぶしゃぶやらアイスクリームや甘いものが止められなくなったのです。
そうこうしているうちに1年半前、緑内障が発覚。本屋で若杉友子さんの『長生きしたけりゃ肉は食べるな』(幻冬舎)に出合い、全著書を読破。その時、メダカのがっこうの存在を知りました。さて本格的な食による心身の立て直しを始めましたが、肉を止め、ストイックな生活はどこか違うと感じ、「あなたと健康」の東城百合子さんの料理教室に1年通ったり、マクロビオティックの久司道夫さんの講演を聴いたり、兎龍都さんの教室に行ったりしているうちに、偏ったことはしないで、祖母の時代の生活に近づければよいのではないかと思うようになりました。祖母の時代は晴れの日には肉も食べ、週に1度はお魚も食べていました。飽食の現代ですが、昔を思い出し、玄米とお味噌汁中心の一汁一菜を基本に、バランスのとれた食生活をしようと頑張り始めました。
彼女はこれ以前にも何回か大変な努力をしたことがありました。10年前に婚活を始めるまでに、タバコをやめておこうと、1カートンを持ち歩くほどヘビースモーカーを止めた時はとても苦しかったです。また頭皮にアトピーもありステロイドを10年くらい使用していましたが、それを止めた時も大変でした。
しかし今回の食生活改革は、メダカのがっこうの自給自足くらぶの活動の中で、仲間と一緒にチャレンジしていくことばかり、本当に楽しいそうです。
彼女曰く、「以前から味噌は作っていましたが、いつも食べているメダカのがっこう米で麹造りからする味噌造りの2泊3日の合宿は、麹の温度管理を交代でしたり、育っていく様を素手で感じたり、思いが似ている他の参加者の話を聴いたりと本当に楽しかったです。
また醤油のことですが、まさか自分が醤油麹とこだわりの塩でモロミを作り、1樽の醸造の世話ができるとは思わず、これで3月には30升の醤油が搾れるとは本当に驚きです。
12月のたくあん作りも青首大根ではなく首まで土に埋まっている漬物用の大根と、擦りたてのメダカのがっこう米の糠と昆布と無農薬のみかんの皮など吟味した原料だけで、砂糖ゼロなのにほんのり甘いたくあんができるのも本当にうれしい。6月にメダカのがっこうで教えてもらった梅干し作りで、自分の家の庭の梅を60kgも漬けましたとのこと。何から何まで手造りの贅沢な粗食生活は、楽しくてやめられません。
実は彼女は「都会に居ても自給自足生活」のパターンではなく、群馬県の庭の広い家に嫁いだので、田舎で自給自足生活ができる人なのです。しかし、3年前に嫁いだときには、広い庭をもてあまし、草むしりが大変だと厄介に思っていました。しかしメダカのがっこうで野草の料理の仕方を知ると、ミョウガとかフキの自生している場所や、野草の存在に気が付き、この庭が宝の山に見えてきました。ビワの葉もスギナもふんだんにある庭です。
梅干しも家の庭にある無農薬の梅の実で梅干しを漬けることができましたし、たくあん漬けも昨年覚えたので、今年は畑で栽培した大根でたくあんを漬ける予定です。
緑内障ですが、2ヵ月に1回の検診を受けつつ、昨年の12月に薬を止めましたが進行は止まっており、徐々に明るい光が戻りつつあります。これには食養や手当法だけでなく、塩と苦汁で作った塩ローションを目薬にしていることも効果があるかもしれません。また糖尿病であった主人は、体重が10kg近く減り、6以上で糖尿病だと言われているチェック数値HbA1c(ヘモグロビン・エイワンシー)が7.8から5.8に下がりました。
結婚して3年半、彼女は最近結婚して本当によかったと思うようになりました。こうして人生のパートナーとして人と関わることの大切さと良さが分かるようになり、それを体験できてよかったと思っています。また子どもも育ててみたかったのですが、自分たちの子どもはいないので、親戚の喘息の親子を何日か食養と手当でお世話したりしています。
これには、自分が今まで体験した食養や効果があった手当法を自信を持ってさせていただいているとのこと、そしてこういうものに出合えたのは緑内障になったおかげだと思うと、緑内障になってよかったのだと考えるようになりました。
最近、彼女は自分の7年余りにもなった婚活の豊富な経験を活かし、おせっかいおばさんを始めました。結婚しない幸せは大きな勘違いだと彼女は言い切ります。そして、いろいろな教室にやってくる以前の自分のような仕事人間の独身女性に、結婚の良さを伝え、パートナーを探している将来有望な農家の後継ぎの方などに引き合わせたり、迷っている人の背中を押したりしています。素晴らしいおせっかいおばさんの誕生秘話でした。
都会にいても自給自足生活のおすすめ
(この原稿は、船井幸雄.comに「中村陽子の都会にいても自給自足生活」に連載された第一号です。2014年10月20日に掲載されました)
2001年にNPO法人 メダカのがっこうをみんなで始めて13年、薬を使わず、田んぼにできるだけ長い期間水を張ると、水辺の生きものが爆発的に増えることがわかり、消費者がこの田んぼのお米を食べることで、日本の自然環境が復活させようと始めた活動です。
しかし5年ほど前から、お米を中心にした日本の伝統食を支える基本食材の味噌、醤油、梅干し、沢庵なども、仲間の素晴らしい農家の原料と日本の醸造・発酵・塩蔵技術を使い、無農薬・無添加のものを原料から作り始めました。
自給自足という考え方が、生きる環境と安全な食料を次世代に残すために必要だと分かったからです。
さて、こうして現在、メダカのがっこうでは、農家と一緒に切り開いてきた道を整備し、都会にいてもできる自給自足生活を提案しています。
具体的には、我が家の1年分のお米を農家に作ってもらいながら、草取りなど農家が人手を必要とする時には手伝いに行き、農閑期には、味噌や醤油や沢庵を農家と一緒に作るという活動です。6月の梅干し作りだけはお米づくりの一番忙しいときですが、梅の収穫時期ですから、なんとか時間を作って頑張っています。
今回は、メダカのがっこうに出会って、180度考え方が変わって、自分で作れるものが増えることがうれしくて仕方がないというSさんのことを紹介します。
Sさんは、証券会社で部長にまでなったキャリアウーマン。家には炊飯器もなく、料理はせず、物も時間もすべてお金で買う生活。私と出会ったのも仕事上の出会いでした。しかし2~3年付き合っているうちに、メダカのがっこうに興味を持つようになり、一度、田んぼ体験に誘ってみたら、自然豊かな棚田の稲刈りに行って、すっかり田んぼの魅力にはまってしまいました。そして、味噌造りや醤油仕込や醤油搾り、たくあん作りや、梅干し作りなどに来るようになりました。彼女がこれにはまった一番の理由は、たぶん彼女が本当の食いしん坊で、“本物”がよく分かる真のグルメだったからだと思います。
メダカのがっこうの活動には、いつもおいしい食事がついています。もちろん無農薬・無化学肥料で生きものいっぱいの田んぼで育ったお米を炊いて握ったおむすび、採れたての野菜と自家製味噌で作った具だくさんの味噌汁、本物の塩で漬けた漬物、農家のお母さんが作ってくれた野菜料理の数々。世間一般で評判になっている美味しいものを、お金の糸目も付けずに食べ尽くしてきたグルメの舌には、新鮮でたまらない美味しさだったと思います。
彼女は、メダカのがっこうに出会うまで、自給自足なんて言葉さえ浮かばない人で、その上、世の中にはちゃんとした食べ物がないということも、まったく知りませんでした。
それもそのはず、実家は食料品のスーパー。食べものに囲まれ、おやつも好きなものを好きなだけ食べていい家でした。当然、そこで使用されている化学物質や添加物を意識したこともありません。その上、バブルの時代を経験した証券ウーマン、目に極楽、腹に地獄と言われている世の中のご馳走を食べ尽くしていたようです。若いころは痩せ型で相当かわいかったと本人は言っていますが、今ではどこから見ても体格がよく、エネルギッシュに仕事をする頼もしい熟年女性です。
それでも60年間何の病気もせず、年1回の健康診断で高血圧だと言われるだけで済んでいたのは、ありがたいことに親が健康に産んでくれたことと、仕事が趣味で、ストレスを感じない明るい性格だったことが幸いしていたと彼女は分析しています。
「氣」は健康の最重要項目ですね。「氣」が元気なら病気にならないのですから。
そんな元気いっぱいの彼女が自分の健康について考えるようになったきっかけは、お母様が86歳でガンで亡くなった時でした。大腸ガンを治療して6年、次に子宮頸ガンが発症、それが悪化して亡くなったのですが、1度もガンの告知は受けず、亡くなる1週間前まで元気に働いていたそうです。彼女はその母親の生きざまや死にざまを尊敬していて、その母親の体型が痩せ型で身軽、体重は常に42~43kgだったおかげで、病気も介護も楽だったことを思い、自分の体重を減らすことを初めて考えたのです。
思い立ったら即実行。それまでの投資金融のコンサルタントから、メダカのがっこうが関わる食の仕事に転身。食事も米中心の一汁三菜生活に切り替えました。
田植えを手始めに、梅干し作りでは完熟梅の甘い香りに感激、たくあん作りでは擦りたての糠のおいしさに感激、3泊4日の味噌造りでは米麹の生長する様子に感激、醤油のモロミ仕込と搾りでは手造り醤油のおいしさに感激。今まで追い求めていたグルメ的な美味しさではなく、身体が喜ぶ本当のおいしさに目覚めました。そして初体験ばかりの怒涛の1年を過ごしました。
彼女は楽しいので何をやっても疲れません。農作業もふつうの人は腰が痛くなるのに、空手でつかんだ腰の折り方のおかげで、まったく腰に負担がかからないようです。
実はメダカのがっこうを始めて以来、私も自分のやりたい活動をしているので、何をやっても全然疲れないのですが、初めて同じレベルの人に会いました。気を使わずにどんどん活動できる仲間ができて本当にうれしいです。
彼女はこの1年の体験で、メダカのがっこうが農家と一緒に拓いてきた「都会にいても自給自足への道」は、一歩踏み出してみれば、意外と簡単だと思ったようです。
米づくり(田植え、草取り、稲刈り)に3日、醤油造りに3日、味噌造りに3日、梅干し作りに1日、たくあんづくりに1日、今年から始まったオイルプロジェクト(ヒマワリと菜種の2毛作)に最低6日で、年間最低17日、我が家の基本的な食料自給のために時間を割けば、農家を支えながら、環境を取り戻しながら、本当に体に安全な食料(米、味噌、醤油、梅干し、たくあん、ひまわり油、菜種油)を作ることができる。これに春・夏・秋の野草料理教室を加えれば完璧です。しかもイベントは土日が多いので、会社をそれほど休まなくてもできる。これは人に伝えたいと思いました。
また、実際にやってみると、いろいろなことに気づきます。
その中のトップは、塩の大切さ。世間一般のこだわりの味噌、醤油、漬物、梅干しなどには、塩以外の原材料にはこだわっていますが、塩の違いに気が付いている商品は少ないです。実は味噌も醤油も梅干しもたくあんも、自分たちで作ってみて分かったことは、日本の海塩の中でも苦汁(にがり)分が海のバランスで多く残っている塩を使うと、醸造の具合も味も出来がえらく違うのです。
そして塩の価格が商品の価格を決めることも分かりました。今ほとんどの加工品に使われている天日塩は1kg60円、メダカのがっこうが使用している塩は1kg3000円。
これを原材料に使えば、味噌も醤油も梅干しも価格の桁が違ってしまうのです。しかしこの塩の価格はまだフェアートレードではないのです。驚くなかれ、この塩を作っている人は塩だけでは生活できていません。大切なのは、値段の違いは中身の違いだということです。天日塩とは工業用に使われている輸入原塩のことで、この輸入原塩は原産地で苦汁分を飽和海水で洗い流してから輸送するので、天日塩の良さを失っているのです。
どうしてこんなに塩の内容が大切なのかと言えば、人間にとって塩とは、体液や血液の原料になるものだからです。人間の祖先は古代の海の水を体液に取り込んで陸地に上がってきました。これが内なる海です。この内なる海にとって一番いい塩は、体液のバランスに近いものなのです。
この塩の大切さに気が付いた彼女は、これもみんなに伝えたいと思っています。
都会にいても自給自足生活を目指したい方、どうぞメダカのがっこうと一緒に一歩、踏み出しましょう。興奮と感動の連続の1年になりますよ。
お蔭様で認定NPO法人になりました。さらなるご支援をお願いします。
メダカのがっこう会員の皆様、お陰様でこの6月東京都から認定NPO法人に承認されました。認定NPOというのは、全国で3万以上あるNPOの中で、活動の公益性と会計の透明性の厳しい審査に合格したNPOに許可されるもので、現在全国で300余りです。これにより、寄付者はメダカのがっこうに寄付した金額を経費とすることが出来、税法上の優遇措置を受けられます。
あっさりと報告させていただきましたが、この1年間本当に勉強と改革の連続でした。私たちは、発足以来、これは必要だと思ったことは、思い立ったその日から行動に移してきました。認定になる審査は、そんな私たちにとって、組織の再編や会計科目からホームページにいたるまできちんと見直す良いきっかけになりました。中学生から急に大学生になった感じです。これこそ社会に育てていただいている恩だと感謝しています。さて、スタートラインに立ったところで、私の3つのお願いを聞いてください。
1.「ご寄付や助成金の情報をお寄せください。」
さて、田んぼの生きもの調査や田の草フォーラムの調査研究部門、援農などの農家支援部門は、私が最も力を入れたいことです。しかしこれは全額自己資金で行っており、たいへん費用がかかるところですので、寄付や助成金が欠かせません。もし、この取り組みを純粋に応援してやろうと思ってくださる方がいらっしゃいましたら、ご寄付や助成金の情報などをお寄せください。よろしくお願いします。
2.「まだメダカのがっこう米を食べてくださっていない方どうぞ食べてください。」
昨年、お米の価格革命と称して断行したフェアートレードは、多くの皆様のご理解を頂き、農家の収入も少しずつアップしています。ご協力ほんとうにありがとうございます。しかし、まだまだ命を大切にする農家の田んぼはたくさんあります。もし、もっと多くの都市部の消費者が、メダカのがっこう米を食べてくれたら、私たちは各地で信念を持って環境を取り戻す働きをしている農家のお米を、いくらでも紹介できます。農家と一緒に生きもの調査をし、これらの田んぼから環境を取り戻すために、全国の農家を回ること、これが私の夢です。どうぞ実現させてください。
3.「無農薬の米づくりを手伝ってください」
無農薬のお米づくりは人手がかかります。後継者がまだいない高齢化した農家の支援は、お米をフェアートレード価格で買うだけでは足りません。1回でも草取りの手伝いに来てください。田んぼに入ると体から都会の毒が抜けていきます。そして今年の天候や稲の生長や生きものたちの様子が気になるようになります。そういう瑞穂の国の自然を愛する人になりましょう!
自給自足体制づくりは二重生活から
今なぜ自給自足なのか ―都市農村提携型自給自足の仕組み―
それは、メダカのがっこうの最終目標である「生きる環境と安全な食料に困らない日本を次世代に残すため」です。現状は、健康な身体をつくる安全な食料は買えなくなってきています。この4月、毎年梅干し作りの時に無農薬栽培の梅を送ってくれる梅農家に会いに、和歌山に行ってきました。驚いたことに、ホテルや空港で売っている梅干しの中に、梅と塩だけで漬けた本物の梅干しは一つもありませんでした。無添加とある商品も蜂蜜や砂糖を使った味付け梅漬けで賞味期限は半年。また添加物を使って減塩にしている梅漬も多くありました。もし無農薬栽培の梅と日本の自然海塩で塩分20%の無添加の梅干しが欲しいのなら自分たちで作るしかありません。
たとえ今自分で作る余裕がなくて、人にお願いするにしても、作り方を実際に知っているのと、知らないのとでは全く違ってきます。原料から揃えることを一度やってみると、核心が掴めます。私は自分で醤油を作ってみるまでは、日本の醤油の自給率が0%で、大手企業の原料はすべてポストハーベスト済みの脱脂大豆と遺伝子組み換え小麦であること、しかも数か月の即醸造りであるため、いろいろ添加して醤油らしい味をつくっていることを知りませんでした。
私たちは、企業秘密で作られたもので、健康を支えられたくありません。努力すれば自分でも作れるもので、自分の健康を維持できなければ、安心して暮らせませんよね。
ひまわり油の濾過 味噌作りの麹造り 醤油もろみの天地返し
醤油搾り 梅干し土用干し たくあん漬け
メダカのがっこう自給自足くらぶは、米、味噌、醤油、梅干し、たくあんを無農薬・無添加で手造りしてきましたが、今年から油も作ります。民間稲作研究所の稲葉先生のグリーンオイルプロジェクトとコラボして、ひまわりの種を蒔き、種を圧搾機で搾るのです。市販の油は遺伝子組み換えの上、有機溶剤で抽出し、酸化防止剤を添加しています。油も無農薬・無添加のものを自分たちで作りましょう。
さて、メダカのがっこうの自給自足は、命を大切にする素晴らしい農家と力を合わせて実現することが特徴です。これを都市農村提携型自給自足体制と呼んでいます。そう、都会に居ながら自給自足生活が目指せるのです。私は兼農主婦です。皆さんも兼農会社員、兼農社長、兼農教師、兼農デザイナー等を目指し、二重生活を楽しんでください。
これは大変良い方法なのです。自給自足生活は本来お金が要らないもう一つの世界です。作る時はタダ働きですし、出来た醤油や味噌は市場経済にカウントされません。もう一方で、私たちは市場経済に生きて、生活費を稼いでいます。あなたの能力と知恵を働かせて稼いでください。そのお金でもう一つの世界を作りましょう。お金を何に使うかは自分の身体やこの国を建てなおすための選挙にあたります。お金に使われるのではなく、良い考えを持ってお金を活かして使いましょう! よいご先祖様になるために。
田んぼはみんなを守っている
今年メダカのがっこうは、田んぼの存在の大切さをもっと知ってもらおうと思い、「田んぼはみんなを守っている」というのぼり旗を作り積極的にアピール始めました。田んぼの減反、日本人のお米離れからくるお米余りからくる田んぼの減反、お米が足りなかったら外国から輸入すればいいと軽く考えている日本の官僚たち。それはとんでもない考えです。田んぼは単なるお米の生産場所ではありません。田んぼは日本の宝です。そこで、田んぼの働きがどれほど素晴らしいものかを今日はいくつか挙げてみたいと思います。
1. 田んぼは塩害による砂漠化から日本の国土を守っている。
地球の歴史では、文明が栄え農耕が盛んになったところから砂漠化しています。耕してかんがい用水を撒いた農地は、地中の塩分や化学肥料として撒かれた物質が水が蒸散するときに地表に浮上し白っぽく貼り付き塩害化が始まります。こうして砂漠化が広がっていきました。それにひきかえ、日本の田んぼは1年のうち数ヶ月水が張られることで、毎年その塩害が地中に浸透し、砂漠化しなくてすんでいます。何千年もの間、農地として使い続けてこられたのは、田んぼに張る水のおかげです。
2. 田んぼは連作障害から農地を守っている。
畑で栽培する作物のうち、根のもの、葉のもの、実のものは、それぞれ必要とする微量ミネラルが違い、毎年同じものを一箇所で作り続けると、必要とするミネラルが不足し作物が病気にかかったりよく育たなくなります。これを連作障害といいます。それにひきかえ、田んぼは毎年入れる水が微量ミネラルを補給するので、何千年も同じ場所で同じ作物である米を作り続けることができるのです。
3. 田んぼはダムのように自然破壊することなく、日本の水源を守っている。
田んぼは人間が作った浅い水たまりと言えます。その面積は、国土の7%、湖沼の面積が国土の2%ですから、保水力の大きさがわかります。
4. 田んぼは日本の穏やかな雨の降り方を守っている。
自然農法の父、福岡正信さんは、「雨は下から降る」と言いました。砂漠の空の上にも雲は流れているのですが、もしそこに山手線の内側くらいの広さに草を生やすことができると、その葉っぱから水分が蒸散するとそこに小さな低気圧ができ、空を流れている雲が降りてきて雨を降らせるのです。福岡正信さんは、種が入った粘土団子を砂漠に蒔くことで草原をつくり、雨雲を呼び砂漠を緑化する構想を持っていました。日本では田んぼが雨を呼ぶ働きをしていると思います。ところがその田んぼがどんどん放置され、放置田、休耕田がどんどん増え、田んぼの水面がどんどん減っています。このことが、日本の四季や穏やかな雨の降り方に、悪影響を及ぼしていると私は考えています。今や乾季と雨季にはっきり分かれているサバンナのような激しい気候に近づいているようです。
5. 田んぼは水辺の生きものたちの住処を守っている。
この場合の田んぼは、冬や早春から水を張る田んぼのことです。田んぼと言えば、カエル、ドジョウ、メダカ、タニシ、トンボ、バッタ、サギ、カモなどが浮かびますが、これらの生きものたちの餌となり命を支えているイトミミズやユスリカなどは、田んぼに水が張ってあると恐しいほど繁殖します。何千年もの間、日本の田んぼは、たくさんの水辺の生きものたちの命をつないできました。冬の田んぼに水を張るのは水の無駄使いではありません。反対に水が不足する地域ほど、冬の間から田んぼに水を張ってきました。戦後、田んぼの乾田化がほぼ100%にまで進み、1年のうち3ヶ月半しか水が張られなくなり、絶滅危惧種が激増しました。絶滅危惧種の約半分は水辺の生きものたちなのです。
6.田んぼは日本人の優しい心や歌の心を守っている。
この場合も水が張ってある田んぼのことです。「帰る雁 田毎の月に 曇る夜に」(与謝蕪村) 秋、稲刈り後の棚田には昔は水が張ってあったようで、その水面に月が映り、その空をシベリアに帰る雁が隊列をつくって飛んでいる様を歌ったものです。2001年からメダカのがっこうも平坦部の田んぼで冬水田んぼを始めましたが、その水面に雪を頂いた山々や広い空が映る様は本当に美しいので感動します。深さ15センチ位の浅さとは知りながら、湖のような風景に心が癒されます。東北の田んぼではこの水面を目指して白鳥や雁がシベリアから渡ってきます。その姿を見ると道行くトラックの運転手さんもしばし眺めたり、近所のこどもたちや年配の方たちが見に来たりします。
7. 田んぼは日本の文化や景観を守っている。
田んぼには1年中行事があります。田植え前の田の神を迎えるお祭、地域の田植えが終わると「さなぶり」、台風の前には「風祭」、稲刈りの前のお祭、稲刈り後の収穫祭や秋祭り、年末にはワラでしめ縄作り、どんと焼きなど、私が知っているだけでもこれだけあります。また農家の方たちは集落全体の山の下草刈、ドブ掃除、神社の手入れ、畦や土手の草刈など、日を決めて共同作業で整備してくれています。この無償の働きをお金に換算すると日本全体で年間37兆円にもなるそうです。
皆さん、田んぼはみんなを守っているのです。田んぼがなくなると、日本がなくなってしまいます。本気でお米食とお米文化を復活させましょう。
お米はみんなの健康を守っている
今年、メダカのがっこうは「お米党宣言」をしました。戦後、お米を食べると頭が悪くなるとか、カロリーが同じならご飯もパンもかわらない現代栄養学にすっかり洗脳され、日本人のお米離れが進み、今年ついに小麦の消費量がお米の消費量を超えてしまいました。私の子ども時代は昭和30年代ですが、栄養価が高い肉や魚や卵や乳製品をたくさん摂るのが良くて、「ご飯は残してもおかずを残さず食べなさい」と親からも先生からも言われたものです。しかも給食は全部コッペパンと食パンでした。母がハンバーグを作ってくれたのが小学校1年生の時で、その後食事の欧米化とスイーツと全体として食べ過ぎの食生活が浸透してきました。その結果、日本人の血管の壁は脆くなり、血液はドロドロになって循環器の病気とガンが急増しました。それでもなおかつ蛋白質の摂り過ぎの状況を変えようとせず、今だにご飯は糖尿病の敵であり、ダイエットの敵だとされています。今こそお米を見直してみましょう!
お米を食べるとどんな良いことがあるか
お米の効能についていくつか挙げてみましょう。
①お米を食べると36.5度の恒常体温が保てます。赤ん坊は37.5度で生まれてきて、こども時代を37度程で過ごし、おとなになると36.5度が平熱になり、歳をとるに従って35度と下がっていき、全ての機能が衰えると34度以下になって死んでいきます。古文書に「米はその性温なり」とあり、米からできる血は、36.5度の恒常体温を作ってくれる大切な食物であると記されています。この36.5度の体温は、腸内細菌の善玉菌が働きやすく、悪玉菌が働きにくい温度であり、その人の免疫力の源でもあります。
②またお米を食べると、きめ細かい細胞ができます。例えば、玉の肌と言って田んぼ仕事の泥もするっと水で流れる美しい肌を作ってくれます。また傷のつきもよく、若杉ばあちゃんの話によると、昔の日本人は指が飛んでも、すぐ乗せて縛っておけば元通りになったそうです。それにひきかえ、パンを食べて出来た細胞はきめが荒く、同じ傷でも縫わなければ治らなくなったそうです。
③また日本人はお米を食べると、踏ん張る力が出ます。男という字は、田んぼに力と書きますが、昔の農家の男は60kgの俵はもちろん、少し力自慢の男は2俵のお米が担げました。村の運動会では、毎年60kgの俵を担いで走る競技があったそうです。長いあいだ米を主食にしてきた日本人は、腸の長さが長く、腸内細菌もお米に合っているのです。エチオピアでもエフという主食に変わって小麦が入ってきたとき、小麦では力が出ない言う声があったそうです。体格では欧米人に及ばない日本人ですが、小柄な身体に体力や気力がみなぎっていたのです。身体の大きさで競う必要はないのです。
④ご飯は、お米と水だけで短時間で無添加で炊けるので安全です。これをパンと比較すると、パンは材料だけでも小麦粉と水の他にイースト菌と砂糖とバターと塩が必要で、しかも発酵に時間がかかります。もし、お米と小麦粉の勝負なら、手軽さにかけてお米の勝利は明白ですが、今は企業がパンにして売っているわけですからパン食の方が簡単になってしまいました。しかしそのパンは何週間おいてもカビない危険な食物です。
⑤お米はお米を主食とする民族にとって、特別の存在です。「お米の効能は他のものの及ばないところである。」と記しているのは、中国に伝わる神農本草経を日本に紹介した食物本草です。その中に「米は内蔵の活動力をまし、煩悶をなくし、下痢の止め、筋骨を壮健にし、血液の流れをよくし、五臓の働きを整え、胃の活動を補い助ける。それ故、他のものと比べて論じてはいけない。」とあります。
⑥最後に伝えなければならないことは、お米のパワーは、玄米か胚芽がついている分づき米が持っているということです。日本語のコメという音は、彦(ヒコ)のコと、姫(ヒメ)のメで成り立っています。コはお米の澱粉の部分をさし、メは胚芽の部分をさしています。つまり命を生み出す男と女のパワーを持っている食物なのです。ですから、コメは、芽が出る部分がついている玄米を指しています。せいぜい胚芽を残している分づき米までがコメと言えるでしょう。もちろん、生きものいっぱいの田んぼで育った無農薬栽培のお米のパワーが最高です。
お米から広がる醸造発酵の豊かな食生活
お米があれば、ご飯が炊ける、麹が作れる、甘酒が作れる、お酒が作れる、みりんが作れる、お酢が作れる、麹と大豆と塩で味噌が作れる。三五八やべったら漬などの麹漬けが作れる、今はやりの塩麹が作れる、糠と塩でたくあんができる、糠漬けができる。私たちの先祖は、主食を米に決め、その米で美味しい食生活が送れるように豊かな発酵醸造文化を残してくれました。これらを私たちが大切に受け継ぎ、更に発達させていけば、米という日本で自給できる食糧だけで、美味しくて飽きなくて健康な食生活ができます。最近では、もみ付き玄米を黒焼きにすることで、黒焼き玄米茶が加わりました。
メダカのがっこう自給自足くらぶでは、麹から作る味噌作り、醤油作り、梅干し作り、たくあんづくり、甘酒教室、黒焼き玄米茶作り教室、たくあん作りなど、会員農家が作った無農薬栽培の原料と日本の海塩で作るワークショップを開いています。毎年1つずつでも基本的な食料が作れるようになれることは、嬉しいことです。生きる自信が湧いてきます。ご一緒に学びましょう!










