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中村陽子のコラム

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2009年12月30日

おいしい手造り醤油できました!

醤油師、岩崎洋三さんとの出会い
 2007年に野草料理と自給自足の師匠である若杉友子さんから、手造り醤油をいただき、「おいしい醤油が簡単に出来るからメダカのがっこうでも作ったらいいよ」と勧められました。さっそく2008年春、醤油のもろみを仕込みに、長野県伊那市に出かけました。ここで醤油造りの指導者である、岩崎洋三さんに出会いました。岩崎さんは長野県を中心に各地に出かけて手造り醤油を指導しておられる方で、私が今まで手造り醤油を頂いたことがある素晴らしい農家も、彼の指導で作っていることがわかりました。手造り醤油の発信源に出会ったと思いました。この年、今まで味わったことのない薫り高い醤油ができました。
醤油造りの歴史
 戦前、長野では醤油師が春には麹をつけた大豆を農家に配り、冬には醤油搾りの舟と呼ばれる木の箱を背負って各農家を回る習慣があったようです。今のように味を追求することもなく、糀屋さんも醤油師も研究心もなくただ請負仕事の感覚で行われていたそうです。
戦中戦後の物資のない時代に、時間がかかる自然醸造はすたれ、即席に醤油らしきものをつくる技術が出来上がっていったようです。この流れの延長として、現在大量に市販されている醤油は、自然醸造のものはなく、表示を見ればわかるように、アルコールやカラメル色素で体裁を整え、ソルビン酸など添加物を加えたものになっています。
そんな時代に、岩崎洋三さんは手造り醤油の技術を復活し、科学し自然醸造の新たなる技術を研究している萩原忠重さんに出会い、師匠と仰ぎながら共同研究をしていました。萩原さんは数年前にお亡くなりになりましたが、岩崎さんの借りた古民家の大家さんが萩原さんだったというご縁だそうです。 
現代の醤油師となった岩崎さんは、醤油造りの仲間を増やすこと、醤油師の後継者を育てること、そして醤油の麹付けの技術を受け継ぐ若者を探しています。今回の醤油搾りも井上さんという優れた後継者と連れだってこられました。しかし、醤油師では生計は立てられないので、農業や民宿などの生業を持ちながら、この技術を受け継ぐ若者が必要です。どうぞ皆さんも条件が合ってやる気のある若者をご紹介下さい。
醤油造りを科学する
 荻野さんと岩崎さんの研究は、従来の醤油造りの行程や作業の意味を、一つ一つ科学的に突き止めていくことでした。そして大切なポイントを抑えたもろみの管理方法を、何の経験もない私たちにその作業の意味と一緒に教えてくれるのです。今でも醤油作りを調べると、毎日樽をかき混ぜることが記されています。ところが私たちの醤油造りは、始めの3回ほどは3日おきに天地返しをしますが、次の1ヶ月は1週間に1回、その次は半月に1回、夏を過ぎたら1ヶ月に1回でいいのです。これはかき混ぜる意味が、塩を溶かすためだからです。麦麹をつけた大豆と塩をよく混ぜて水で溶いたものを「もろみ」といいますが、はじめに樽の中のもろみに手を入れると、溶けていない塩がザラッと触ります。この場合かき回すだけでは塩を溶かすことは出来ません。もうひとつの樽を用意して天地返しをするのが効果的です。始めの3回ほど天地返しをすると、塩分濃度は早い段階でかなり均等になり、もろみの表面にカビがつきにくくなります。
 またもろみの醸造には、積算温度が成否の鍵を握ることを突き止めてくれました。ですから私たちの醤油造りは、薄暗い蔵の中ではなく、天気がいい日には一番暖かいところで日光浴をさせ、夜になるとその熱を逃がさないよう部屋や温室に入れます。こうすると夏が過ぎる頃には80%以上醤油としての醸造が出来てしまうのです。2年もの、3年物にしようとしても、うまくいって残りの10%ほどの醸造が進むだけで、はじめの5ヶ月ほどでほとんど勝負が決まるようです。
 もうひとつ大切な条件は風通しの良さです。醸造の過程で少しずつ水分が蒸発していった方が、風味にあるおいしい醤油ができるようです。
匠の心は命あるものをつくる
 醤油造りを科学してくれた岩崎さんは、匠の域にいる方です。みんなで24樽、それぞれ色も濃度も表面の表情も違うもろみが持ち込まれましたが、その一つ一つのもろみの育った環境を言い当てるのです。「どんなところに置かれていたのか目に浮かぶ」という表現をされていました。みんな自分の成績を付けられるような緊張感を味わいました。岩崎さんは「このもろみを引き受けました。これをいい醤油に搾ることは私が責任をもってします」と言って、お湯で緩める濃度、搾り袋に注ぐ量やスピード、圧力をかけるタイミングや時間を見計らって、心をこめてゆっくりと話しかけながら搾ってくれます。最後は油圧ジャッキを使いますが、その鉄の胴体に「命あるものをしぼる」という文字が黒いマジックで書かれていました。そして最後に88度まで火入れをしたとき、17BE(ぼうめ)という濃度に仕上げてくれます。足らなければ塩を入れ、濃ければお湯を入れます。しかしそれも僅かの差で、ほとんどが17BEぴったりになり、一緒に手伝った参加者全員が拍手で喜び合いました。
みんながつながる心豊かな醤油搾り
 醤油搾りは、たくさんの働き手が必要です。大釜でお湯を沸かす人、樽を運ぶ人、搾り袋からもろみ粕を出す人、干す人、搾り袋を洗って干す人、醤油に火を入れる人、温度を常に気をつける人などなど、少し前に教わったことを次の人に教えながら、作業が滞らないよう気を配りながら動きます。最初の樽の人も最後の樽が搾り終わるまで帰りません。そして、もろみの違い、醤油の味の違いなど、それぞれの醤油を指で舐めながら、感想を述べ合い、完成を喜び合います。この一体感は参加者全員が感じたようで、みんなとつながって豊かな心になったという感想を多くの方からいただきました。これを毎年再現し醤油造りの伝統にしていきたいと思いました。
 皆さんもメダカのがっこう会員農家の有機大豆と自分のこだわりの塩で自然醸造の醤油を1年分造りませんか! ご希望の方は、できるだけ早くメダカのがっこう事務局までお申込下さい。

2009年10月20日

今、日本の水源地で起こっている忌々しきこと

田んぼの水は森が育む
 以前、燦燦会で「田んぼは地球の腸」というお話をさせていただいたことがあります。田んぼの中のイトミミズはまるで人間の小腸絨網のように、人間が田んぼに入れた米ぬかなどの有機物を直ちに稲が吸収できる形に変える働きをしていますし、田んぼの中の光合成細菌や乳酸菌は、まるで人間の腸内細菌のような働きをします。
 ところが、その田んぼの水が足らなくなってきています。その原因は奥山にありました。
この100年で奥山に何が起こっていたのか
 奥山の森が水を育まない杉や檜の人工林になってしまってから1世紀が経ってしまいました。実は、江戸時代までは、奥山は人が入ることを控え、ある高さ以上の山の入り口に祠(ほこら)を設け、これ以上は大型動物たちの領域として原生林を守ってきたのです。
明治政府は、その奥山まで杉と檜の生産畑にする方針を立て実行しました。湧き水、沢の水は100年単位で育まれるもの、その結果、山に降った雨が地下に浸み込むことができず、沢の水が枯れ、清流がたよりの生きものたちが絶滅の危機にひんし、田んぼで使う水が減り、最近では田植えが出来ない棚田も出始めています。
 今湧いている沢の水は、80年から100年前に山に降った水で、その水が使えるのは私たちの先祖が守ってくれていた奥山のおかげなのです。
現在日本の森林は67%だと言われていますが、本当に水を育み動物たちを養うことが出来る森と呼べるものは7%、残りの60%は人工林の真っ暗な林になっているそうです。このわずか7%の森が、未来の日本人の水を時間をかけて育んでくれているのですが、その水源域の森が、これからの水ビジネスの利権を見越した外国資本に狙われているのです。
日本の水源地に起こっている最新情報
 今年の5月か6月、私は日本の水源地が、外資に狙われているという記事を目にし、心配になって、奥山を守る活動をしている日本熊森協会の森山まり子さんにメールをしました。すると、今のところ、中国人に売ったという話は聞いていない、大台町の役場の人が、とっさに山を守ろうと対処したという話を聞き、当座のところは安心していました。ところが・・・・マスコミによると、その1000㏊の森は、東京の不動産会社が、土地ころがしをするために買ったということで、10年後に、高くして売ろうとしているようです。でも実態はわかりません。買主の東京の不動産会社の社長は日本人ですが、もしかしたら、中国人とつながっているかもしれません。10倍の価格でも買いたいと言っているらしい中国人に売る可能性は、利益を追求する企業行動としては当然ですから。
 この1000㏊の森の他に、この山主さんは、後680㏊の山も全部売りに出しました。ここも素性の分からない人に買われたらたいへんです。この情報を察知した日本熊森協会は、この山をトラストして永久に保全できないかと考え、山主さんや大台町長さんと次々と会ってお話し、山主さんもそうしてほしい思うようになったそうです。
 実は、この680haの中に素晴らしい場所があるのです。最近NHKのドキュメンタリースペシャルで放映した大台ケ原の雨の物語で、普段は草原であるところが、4月のある日に、突然地面から水が湧き出てきて1日で大きな池になるのです。そこで、モリアオガエルが木の上に産卵し、そのオタマジャクシが池で生長し足が生えて陸に上がる頃、池は突然消えて、元の草原に戻るという、不思議な現象が、毎年続いているところなのです。また、熊森協会の調査でも植物の絶滅危惧種が次々と見つかりました。
奥山の水源地が売りに出る理由
 この奥山がどうして守られたのかというと、「山の上の3分の1はさわってはならん」という今の山主さんのおじい様の言いつけを、お父様が守ったからだというのです。このお家は三重県一の山持ちでしたが、おじい様が亡くなられたとき、2億円の相続税を払うために、1000㏊の山を売ったそうです。そして息子の相続税を心配した今の山主さんが、残りの680㏊も売ろうとしているのです。日本の奥山の水源地は、日本人みんなの命の源であるはず、なのに山を愛する山主さんでさえ、山を売らなければ相続できない仕組みになっているのです。
「もう山なんかいらん」日本中の山主さんが、そう思っているので、今や私たちの国土の森や林は、二束三文です。これを狙って21世紀の巨大水ビジネスの外国資本が入ってくるのは、当然の成り行き、それから山を守る体制が日本にはないのが問題です。
官でやれないことは民が始めましょう
 これを守る1つの方法が、トラスト運動です。イギリスのナショナルトラスト運動は、政権政党が変わるたびに政策が変わる政府より、国民に信頼されて支持されています。自然を守るには息の長い活動が必要だからです。日本にも残り少ない原生林をトラストしている自然保護団体があります。それが日本熊森協会です。その規模は日本でダントツトップの1266ヘクタールです。良くぞこんな素晴らしいことを始めてくださったと、とても感謝の気持ちいっぱいです。100年先の子孫のために水を育む森を用意する先祖でありたいところですが、現状では先祖失格です。せめて誤りに気がついた時点で、方向転換をする先祖でありたいと思います。
 とにかく、大切な水源地は私たちの手で守らなければなりません。森山さんに協力して、ナショナルトラスト運動を、この日本でも民間主導で始めましょう。国には、国土を守るための資金に税金をかけない法律、トラスト法を作っていただきたいです。
自然医学の読者の皆さん、三重県大台町の680ヘクタールの奥山の水源地(1億円)をトラストするため、力を貸してください。後9000万円足りません。日本人の底力を出しましょう。
かたみとて 何を残さん 春は花 夏ホトトギス 秋はもみじ葉                              良寛

2009年9月20日

野草と命ある食材の薬膳料理 「若杉ばあちゃんの台所」始めました!

神田神保町のおむすび茶屋は、朝7時から夕方5時までの早寝早起き健康優良店です。「夜はやらないのですか?」と言われながら、決心がつかないまま2年半が過ぎましたが、いよいよ夜の部を始めることにしました。それが「若杉ばあちゃんの台所」です。この4年間、春、夏、秋と年3回の若杉友子の野草料理教室を開催してきましたが、試食して帰ると、身体に力が湧いてくる感じを多くの人が持つようです。この料理を毎日出す店が「若杉ばあちゃんの台所」です。厳正に材料を吟味するため1日20食限定で、野草や野菜の知識、料理方法など伝える説明書付きにしようと考えています。
綾部の若杉ばあちゃんちで料理合宿と手当法 
                                 そのために、スタッフ全員12名で合宿に8月21日、22日と合宿に行ってきました。21昼、若杉ばあちゃんの家に着くと、「よう来たね」という声が心なしが力なく感じたら、案の定、昨夜ムカデにかまれて足が少し腫れていました。昨夜かまれた後、すぐに梅干の黒焼をのみ、自分でしょうが油を塗ったり、ヨモギの足湯をしたりしたことが功を奏して腫れがかなり治まったそうです。その日はたくさんの料理を教えてくれました。ほんとにすごい人!目の前で、医者いらずの生活を見せてもらいました。
 翌日は、解熱の方法を教わりました。どんな草でも刈ってきて座布団2枚分くらいの木綿の袋に入れ、その上に寝ると、身体がスーッとします。草の陰が、熱の陽を取ってくれるのです。陰陽の原理を知って、人を元氣に出来る人って、本当にかっこいい。
 ここまでみんなと来た理由、それは若杉さんの暮らしを見て、その精神を受け継いで店で料理をしたいと思ったからです。皆それぞれに強烈な印象を受け、「若杉ばあちゃんの台所」の店を、名前に恥じないものにしようと、やる気いっぱいになって帰ってきました。
若杉ばあちゃんの料理
 若杉ばあちゃんの料理はすべて生命力ある植物から生きる力をいただく薬膳料理です。彼女が野草の研究を始めたのは、マクロビオテックを勉強していた時、今の野菜がF1という一代限りの交配種(自殺種ともいう)で次に命をつながない植物だと知った時からです。
 どんなに良い料理法を学んでも、命のない野菜を使っていては意味がないと考え、自ら種を落としコンクリートの間からも芽を出す野草に注目したのです。それから田舎の年配の方たちに野草のことを聞いてまわりましたが、普通の野の草の食べ方を知っている人はほとんどいなかったので、自分の身体で人体実験しながら、研究しました。
 そして、肝臓や腎臓を傷めないように、3段階のあく抜き方法をあみ出しました。その3段階とは、①塩水でゆでる、②水にさらす、③醤油洗いをする ですが、この3つ目が意外とあくが出るので、大切な作業なのです。
 また、野菜についても在来種の種で栽培し、志を同じくする人と種の交換をしながら徐々に種類を増やしています。ですから、野草だけでなく野菜についても、若杉ばあちゃんの料理は、在来種のいのちある野菜で作るのが筋なのです。
 そして調味料はすべて無添加、油はごま油と菜種油の圧搾法でしぼったもの。これら申し分のない食材を使って、陰陽のバランスのとれた料理を作るのです。
お母さんの晩御飯形式
 1日の仕事を終えて、我が家に帰る楽しみは、お母さんが作って待っていてくれる晩御飯。家族の健康を一番に考えて、今一番旬で元気な食材で作ってくれています。そんなお母さんのイメージでデザートまでのコースメニューを考えて出そうと思います。
 ですから、メニューは任せてもらうことになります。若杉ばあちゃんに聞きながら今畑にあるもので組み立てます。お酒が目的の居酒屋ではなく、おいしいごはんが食べたい方たちが満足できるお店にします。1日20食くらい心をこめて作ります。すべて予約制で、6時〜8時、8時〜10時の2回くらいがゆっくり出来ていいかも知れません。私と同じ気持ちになって働いてくれるスタッフが心を込めておいしい晩御飯を作ってくれています。
 
若杉ばあちゃんの台所は
1.営業時間は夜6時から10時までで、フルコースの予約制と立ち寄りごはんセット。
2.食材は、季節の野草、在来種の旬の有機野菜、農薬・化学肥料を使わず生きる環境を取り戻してくれている農家の米や雑穀、無添加の調味料(自家製味噌、醤油)、有機溶剤を使わない圧搾式で搾った油。
3.料理方法は、命ある食材を身体が吸収できる形に調理する若杉ばあちゃんの陰陽を踏まえた料理法。
4.メニューはその時々の最適な食材で組み立てを任せていただくお母さんの晩御飯形式。
5.野草や野菜の説明、作り方を解説したものを用意します。
6.自給自足くらぶの発信基地として、味噌作り、醤油造り、梅干し作りなど、会員農家の有機栽培の原料と自然海塩で作る教室を開催します。
7.若杉ばあちゃんの野草料理教室を春夏秋と年3回開きます。
以上のような方針をで進めています。
 このような料理は家庭でも材料がそろわないため、毎日作るのは難しいので、お店で出し続けるのは至難の技だと思います。メダカのがっこうが長年培ってきた自然耕農家、有機農家とのパイプをフルに活かし、援農ボランティア隊も充実し、有機農家を元気にしながら、日本の農業の建て直しを同時進行することで、可能になると思います。
 食べる人を元気にする食を提供する店が、同時に日本の有機農家や田畑の生きものたちを元気にすることで、存続可能になるという、新たなる挑戦の始まりです。
 皆さま、どうぞ応援してください。金曜日には私もお店にいるつもりです。

2009年3月20日

再確認!やっぱり生きものたちの声を聴くことが大切です!

身近な生きものたちの姿が見えないという恐怖
 「鳥たちがいない!」レイチェルカーソンの味わった恐怖を、昨年メダカのがっこう田んぼの生きもの調査隊のメンバーは体験しました。昨年田んぼの生きもの調査をしていてアキアカネ(赤とんぼ)の姿を見かけないのです。同じ赤とんぼでも、近づいてよく見るとナツアカネなのです。ゾッとしました。3年前の2006年には、水沢江刺の花まる農家 伊藤茂さんからミツバチが大量死した報告を受けました。同時に青サギも口から血を吐いて死んだそうです。彼はビックリして役場に行きましたが、相手にされなかったので、メダカのがっこうに電話をくれたのです。彼の味わっていた恐怖を今さらながら思います。
 「そういえば、最近○○を見ないわ・・・」って、ホラー映画より怖いと思いませんか。
 
永久歯が生えない子どもが増えている、胎児が育つ羊水も汚れている
 さあ、生きものたちの声に気がつかないでいたら、恐怖は身近なところまでやってきました。メダカのがっこうの会員の歯医者さんは、永久歯が生えない子どもが増えているので、これは歯を治す段階ではなく、水から土から食べ物から変えていかなくてと思い、生きものいっぱいの田んぼを始めました。2003年の話です。また「日本の女性の羊水がとても汚れている」そうですが、命を育む羊水が汚れる遥か前から、いのちを育む田んぼの水が化学物質で汚染され、「沈黙の田んぼ」になっています。この地球では、田んぼの命と人間の命は同じ運命を辿ることになっているのです。
 
ミツバチの声、カメムシの声、農家の声を聴いて、消費者も声を上げよう!
最近、斑点米の原因であるカメムシ防除の問題がマスコミで取り上げられ始まりました。 4月のある日、ある新聞記者から電話がかかってきました。「ミツバチがいなくなったことを追いかけていたら、ダントツというネオニコチノイド系の農薬に行き着き、それが稲穂につくカメムシを殺すために撒くと知り、カメムシについて調べていたら、メダカのがっこうのホームページの中にある中村さんの“カメムシが教えてくれたこと”が見つかり、一番知りたいことが書かれていたので電話しました」という長い自己紹介。「農家は斑点米があるとお米の等級が落ちてしまい、買い上げ価格が下がるので、薬を撒くのだそうですが、等級制度はどこが決めているのですか?」と質問されました。「さぁ〜JAでも検査しているけれど、農水省じゃないかしら。」と私。「斑点米について言えば、色選機を通せば皆取り除くことが出来るのだから、消費者には問題ないんですよ。誰のための等級制度なんでしょうね?」と逆に質問すると、「安い二等米、三等米だけを仕入れて、色選機や、米粒の大きさを合わせて高く売る業者がいるらしいです。」「すると悪い流通業者のためになっている制度なのかしら。あなた新聞記者なんだから、調べたら教えて頂戴ね。」と私。
最近ラジオを聴いていたら、斑点米を食べてみる消費者の会があって、びっくりしました。一歩前進です。
もっと多くの生きものの声を聴きましょう!
ネオニコチノイド系の農薬は、たまたまミツバチの脳を狂わし打撃を与えました。アキアカネも打撃を受けました。だからといって、ミツバチに影響を与えない農薬を開発しても解決にはならないのです。それはまた何か他の生きものに打撃を与えるかもしれません。また繰り返しになりますが、減農薬の落とし穴もそうです。10回の農薬散布を5回以下にすると減農薬といいますが、それで同じ効果を期待するので、強くて長く効く薬を使うことになってしまうのですから。生きものたちは前よりもっと苦しんでいるかもしれません。
有機農業、自然農法しか、人間が住み続けられる地球は残らない
 というのが、メダカのがっこうの結論です。中途半端だと人間の未来がないのです。これしか生きる道はありません。メダカのがっこうの花まる農家たちの中に、広大な面積をすべて有機栽培・無農薬にしてしまう農家が増えてきました。農薬を使う田んぼと使わない田んぼの区別は大変だし、薬を使わないで米が出来る技術的自信と生態系への理解が出来たからです。でも有機農家は大変です。大自然の法則に従って作業をするのですが、やってもやっても追いつかないほどの仕事があります。明らかに人手が足りません。
私たちも有機農家と手を繋いで働きましょう!
これをどうするか?私たち食べる人が手伝いにいきましょう。というより自然を愛する有機農家の助けを借りながら、食べ物を人任せにしない暮らしを始めましょう。これがメダカのがっこうの自給自足くらぶです。はじめは邪魔だといわれても、手伝っているうちに少しは役に立つ人間になれます。
日本の自然も生きる環境も守り、安全な食糧を作ってくれているのは1%にも満たない有機農家たちです。お金を出せば安全なものが買えるという考えは最後までは通用しません。各地で頑張っていたって孤立して老齢化して後継者もいなくて(大変なので後を継がせたくなくて)いつまでも頑張れるはずないじゃありませんか。もう限界なのです。メダカのがっこうが農家と会員をつなげますから、今すぐ助け合い始めましょう。みんなで働けば、有機農業ほど楽しいものはありません。

2009年2月20日

自給自足を考えるこわ〜いお語

今回は、突然食糧輸入がストップしたと想定して、ある一家の様子を物語にしてみました。
あっパスタがない
 ある日曜日、子どもたちが「おかあさん、お腹がすいたぁ」と言うと、「じゃあ、パスタでも食べましょうか」とおかあさん。すると、パスタがぱっと消えました。あれっ。「じゃあ、パンにしましょう」すると、パンも消えました。あれ、あれーっ。「困ったわねー。じゃあごはんとお味噌汁にしましょう。」すると、お味噌がぱっと消えました。あれ、あれ、あれーっ。
 「それじゃ、スーパーに買いに行きましょう」とおかあさん。2人の子どもとスーパーへ行くと、パンの棚は空っぽ、ジュースの棚も、冷凍食品の棚も、パスタや麺類、粉類の棚も、お醤油やお味噌や油などの調味料の棚も、みんな空っぽです。
「あっ、あそこに人だかりが」。行って見ると、有機野菜が出されると同時に売り切れていました。近海の魚貝類も、あっという間に売り切れ。「どうしたのかしら」
輸入ストップですって。
すると、そこに貼り紙が、何々。「ただいま、輸入食品が入ってこないため、ほとんどのものが品切れになっております。お客様には、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、今のところ輸入再開の見通しは立っておりません。現在ある農畜産物も、化学肥料や農薬の原料、畜産の飼料が入ってこなくなるため、生産量が減少すると思われます。今後、回復の兆しが見られませんので、皆様、どうぞ各自で対策を立てられることをおすすめいたします。」
おばあちゃんちへ行こう!
「わぁー、たいへん! じゃあ、おばあちゃんちへ行きましょう。」とおとうさんが車を運転して1時間余り、田舎のおばあちゃんの家に着きました。
「おばあちゃん、こんにちはー、どこー」。「畑だよー」見るとおばあちゃんは、畑から小松菜や、ネギを収穫していました。「よく来たね。お腹すいたでしょ。いっぱい食べるといいよ」 おばあちゃんは、ごはんと野菜いっぱいの味噌汁と根菜類の煮物、小松菜のお浸し、ネギ味噌、たくわんを出してくれました。「おいしい!」みんなお腹がすいていたので、たくさん食べました。
みんなお腹がいっぱいになって、少し落ち着いてきたので、お茶を飲みながら都会での出来事を話しました。「それは大変だったね。でも田舎も実は大変なんだよ。家でもおじいさんが生きていた頃は田んぼもたくさん出来たけど、今では自分で食べるだけの面積にしてしまった。畑もあちこちに結構広くあるのだけど、自分の体力を考えると、家の前の狭い畑しか出来ないんだよ。」と寂しい話を始めました。そういえば、おばあちゃんの家に来る途中、作ることを止めてしまった田んぼや畑が結構ありました。この近くの農家も、どこも後継ぎがいなくて、みんな同じような事情のようです。
話には聞いていたけれど、都会での忙しい毎日の生活にまぎれて、ちゃんと見ていなかった田舎の様子に、みんな愕然、これからのことを話し合いました。
おばあちゃんに教わって、田んぼや畑を復活しよう!
 都会には食べるものがなくなった今、おばあちゃんの田んぼや畑は、唯一食料が手に入る場所です。とにかく当分の間、おばあちゃんに教わって、みんなで田んぼを復活してお米を作ったり、畑で野菜を作ったり、味噌や醤油や漬物やたくわんを作ることにしました。おばあちゃんは、教えることが山ほどあるので、大変だけど大はりきり。
メダカのがっこうは、2009年に自給自足くらぶを作りました。こんな日のために、どんな準備をしておいたらいいのか、いくつか提案します。
1、まず我が家のお米を1年分確保しましょう。
①この物語の一家のように、田舎に田んぼや畑がある場合は、今のうちに放置されているところを復活して、お米や野菜を作りましょう。週末に田舎に出かけて働くだけで、結構出来ます。何でも作れる師匠がいる幸せな方は、今のうちにその技術を受け継いでおいてください。
②農地に縁がない場合は、メダカのがっこうの花まる農家から直接1年分のお米を契約して確保してください。お米の量が確保できるグリーンオーナー制がいいでしょう。これでも十分生きものの生息環境を復活できます。また、全てを農家任せにせず、出来る限り出かけて行って、農作業の効率よい動きをマスターし、次世代の日本人に教えられる人になるつもりで、しっかり手伝いましょう。
2、野菜、調味料、漬物、その他の加工品を作れる人になりましょう。
①メダカのがっこうは、微力でも食糧生産の働き手になろうと、会員である有機農家の援農ボタンティアを始めました。かれらは自然栽培でおいしい野菜を作るすばらしい師匠です。野菜作りのほかにも、味噌、梅干、漬物、などいろいろな師匠がいるので、各地で自給自足くらぶの体験教室を開きます。どうぞご参加ください。
②2009年メダカのがっこうは、お醤油作りに挑戦して大成功したので、今年はメダカのがっこう理事である向山さんの五風十雨農場(山梨県白州町)で醤油造りをします。3月に仕込んで、12月に搾る計画です。こちらもご参加ください。
3.自給自足の食材で、おいしく健康になる食べ方を勉強しましょう。
①春夏秋と年3回行なっている若杉友子先生の野草料理教室は、野草の食べ方だけでなく、日本人の食の建て直しがテーマで、食べ方の基本が学べます。
②神田神保町おむすび茶屋と、その夜の部「若杉ばあちゃんの台所」は会員農家の在来種で作った有機野菜を、砂糖と添加物を使わず、手作り味噌、手作り醤油で料理しています。参考になさってください。
皆さん、今年は自分の食料を作るために、時間を作って働いてみませんか? 身体は大変でも、仕事の質と使う頭が全く違うので、リフレッシュすること請け合いです。