炭の研究開始に当たり、3人の炭焼き名人に会ってきました。
一人目の杉浦銀治(すぎうらぎんじ)さんは、大地の呼吸を取り戻すことを実践している「杜の会」の矢野智徳さんに、大地や樹木を生き返らせるために炭を撒くことを教えた方で、矢野さんのご紹介でお会いすることができました。
彼は1925年愛知県生まれの91歳、宮内庁帝室林野局東京林業試験場(現・森林総合研究所)に入省、のちに農林省の林業試験場木材炭化研究室長を歴任。その間、炭の研究をつづけ、炭を使った土壌改良、環境改善型農業を世界中で指導。国際炭やき協力会会長、三河炭やき塾顧問、炭やきの会副会長。平成11年林野庁林政記者クラブ賞。25年吉川英治文化賞。著作に『炭焼革命-まちづくりと地球環境浄化のために』 『木酢液の不思議』 『炭の力』などがあります。
彼は、炭の世界では知らない人がいない方で、活動は日本だけにとどまらず、JICAでアフリカやアジアで現地にあるもので炭焼き釜を作り、炭焼き指導もしてきた方です。
『炭は地球を救う』の著者である宮下正次さんに炭を撒くことを提案した先生でもあります。竹炭の新野さんとは、ハワイの世界炭サミットで知り合って以来の友人だそうです。
杉浦銀治さんは、私がお話しした梅干しの黒焼きに非常に関心を持ってくださり、「これを備長炭の窯で焼いてみましょう。和歌山の梅仙人という炭焼き名人と一緒に研究しましょう。もっといいものができますよ。私は一つこれをやってみたいと思っていたのです」と、今回の出会いをとても喜んでくださいました。
二人目は、宮下正次さんです。彼のことは、舩井幸雄先生から『炭は地球を救う』というご本をお借りしてから知ってはいたのですが、メダカのがっこうの関係で佐渡に入った女性が、同時に佐渡での宮下さんの活動を支えていたご縁で、炭のことを教えてほしいと連絡をすると、宮下さんも私に会いたいと思って下さっていたとのことで、さっそく翌日百年住宅であるご自宅に呼んでくださいました。
前日にお会いした杉浦銀治さんは、関東森林管理局がナラ枯れの本数ばかり数えていて根本的な解決に着手しないことに不満を持っていた宮下さんに対し、そればかりじゃだめだ、実際に炭を撒いて助けてやらなければ、とアドバイスをしてくれた恩師だそうです。
宮下正次 (みやしたしょうじ)さんは、1944年8月22日群馬県みなかみ町(旧月夜野町)生まれ。現在71歳。元関東森林管理局勤務。「森林(やま)の会」代表・森びとプロジェクト委員会理事・日本熊森協会顧問をされています。
また、スイス・マッターホルン北壁登攀。インドヒマラヤ・シャカルベー世界初登頂。ロシアパミール・コムニズム峰北面バロートキンルート登頂ほか、チロル・ピレネー・ドロミテなど多くの海外の山に登る登山家でもあります。日本と世界の森林衰退の実態調査や、南極・極渦圏の森林衰退の実態調査・研究、縞枯れの研究をはじめ、松林再生・松茸やナラ・広葉樹林復活にかかわり、幅広い活動をしていらっしゃいます。伝統軸組木造住宅を建築(金物を使わない、500年もつ家づくり)。著書に『こうすればできる100年住宅』『炭はいのちも救う』(共にリベルタ出版)。他共著も多数あります。
お会いしてみると、宮下さんは、私と関心が広い範囲で重なり、活動の形は違いますが、ほとんど同じ自然観を持ち、実行している方だと感じました。高崎のご自宅は、炭素埋設をし、新月伐採の木材で100年以上もつように建てられた百年住宅で、昔の民家と見まごう立派なお家でした。敷地も数百坪と広く、敷地内にドラム缶の炭焼き釜があり、冬になると炭焼きをするそうです。庭には醤油のもろみ樽が置いてあり、メダカのがっこうと同じく岩崎洋三さんの「お日さま醤油」でした。アカマツ、ナラ、ウバメガシ、麻、マコモなどを様々な特徴のある食べる炭も研究されていました。麻の復活が必要だと思っているところや、楢崎皐月さんの静電三法を実践して畑に頂上針(おったて棒)を立てていること、新月の木国際協会にも設立当時から関わっていたこと、森山まり子さんの日本熊森教会の顧問をなさっていることなど、今までお会いしなかったのが不思議なくらい、人間関係も考えていることも近いと感じました。奥様のみどりさんもどこかでお会いしたことがある気がしましたが、若杉さんを通じて私のことをご存じで、神保町のお店に来てくださったこともあるそうです。
宮下さんが行政の人から聞いた話によると、福島で表土15cm除染した土は、大きなプールに入れられ炭の粉を入れているそうです。こうすると、放射能が消え、放射能を吸った炭の方は菌が分解してしまうそうです。これを聞いて私は、国が炭の力を知って活用していることを知り、びっくりと同時に安心しました。炭は放射能汚染の大地も救ってくれるのです。
ダメージを受けている樹への炭の撒き方を伺うと、その樹の枝の先端の下あたりのぐるりに撒くのですが、それが、幹から1mだったら10kg、2mだったら20kg、3mだったら40kg、4mだったら80kgと倍々の炭の量にするのだそうです。丁寧にするには、穴を掘って埋めるとさらに良いそうです。「弱った樹には炭は万能、失敗がない、困ったときの炭頼みだ」といおっしゃった言葉が印象に残りました。
3人目は前回ご紹介した竹炭の新野恵さんです。彼は、メダカのがっこうのデトックス黒焼きカレーの微粉末の竹炭を提供してくれている方で、今回山口県宇部市の炭工房かぐやに行き、現場を見てきました。
新野恵(にいの・めぐみ)さんは、1934年、新潟県刈羽郡二田村生まれ。サクセス・アイ代表。元々、電力会社のボイラー技師だった経験を活かして、独自の炭窯を開発。山口県で竹炭焼きを初めて約20年、すでに400以上の炭窯を全国各地に導入。さまざまな効果とポテンシャルの高い竹炭や竹酢を使用して多くの人に癒しと喜びをもたらすだけでなく、竹炭結界等をユニークかつ斬新な方法で、多くの方々の体調の乱れを調和し、結果的に本来あるべき良好な状態へと導かれたと、多くのリピーターが集まる。著書に『雲の上に木を植える~素朴なアルケミストたち~』(Eco・クリエイティブ刊)等多数あります。
新野さんは、竹炭を焼き始めた第一人者で、竹炭のことを「ちくたん」と呼ぶのは、工業製品の燃料扱いなので、「たけすみ」と呼ぶと竹炭がとても喜んで働いてくれると話してくれました。ですから竹酢液も「ちくさくえき」ではなく、「たけす」と呼びます。意識の大切さを熱く語ってくれました。
新野さんのお話しのなかに、院内感染の菌は、病院での抗菌・殺菌で居場所がなくなった菌が弱った病人につくしかないので起こす現象だから、この菌の住処を作ってやればいいと気が付いて、竹炭を置いたところ、解決したという話があります。
ここで、炭がなぜ素晴らしいのかに改めて気が付きました。現代は都合の悪いものはすべて殺すことで問題解決しようとして、反対に問題が大きくなってしまうというのに、炭とは善玉悪玉の区別をすることなく、すべてに住家を提供し、すべてを生かすことで問題を解決するという愛の存在なのです。
8月20日(土)11時から14時の「食とお米とその周辺の研究会」炭の研究J(その2)に新野さんが来てくださいます。竹炭や竹水も取り寄せます。ぜひ直接お話しを聞きに来てください。お食事はデトックス黒焼きカレーです。
お申し込みは、メダカのがっこうのホームページからどうぞ。