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中村陽子のコラム

2003年3月12日

稲を育てる気持

 「ふつう稲を生産するって言いますけど、生産するって、命あるものに使う言葉では、ありませんよね。子どもを生産するって、言いませんから。だから僕は、稲を育てることにしたんです。」 胸にジーンと来る言葉でした。
 この言葉の主は、琵琶湖の湖北地区で、不耕起栽培で稲を作っている柴田さんです。彼は、お父さんから、農業は将来性のある仕事ではないから、自分の好きなことをするようにと言われ、都会に出て、グラフィックデザイナーの仕事をしていました。仕事は順調でしたが、都会そのものの空気に馴染みきれずにいた時、故郷で田んぼをやっていた身内が次々と農薬による病気や突然死に遭い、彼は守り手がいなくなった田んぼを引き受けるため、故郷に帰る決心をしました。

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