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中村陽子のコラム

2001年2月4日

立上る雑草

 1946年の「採集と飼育」という雑誌に「立上る雑草」という題名で、広島に原子爆弾が落ちたあとに生えはじめた雑草を調べて記録してくれた人がいます。結城一雄さんという方です。当時の様子がよく伝わってくるので彼の文章を引用します。
「広島の焼野が原は、原子砂漠といわれていますが、その原子砂漠に今や数々の雑草が雄雄しく立上がっています。閃光一瞬、広島の人たちが被ったごとく、かれら雑草の大半は死滅したものと思われていました。当時の強烈なウラニュウムの放射は、広島に70年間生物を住まわしめぬだろうとさえ言っていましたが、広島復活の先駆は、実にナズナ、ウマゴヤシなどの雑草たちによってなされたのです。爆心地の湖畔から広島城一帯のかれらの繁茂は驚くほどです。緑に飢えた砂漠の人々のオアシスとなっているのです。スクスクと何物にもひるまない逞しいかれらの成長は、戦の疲れから抜けきらない人たちへの無言の教示とも言えましょう。」と彼は爆心地から1500m圏内の草を調べています。


 ハハコグサ、オニタビラコ、ハルノノゲシ、トキンャE、ヒメムカシヨモギ、アレチノギク、ヨメナ、タンポポ、シロバナタンポポ、ヨモギ、ノアザミ、チチコグサ、ノジシャ、ャNズ、アカネ、ヤエムグラ、ヤイトバナ、オオバコ、ヘラオオバコ、イヌノフグリ、オオイヌノフグリ、タチイノフグリ、サギゴケ、カワジサ、イヌホウズキ、タウバナ、キランャE、カキドウシ、オドリコャE、キュウリグサ、コナスビ、ヤブニンジン、チドメグサ、ノチドメ、マツヨイグサ、オオマツヨイグサ、スミレ、エビヅル、トウダイグサ、ゲンノショウコなど、40以上の草をあげています。
 他にも被爆した植物にひきつけられて被爆樹を調べた人がいました。その方は、広島の爆心地で、たった被爆2ヶ月後に焼け土から芽を出しつるを伸ばして花を咲かせたアサガオや、長崎の爆心地から500mの浦上天主堂下でやはり2ヶ月後に花を咲かせたヒガンバナの存在を知り、調べ始めたのでした。事実、原爆症がいつ自分にも出るだろうと思っていたとき、蘇った緑を見て、ひょっとしたら生きられるかもしれないと一縷の望みをもった被爆者がたくさんいたそうです。
 爆心直下の半径200〜300mにあった樹木は、ほとんど真上から爆風圧を受けたため倒れないで立っていて、その中で息を吹き返した樹木をすべて記録した地図が残っています。
特に、アオギリ、エノキ、クスノキ、ケヤキ、プラタナス、シュロ、カイズカイブキ、などの被爆樹が記録されています。
 私は、当時70年間生物が住めないだろうといわれた土地にいち早く生えた草が、アッという間に土を浄化し、その草や樹の緑が人々の心に生きる希望を与えてくれたこと、それを喜び感謝して記録した人間がいたということにとても感動し、今回ご紹介しました。被爆植物の記録を風化する前に集めたいと思いますので、いい情報を下さい。お願いします。
 今も地球の砂漠化は進んでいますが、ウラニウム爆弾が落とされた世界の戦地では、さらに原子砂漠が広がっています。植物の数が少なくなってしまった砂漠では日本のようにたくさんの草は生えないでしょう。そのような地にも粘土団子による種蒔きが計画されています。草の力は原子爆弾より強いのです。粘土団子による種蒔きを進めていきましょう。