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中村陽子のコラム

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2011年1月16日

見えてきたメダカ流自給自足の形

企業から家業へ
 メダカのがっこうの自給自足の師匠、若杉ばあちゃんは、命を支える食は経済効率を追及せざる終えない企業に任せるのは止めて、命を優先する家業で作るべきだと提案し、実践に移しています。それに続く私たちも、2010年自給自足くらぶを結成、米だけでなく基本的な調味料や食材を作り始めました。
今年メダカのがっこうで会員農家が作ったすべて無農薬・無化学肥料の最高に贅沢な材料で、味噌、醤油、梅干、どぶろく、コンニャク、たくあんと作った人は、生きる力がかなりアップしたと思います。そして面白くてたまらなくなったでしょう。買う生活は楽ですが、その楽な暮らしにもう戻りたいとは思わないでしょう。
 それに少し困ったことに、味の違いが分かってしまうと、買ったものが食べられなくなってしまうのです。味の違いはすぐ分かります。つい先日醤油搾りの仲間と、搾りたての醤油を湯飲みに少しいれお湯を注いで飲んでみたところ、まるで昆布だしで作ったお吸い物のようにおいしいので、みんなで感動しました。これと同じことを市販の醤油で行うと、いろんな添加物が薄まって気持ち悪い味になって飲めたものではありません。米と塩と調味料は、自分で作るか、作る人と深く関わって仲間になるしかないと思いました。
 さて、その自給自足の仲間作りには醤油造りが最適ではないかと最近思うようになったので次にそのことをお話しましょう。
新しい村、新しい結(ゆい)になっていくかも
 味噌や梅干や漬物などは1人でも作れますが、醤油搾りは皆で協力し合わなければ出来ません。搾り師を中心に、早朝から大量のお湯を沸かし、湯を運び、搾り終わったら搾り袋をひっくり返してモロミ粕を出し、袋を3回洗いして干し、醤油を釜に入れて火をいれ、60度まではゆっくりと、その後は88度まで一気に炊き上げ、さっと火を落とし、棒目計で比重を計り棒目1.7で最後の調整をする。皆がすべての行程を理解し、気をつけ、指示されなくても声を掛け合って働き、それぞれが持ち寄ったモロミが次々とおいしい醤油に生まれる変わる場に立ち会い喜び合う。現代では都会でも田舎でも味わうことが出来ない共同作業の喜びがここにはあります。1度味わうと病みつきになるほど身体は大変なのに楽しい時間なのです。醤油造りは私の両親の時代も村仕事だったようです。今ではなくなってしまいましたが、私たちの活動から生まれたこの仲間は、新しい村、新しい結(ゆい)のような存在になっていくのではないでしょうか。
各地に広がる醤油師たち
 醤油造り2年目にして、綾部は既に独自で搾りはじめています。また、伊豆大島の阪本さんも、大田原の2大農家、水口さんと杉山さんも自給自足会社をめざす佐藤さんも、味噌造りの山崎さんも、地元の核となって始めたいという希望をもっているので、岩崎先生から醤油搾りの研修をしていただきました。それぞれの方は自分で何でも工夫して作れる兵ばかりですので、さっそく醤油搾りの舟の設計図を元に、搾り船を作る予定です。この世界に企業秘密はありません。それは萩原師匠の精神を継承している岩崎先生が、みんなが醤油搾り師となって、それぞれの地域の手造り醤油の中心になってほしいと願っているからです。
見えてきた自給自足の形と価値観
 自給自足体制は1人や1家族ではできません。農薬・化学肥料を使わないで命を大切にしている農家と提携する必要があります。調味料に至っては、大豆、小麦などを有機栽培か自然農法で作ってくれる農家、私たちの活動を理解してくれる麹屋さん、日本の海水で塩を作ってくれる塩屋さん、皆が集まれる場を提供してくれる人たちと仲間を作ることで手造り体制をすることができます。
 そしてその仲間たちを結ぶためには、とても大切な価値観がひとつあります。それは、
①日本人の健康を支える根本的な食、米、塩、味噌、醤油などに関しては、優先的に予定を組み、市場経済からはずして考えること。
②一人ひとりが、醤油搾りの萩原忠重さんのような独立独歩、独学の精神を忘れず、先駆者への感謝を忘れないこと、そして、お金さえ出せばいいだろうという考えを捨てること。
③常に自分の頭で考え、仲間のことを思いやり、自分が出来る無償の働きを惜しまないことです。
 各県、各地域に生まれようとしている醤油搾り師を核として、必要な時だけメダカのがっこうがお手伝いして仲間作りをし、定期的に情報交換の場を設ける。企業から家業へのビジョンがかなり具体的になってきたでしょう。これがメダカのがっこうの活動を通して、見えてきた自給自足の形です。

2011年1月16日

恐るべし!マコモの浄化力

若杉ばあちゃんのマコモ料理ツアー
 10月23日(土)24日(日)、大田原の水口農場で、1泊2日若杉ばあちゃんのマコモタケ料理教室がありました。水口さんは、6町歩を無農薬・無化学肥料の冬・水・田んぼでお米を作っているスーパー農家です。どうしてここが会場になったかというと、水口さんはここ5年、マコモを栽培し始め、昨年はマコモタケを2000本以上出荷するほどになりましたが、実はそれは2005年の夏、綾部の若杉ばあちゃんから送られてきた5株のマコモの苗のうち3株を水口さんに株分けして植えてもらったのが始まりなのです。
 この5年、マコモは全国に広がりました。ばあちゃんの株分けから始まり、増やした人がそれぞれ株分けしていったからです。その中でも水口さんはダントツ、さすがスーパー農家です。それに、今年彼は、昔の牛舎を地元の檜材で改築し、味噌・漬物などの加工場と自給自足研修所を作ったことをばあちゃんに話すと、「水口さんはすごい百姓だね。私会ってみたい」というので、2人の出会いが実現しました。
マコモについて、若杉ばあちゃんのお話
 「マコモは、縄文人たちの日常食だったのよ。昔は日本中の村や川には、ヨシやアシと一緒にどこにでも生えていて、葉はお茶にするだけで、血液の浄化と細胞の活性化になるし、マコモタケは繊維が多く、腸の煽動運動を起こし便秘を解消するのよ。マコモは聖なる霊草で、出雲大社では神事や祭事にマコモを敷くし、お釈迦様は多くの病人にマコモ茶を飲ませたり、葉で編んだ布団に寝かせた話は有名よ。
 マコモが人体に入ると、血液、体液、リンパ液、細胞液、唾液に浸透し、内臓部分から緩やかに穏やかに不必要な老廃物や毒素が、吐き出され排泄され、身体や心が浄化されるのよ。」と話には聞いていましたが、私は今回それを体験することになりました。
排毒が始まる
 私は、10月はじめから我が家のビオトープに出来たマコモタケを食べ始め、12日、大量に水口さんから送ってもらったマコモタケを毎日食べ、マコモ茶を飲み続けていました。15日も17日もマコモタケの料理教室、23日も水口農場で、若杉ばあちゃんの助手をしながら、マコモタケ料理尽くしを堪能し、生葉で煎じたマコモ茶を飲みました。すると、23日の夜中から、足からジンマシンが始まり、膝、腰と広がっていきました。尋常ではない痒さに夜も寝られず、朝まで我慢し、5時にばあちゃんのところに言って聞きました。すると、「それは排毒が始まったんだね。陰性の人は激しく出ないのよ。足は魚の毒、関節や膝は卵の毒、腰から下は陽性の毒だよ。生姜油を塗ると少し楽になるからやりなさい。家に帰ったら生姜で足湯をするといいよ。」というので、さっそく生姜を摩り下ろして汁を絞り、生姜汁とごま油を1対1で右巻きに回転して混ぜ、生姜油を作って塗りました。少し楽になったので、午前中の座談会とほうれんそう畑の草取りを済ませ、お昼もマコモづくしの料理を食べて帰路に着きました。
 すると、車の中で足から腰、両腕、お腹、背中、首周り、頭まで痒さが移動しながら広がっていき、生姜油を塗りましたが、治まる様子はありません。やっとの思いで、家にたどり着き、全身に生姜油を塗ろうとお風呂場に行って鏡を見てびっくり、顔以外、全身にジンマシンが世界地図のように出ていました。言われたとおり生姜の足湯をし、眠ってしまおうとしましたが、体が布団の中で温まると、とても寝てはいられず、全身かきむしってしまいます。
2日目、目がパンパンにはれる
それでも少しウトウトして翌朝目を覚ますと、今度は目が腫れ上がっていました。これでは渋谷東急に出店しているおむすび茶屋に行くのは無理かなと思って、ばあちゃんに電話すると、「それはあんたもいよいよ血の建て直しが始まったんだから、医者に行かんでしっかり治しや。私ら親子も目がパンパンに腫れたこともある。首から上は砂糖の毒だよ。腫れが全身移動するのは、どこから排出しようか探しているんだよ。ヨモギで腰湯をしなさい、それから生姜の足湯もしなさい。生姜油で頭をマッサージしたり、こめかみに塗りこみなさい。それから、こういうときは、動いて身体から炭酸ガスを出した方がいいんだから、マスクでもして仕事に行きなさい。あんたがおらんと困るやろ。」というお言葉をいただいて覚悟。言われたことを全部して、梅干の黒焼きをなめ、顔を手ぬぐいを深くかぶって隠し、渋谷東急に行っておむすびを結びました。足や腕、背中の痒さは堪りませんでしたが、ようやく1日が終わり、家に帰って、もう一度ヨモギの腰湯と、生姜の足湯をして休みました。
3日目、排毒の様子を人に伝えられる人になろうと覚悟
 次の朝、若杉ばあちゃんから「どうや」という電話があり、腰湯、足湯、マコモ茶、梅干の黒焼きなどやって少し治まったことを報告すると「写真を撮っとけばよかったのに。排毒の様子を観察して人に伝えられるようにならんとな。おしっこの味を見てごらん。おしっこにも5味があるんよ。塩っ辛いのは魚の毒、水みたいなのは砂糖の毒だよ。それから梅醤番茶も飲むといいよ。」という指示を受けました。そこで25年物の梅と生姜と自家製醤油をマコモ茶で溶いて飲みました。この日はほとんど痒さに悩まされることもなく、目の腫れもかなり治まり、4日目は全身がほぼ平常に戻りました。
 ばあちゃんは、「排毒は何回もやってくるから、悪いものは一切止めて、マコモ茶でどんどん洗い流すんだよ。」と言いました。
マコモの浄化作用は恐るべし。覚悟が出来ている方、お試しあれ。 

2011年1月16日

地球の庭師に出会いました

 この8月、大きな出会いがありました。長野の黒岩農場でお会いした矢野智徳さんです。この日、黒岩農場では、「いのちめぐる大地の再生講座」が行われており、矢野氏は講師でした。ほんの半日でしたが、彼から自然再生の根幹である水の流れ、風の流れを整える基本的な考え方を学ばせていただきました。それは今まで感じていた違和感、自分の自然観と行動とのギャップが一辺に晴れる素晴らしいものでした。
 メダカのがっこうが、この10年続けてきた田んぼの生きもの調査が、田んぼの健康診断にあたるとすれば、今回出会った大地の再生講座は、もっとバランスよく生きものたちが住める農地にするための具体的施法にあたります。メダカのがっこうも、調査結果を踏まえて、農地の根本的な環境再生への処方が提案できるようになりたいと考えていたところでしたので、時期を得たありがたい出会いでした。
農場での大地の再生講座
 矢野智徳さんは、地上の木の姿から地下の水の状態を読み、水の道を整える工事を移植ゴテ1本でしてしまいます。彼は大学で自然地理学を専攻中に、1年間日本一周の見聞を経て、独自の造園業を始めた方で、環境再生医でもあられます。
① 地上の姿から地下の水の状態を読み整える
黒岩農場での矢野さんの再生講座は、3月、5月にひきつづき3回目、前回は、梅の枝の枯れ具合から、近くを流れている水路の水が地下に入って梅の根を傷めていることを発見、水路を切り直し、地盤を固めて水の道を変える処置をしたところ、この日までに、梅の木は元気を取り戻していました。しかし今回は、その水路に草が繁茂し、水面が見えなくなっていました。この草が大きくなりすぎると根が地盤を緩め、再び水が漏れ出す恐れがあるため、草刈りの必要があり、その方法を学びました。
② 草の刈り方で風の道を整える
 矢野さんは、遠く山のほうをさして、「山の渓流が木々に覆いつくされることがないのは、谷を吹きぬける風や雨、時には台風が枝を折って適度に整えるからです。ですからここでは草が風で自然に折れるところを目途に刈りましょう」と、草をなでながらサクサクと刈り始めました。まるで美容師さんが髪をカットするような手つきで。
幼稚園の園庭の健康再生
 矢野さんの自然再生方法に魅せられた私は、彼が手がけている東京の幼稚園の園庭を手入れする日程を教えてもらい、見に行きました。その幼稚園は東京の住宅地とは思えないくらい屋敷林に囲まれた広い敷地に建っていました。
③ 踏み固められた地面に浸透力を取り戻す
 幼稚園の園庭は、園児たちによって踏み固められていました。すると表土から水も空気も通らなくなり、地下では水が滞りヘドロ化し、その周辺の木々が元気をなくしてしまいます。そこで、まず緩やかに水が流れる水筋を作り、水が溜まる場所をなくし地面が呼吸出来るようにします。今までの処置で園庭にはだんだん草が生えるようになっていました。草が生えると地面は息を吹き返し、水の浸透力が復活します。水が入るということは空気も入るということで、地下に滞っているヘドロ化した水が動き始めるのです。実際、桐の木が元気になり始めていました。この木は前回、元気をなくして表皮がボロボロになっていたそうですが、今回は元気を取り戻し、自分で表皮を治してツルツルになっていました。
④ 地面を草で覆って健康な表土回復
 地面をすべてアスファルトとコンクリートで覆ってしまう都市では忘れ去られていますが、地球の表面は、本来草で覆われているのが健康な姿なのです。そこで、草が生え始めている周辺に、剪定した木をチップにした有機物や腐葉土などを撒きます。するとこの有機物が草地を誘導して広げます。草地が広がれば草の根が水と空気を地下に運びます。こうしてこの園庭でも健康な表土が回復し始めていました。
⑤ 木を元気にする
 直接木を元気にする方法も見せてもらいました。浸透した水がたっぷりすぎて食傷気味で元気をなくしている桜の木です。この木の枝先の下あたり周囲5箇所に50センチ〜70センチほどの穴を開け、その穴にその長さに切り割った竹を差込み、さらに炭と腐葉土と籾殻燻炭を合わせたものを入れました。こうすると、地下に溜まったガスが出て行き、上からは良い空気が入り、木が元気になるそうです。今度見に行くのが楽しみです。
 自然に手を入れる時に心がけとして、一度に望ましい姿にしてしまうことなく、7割程度でやめておくことが肝心だと教わりました。自然への関与は、様子を見ながら、弱い関与を回数多くしていると、自然に美しい姿に落ち着いてくるそうです。
地球の庭師
 私は彼に、特定外来生物といわれる今や日本中を席巻しそうな草は、どうしたら良いかと尋ねました。すると彼は、「その草にも働いてもらいましょう。他の草と同じ扱い方でいいです。そのうちに暴れなくなり落ち着いてくると思いますよ」と答えてくれました。
 私は「地球の庭師」という言葉が浮かんできました。人が入れない奥山は熊が庭師、下枝を折り、大きな身体で空間を作り、風を通し美しい庭園を造ります。そして山の渓流の両側は風が庭師。そして人が手を入れた農地や人工物が多い都市部には、彼のような感覚を持った庭師が必要だと思いました。私もこれから勉強したいと思います。皆さんもご一緒にどうぞ。

2011年1月16日

表示のマジックから目を覚まして

認証米表示が意味するもの
 以前、「減農薬に気をつけて」という記事を載せていただいたことがありますが、減農薬表示よりもっと厄介なものが、認証制度だということに最近気がつきました。この制度は、エコファーマーとか、特別栽培米とかの基準が各県にあり、その基準に当てはまるものが認定を受けることが出来ます。普通、その地域の慣行栽培で使う農薬や化学肥料を5割以上減らすことが認定基準です。減農薬同様、ここには生きものたちの意見は全く入っていません。人間が減らしたかどうかが問われるだけなのです。
 常識的に考えると、認証米というのは、環境を取り戻すことに貢献している農場で栽培されていると思う人がほとんどだと思います。ところが、その触れ幅は非常に大きく、生きものを愛する農家で除草剤1回の場合から、本当に慣行農法の5割減の農薬や化学肥料を使用した場合まであり、私たちには到底その実態を知ることは出来ません。
 私たちが無農薬・無化学肥料と信じている有機認証制度でさえも、使っていい農薬があるのをご存知ですか?認証制度というのは、いずれにしても、使った農薬を表示しなくていいという農薬の隠れ蓑であり、誰かにとって都合のいい制度なのです。
 これと同じことが生物ブランド米にもあります。昨年朝日新聞に特集された生物ブランド米を10件ほど調べてみたら、8件が農薬・化学肥料を使っていました。本当にこれで環境が取り戻せるのでしょうか?山の中の自然に囲まれているという好条件に支えられているおかげかもしれません。本当にネオニコチノイド系の農薬を使っていないのでしょうか?分からないことばかりです。
減農薬を可能にしたネオニコチノイドの話
 最近、ネオニコチノイドを発明した日本人がアメリカの化学賞を受賞しました。評価の理由のひとつに、この農薬が減農薬を可能にしたという表現を見つけました。使用する農薬を半分にしても、これで今までとほぼ同じ効果が得られることにこのネオニコチノイドが貢献しているのです。ということは、減農薬や特別栽培の農産物には、ネオニコチノイドは必ず使われているということではないでしょうか。
 ネオニコチノイドといえば、ミツバチを激減させた最重要容疑者です。社会性の生きものであるミツバチの脳を侵し免疫力を奪うものです。農薬が掛かったミツバチは通常の場合、巣に入いれませんが、ネオニコチノイドは無味無臭のため門番にも気づかれず巣に入ってしまい、巣ごと全滅してしまうのです。
減農薬の農産物を少しくらい高くても私たちが買うのは、身体に安全だというだけでなく、環境に良いと思っているからですよね。生きものたちに聴いてみると、ノーと言っていますよ。ここ数年、ミツバチとトンボが消えつつあります。人間の脳にだって悪い影響が無いと言い切れるでしょうか?
表示のマジックから目を覚ます
ではどうしたらいいでしょう。この問題には、とても簡単な解決策があります。それは使った人が使ったものを多く使った順に米袋に書けばいいのです。今まで気がつきませんでしたが、一般の食品と農産物は逆になっているのです。
 今、食品についてはとてもいい表示方法が義務付けられています。それは、その食品の原材料を重量の多い順に記載するというものです。この表示方法を、農産物にも適用するとすべてがクリアになります。現在は無農薬の農家がそれを証明するために有機認証を得ようとすると、検査員の交通費から宿泊費に至るまでの高額の検査費用と栽培記録を書く手間が必要です。無実を証明するために苦労しているのが現実です。これは本当におかしいことなのですが、ほとんどの人は認証制度のマジックに掛かっているため、気がつきません。
 逆表示のマジックから目を覚ましましょう。表示の基本は、使った人が使ったものを多く使った順に記載することです。これでいくと、普通に農薬・化学肥料を使っている人が、それを記載して出荷するだけですべてが解決します。そしてうそを書いたら罰せられるという法律を作っておけばいいのです。今まで有機認証を受けていた作物にも、使用した安全な?農薬を記載していただくことになります。特別栽培や減農薬栽培の触れ幅の広い使用実態もこれで明らかになります。そして、これで行くと認証制度は必要なくなります。また自然農法で何も使っていない人は、何も書く必要がないということです。この場合、使用した農薬を書く欄には、この農地に住んでいる生きものたちや生えている野草の名前を書いていただけると楽しいですね。メダカのがっこう田んぼの生きもの調査隊がお手伝いします。
 さて、この逆表示を正す運動は、国を動かすのは大変なので、田んぼでつながっている農家と、メダカのがっこう会員である都市部の消費者の間で、始めています。メダカのがっこうの会員農家は、既に認証を取るというコストと手間を省き、1年に数回私たちと田んぼの生きもの調査をしながら、生きものたちの生き易い環境づくりを心がけてくださっています。私たちは制度改革ではなく、成功事例をたくさんたくさん積み重ねることで、認証制度が必要なくなる世の中を作ろうとしています。どうぞ参加してください。

2011年1月16日

こうじ菌は日本人のたからもの(田から来るもの)

 寒仕込みということで、2月のはじめ6日間ほどお店の味噌を仕込みに、雪降る大田原まで行ってきました。原料は、メダカのがっこうの花まる農家、水口博さんが農薬・化学肥料を使わないで栽培したギンレイという大豆、自然耕米、そして伊豆大島の阪本さんの「しほ海の馨」という私たちが最も信頼するものをそろえました。前半の3日がお店の味噌250kg、後半の3日がメダカのがっこう会員の味噌造り教室で250kg、合わせて500kgの味噌を仕込みました。
 ここでこうじ菌の力を体験しました。70kgの米を1日冷やして蒸してこうじ付けをするこうじ作りを2回経験し、180kgのこうじを作りましたが、毎日こうじを手でかき混ぜ、味を見たり、あまったこうじで作った甘酒をいただいたりして6日過ごして家に帰ってみたら、首のアトピーが良くなっていたのです。それに泊まりが続くと普通は便秘がちになるはずなのに、この6日間はおなかの調子がずっと良かったのです。日本人の身体に合う良い菌を、身体いっぱいに入れておくことが、とても良いことなのだと思いました。
こうじ菌は、「国菌」とも書くそうです。これなしでは、酒も醤油も味噌も造れません。まさに和食を根底から支える日本の国の菌なのだと認識を新たにしました。 
こうじは田からもってくる
 これは、1月に訪問した酒蔵、寺田本家さんで見せてもらったこうじの話です。メダカのがっこうの会員農家の田んぼは、農薬や化学肥料を使わないので、秋の収穫時期になると、稲穂に時たま緑がかった黒い玉がつきます。これをこうじ花と呼ぶことは知っていたのですが、まさかこれがお酒や醤油や味噌をつくるこうじ菌と同じものだとは思っていませんでした。寺田本家さんのこうじ室で、「こうじはどこから持ってくるかご存知ですか?」と質問され、薬局から買ってくるとも答えられず黙っていたら、「こうじは田からもってくるのです。田から来たもの、で たからもの(宝物)なのです。」と伺いビックリしました。こんな酒造元も全国でここ1つだろうと思いますが、本当に稲穂についているこうじ花を培養して、蒸したお米に振りかけてこうじを作っていました。
即醸作りの対極
 即醸造りとは、戦後物資が不足したときに、間に合わせるために出てきた技術ですが、何でも早く作ることが経済効率優先の社会に合致するので、醤油もお酒も自然醸造は姿を消してしまいました。即醸作りだと10日から2週間でお酒が出来ます。ところが寺田本家では、何も省かず酒母を育てるのに40日、酒母と蒸し米と水をあわせて酒になるまでに40日、あわせて80日かけてお酒を造っています。そして出来たお酒は色もあり雑味や酸味もあるので、透明でスッキリした飲み口がいいとされている現代のお酒の基準には当てはまらないのですが、これが実は大事なのではないかと反対に思わせるお酒でもあります。メダカのがっこうで醤油造りをはじめたのは、材料から吟味した自然醸造の醤油が手に入らないからですが、お酒に関しては、寺田本家さんがいるので安心です。
人間世界の発酵菌になる
 「発酵すれば腐らない」酒蔵と同じくらい素晴らしい発酵槽は人間の腸の中だそうです。病気の原因である活性酸素は、発酵槽の中では普通の酸素に戻るそうです。これは全部寺田本家の寺田啓佐社長の受け売りですが、最近お会いして前よりいっそう多様な人たちに囲まれながら謙虚になられている様子に気がつくことがありました。どうも彼は人間世界の発酵菌になろうとしているのではないかという疑惑です。口を開けば今までの懺悔と周りの変人とも言える多様なたちを賞賛するのです。
 私も人間世界の発酵菌を目指したい気持ちはありますが、人に不足を思ったり、自分の働きを自慢したかったりするうちは、道遠しですね。
こうじ菌は日本人のたからもの(田から来るもの)と知りました。

2011年1月16日

援農ボランティア隊を募集します!

 農薬・化学肥料を使わず、草や虫や鳥たちと一緒に土を守ってきた農家の方たちがいらっしゃいます。今まで“メダカのがっこう”は主に、そんな農家のお米を買い支える活動をしてきましたが、昨年6月から、実際に手が回らなくて苗が植えられなかったり、収穫できない農家からのSOSに応えて、援農ボランティアを始めました。
 あれから1年余り、田んぼイベントの合間を縫って、12回出動しました。この7月初めには、大田原の水口博さんからのSOSに応えて、田の草取りに2日で延50名の大部隊が動きました。みんなドロドロになって働きましたが、水口さんが長年育ててきた素晴らしい土と、この土から採れたおいしいお米ともぎたての野菜や摘み草料理に心も身体も癒されて、ステキな2日間でした。水口さんからも、援農ボランティア隊にこれからもっと来てもらいたいという要望をいただきました。
お客様から頼りがいのある人手に
 先日、援農ボランティアに参加された方からは、「今まで田んぼイベントに参加しても、あまりに楽な作業で満足できませんでした。もっと農家と深く関わって本格的な農作業が体験したいと思っていましたが、やっとその願いが叶いましたよ」というお言葉をいただきました。
 考えてみると、田んぼ体験イベントには、こども連れのほかに、農業を目指している方たちや、農的生活を始めている熟年層の参加がかなりありましたが、これからは援農ボランティアがその方たちの期待に応えることができるでしょう。
 農家にとっても、イベントはあくまでお客様サービスや環境学習のお手伝いで、嬉しいけれど農作業のペースは乱されます。それに比べて援農ボランティアは本当に困っている時に来てくれるので助かります。私たちも出来るだけ早く仕事を覚えて、頼りがいのある人手になりましょう。
田んぼ体験イベントはどうするか
 農家支援の観点から行くと、田んぼイベントは農家の負担が大きいので、支援とは呼べません。メダカのがっこうは、体験に使用する田んぼを収穫量に関係なく、面積当りでトラスト(所得保障)をしているので、農家は金銭的には損をしませんが、都市部の親子たちに田んぼ体験をさせてあげようと思うと、大切な田んぼを荒らされるのを我慢しなければなりません。どうしたら農家の応援になるのか、まだまだ考える余地があります。
 しかし、生きものいっぱいの田んぼや素晴らしい農家の存在を広く皆に知っていただくためにも、子どもたちにその楽しさを味わってもらうためにも、田んぼ体験はこれからも、農家の協力を得て続けていかなくてはならないでしょう。
援農ボランティア隊の決まり
 さて、援農ボランティア隊をスムーズに運営するために、いくつか基本的なの決まりを考えました。
① 援農ボランティアは農家から報酬をいただかない。
② 参加費はないが、交通費、食費、お風呂代などの経費は自分で負担する。
③ 援農ボランティア隊のほかのメンバーと仲良くする。
④ その農家の指示に従う。農法など口出しをして農家を困らせない。
以上です。
水口農場の場合、自給自足研修所で自炊するのであれば、食費、宿泊費は要りません。また、水口さんがプロ級の働きだと認めた方には、交通費の一部を支給したいと言って下さっています。郡山の中村農場からも援農ボランティア希望の申し出がありますが、遠方でもあり、多少条件が違ってくると思いますので、件別に対応します。
 
 今までのイベントでは物足りなかった方、プロの農家と深く関わりたい方、楽ではない本当の農作業をしたい方、援農ボランティア隊にどうぞ登録してください。登録してくださった方に、援農のお知らせをしています。
メダカのがっこうの農家さんたちは、みんな農薬・化学肥料を使わず、多様な生きものたちの営みを活かした農業をしています。この農業は自然を見誤ると即結果に出ます。彼らこそ、本当に自分の頭で考え、決断し、実行し、結果を受け入れて、責任を取っている方たちなのです。私は心から尊敬しています。素晴らしいご縁だと思いますよ。
※メダカのがっこう援農ボランティア隊にご興味のある方はぜひご登録ください!
援農募集の告知をメールにて通知いたします。
ご都合に合う場合にいらしてください。
お申し込み方法:
お名前・ご住所・ご年齢・携帯番号(又はご自宅TEL)・メールアドレスをお書き添えの上
npomedaka@yahoo.co.jpまでご連絡下さい

2009年12月30日

おいしい手造り醤油できました!

醤油師、岩崎洋三さんとの出会い
 2007年に野草料理と自給自足の師匠である若杉友子さんから、手造り醤油をいただき、「おいしい醤油が簡単に出来るからメダカのがっこうでも作ったらいいよ」と勧められました。さっそく2008年春、醤油のもろみを仕込みに、長野県伊那市に出かけました。ここで醤油造りの指導者である、岩崎洋三さんに出会いました。岩崎さんは長野県を中心に各地に出かけて手造り醤油を指導しておられる方で、私が今まで手造り醤油を頂いたことがある素晴らしい農家も、彼の指導で作っていることがわかりました。手造り醤油の発信源に出会ったと思いました。この年、今まで味わったことのない薫り高い醤油ができました。
醤油造りの歴史
 戦前、長野では醤油師が春には麹をつけた大豆を農家に配り、冬には醤油搾りの舟と呼ばれる木の箱を背負って各農家を回る習慣があったようです。今のように味を追求することもなく、糀屋さんも醤油師も研究心もなくただ請負仕事の感覚で行われていたそうです。
戦中戦後の物資のない時代に、時間がかかる自然醸造はすたれ、即席に醤油らしきものをつくる技術が出来上がっていったようです。この流れの延長として、現在大量に市販されている醤油は、自然醸造のものはなく、表示を見ればわかるように、アルコールやカラメル色素で体裁を整え、ソルビン酸など添加物を加えたものになっています。
そんな時代に、岩崎洋三さんは手造り醤油の技術を復活し、科学し自然醸造の新たなる技術を研究している萩原忠重さんに出会い、師匠と仰ぎながら共同研究をしていました。萩原さんは数年前にお亡くなりになりましたが、岩崎さんの借りた古民家の大家さんが萩原さんだったというご縁だそうです。 
現代の醤油師となった岩崎さんは、醤油造りの仲間を増やすこと、醤油師の後継者を育てること、そして醤油の麹付けの技術を受け継ぐ若者を探しています。今回の醤油搾りも井上さんという優れた後継者と連れだってこられました。しかし、醤油師では生計は立てられないので、農業や民宿などの生業を持ちながら、この技術を受け継ぐ若者が必要です。どうぞ皆さんも条件が合ってやる気のある若者をご紹介下さい。
醤油造りを科学する
 荻野さんと岩崎さんの研究は、従来の醤油造りの行程や作業の意味を、一つ一つ科学的に突き止めていくことでした。そして大切なポイントを抑えたもろみの管理方法を、何の経験もない私たちにその作業の意味と一緒に教えてくれるのです。今でも醤油作りを調べると、毎日樽をかき混ぜることが記されています。ところが私たちの醤油造りは、始めの3回ほどは3日おきに天地返しをしますが、次の1ヶ月は1週間に1回、その次は半月に1回、夏を過ぎたら1ヶ月に1回でいいのです。これはかき混ぜる意味が、塩を溶かすためだからです。麦麹をつけた大豆と塩をよく混ぜて水で溶いたものを「もろみ」といいますが、はじめに樽の中のもろみに手を入れると、溶けていない塩がザラッと触ります。この場合かき回すだけでは塩を溶かすことは出来ません。もうひとつの樽を用意して天地返しをするのが効果的です。始めの3回ほど天地返しをすると、塩分濃度は早い段階でかなり均等になり、もろみの表面にカビがつきにくくなります。
 またもろみの醸造には、積算温度が成否の鍵を握ることを突き止めてくれました。ですから私たちの醤油造りは、薄暗い蔵の中ではなく、天気がいい日には一番暖かいところで日光浴をさせ、夜になるとその熱を逃がさないよう部屋や温室に入れます。こうすると夏が過ぎる頃には80%以上醤油としての醸造が出来てしまうのです。2年もの、3年物にしようとしても、うまくいって残りの10%ほどの醸造が進むだけで、はじめの5ヶ月ほどでほとんど勝負が決まるようです。
 もうひとつ大切な条件は風通しの良さです。醸造の過程で少しずつ水分が蒸発していった方が、風味にあるおいしい醤油ができるようです。
匠の心は命あるものをつくる
 醤油造りを科学してくれた岩崎さんは、匠の域にいる方です。みんなで24樽、それぞれ色も濃度も表面の表情も違うもろみが持ち込まれましたが、その一つ一つのもろみの育った環境を言い当てるのです。「どんなところに置かれていたのか目に浮かぶ」という表現をされていました。みんな自分の成績を付けられるような緊張感を味わいました。岩崎さんは「このもろみを引き受けました。これをいい醤油に搾ることは私が責任をもってします」と言って、お湯で緩める濃度、搾り袋に注ぐ量やスピード、圧力をかけるタイミングや時間を見計らって、心をこめてゆっくりと話しかけながら搾ってくれます。最後は油圧ジャッキを使いますが、その鉄の胴体に「命あるものをしぼる」という文字が黒いマジックで書かれていました。そして最後に88度まで火入れをしたとき、17BE(ぼうめ)という濃度に仕上げてくれます。足らなければ塩を入れ、濃ければお湯を入れます。しかしそれも僅かの差で、ほとんどが17BEぴったりになり、一緒に手伝った参加者全員が拍手で喜び合いました。
みんながつながる心豊かな醤油搾り
 醤油搾りは、たくさんの働き手が必要です。大釜でお湯を沸かす人、樽を運ぶ人、搾り袋からもろみ粕を出す人、干す人、搾り袋を洗って干す人、醤油に火を入れる人、温度を常に気をつける人などなど、少し前に教わったことを次の人に教えながら、作業が滞らないよう気を配りながら動きます。最初の樽の人も最後の樽が搾り終わるまで帰りません。そして、もろみの違い、醤油の味の違いなど、それぞれの醤油を指で舐めながら、感想を述べ合い、完成を喜び合います。この一体感は参加者全員が感じたようで、みんなとつながって豊かな心になったという感想を多くの方からいただきました。これを毎年再現し醤油造りの伝統にしていきたいと思いました。
 皆さんもメダカのがっこう会員農家の有機大豆と自分のこだわりの塩で自然醸造の醤油を1年分造りませんか! ご希望の方は、できるだけ早くメダカのがっこう事務局までお申込下さい。

2009年2月20日

自給自足を考えるこわ〜いお語

今回は、突然食糧輸入がストップしたと想定して、ある一家の様子を物語にしてみました。
あっパスタがない
 ある日曜日、子どもたちが「おかあさん、お腹がすいたぁ」と言うと、「じゃあ、パスタでも食べましょうか」とおかあさん。すると、パスタがぱっと消えました。あれっ。「じゃあ、パンにしましょう」すると、パンも消えました。あれ、あれーっ。「困ったわねー。じゃあごはんとお味噌汁にしましょう。」すると、お味噌がぱっと消えました。あれ、あれ、あれーっ。
 「それじゃ、スーパーに買いに行きましょう」とおかあさん。2人の子どもとスーパーへ行くと、パンの棚は空っぽ、ジュースの棚も、冷凍食品の棚も、パスタや麺類、粉類の棚も、お醤油やお味噌や油などの調味料の棚も、みんな空っぽです。
「あっ、あそこに人だかりが」。行って見ると、有機野菜が出されると同時に売り切れていました。近海の魚貝類も、あっという間に売り切れ。「どうしたのかしら」
輸入ストップですって。
すると、そこに貼り紙が、何々。「ただいま、輸入食品が入ってこないため、ほとんどのものが品切れになっております。お客様には、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、今のところ輸入再開の見通しは立っておりません。現在ある農畜産物も、化学肥料や農薬の原料、畜産の飼料が入ってこなくなるため、生産量が減少すると思われます。今後、回復の兆しが見られませんので、皆様、どうぞ各自で対策を立てられることをおすすめいたします。」
おばあちゃんちへ行こう!
「わぁー、たいへん! じゃあ、おばあちゃんちへ行きましょう。」とおとうさんが車を運転して1時間余り、田舎のおばあちゃんの家に着きました。
「おばあちゃん、こんにちはー、どこー」。「畑だよー」見るとおばあちゃんは、畑から小松菜や、ネギを収穫していました。「よく来たね。お腹すいたでしょ。いっぱい食べるといいよ」 おばあちゃんは、ごはんと野菜いっぱいの味噌汁と根菜類の煮物、小松菜のお浸し、ネギ味噌、たくわんを出してくれました。「おいしい!」みんなお腹がすいていたので、たくさん食べました。
みんなお腹がいっぱいになって、少し落ち着いてきたので、お茶を飲みながら都会での出来事を話しました。「それは大変だったね。でも田舎も実は大変なんだよ。家でもおじいさんが生きていた頃は田んぼもたくさん出来たけど、今では自分で食べるだけの面積にしてしまった。畑もあちこちに結構広くあるのだけど、自分の体力を考えると、家の前の狭い畑しか出来ないんだよ。」と寂しい話を始めました。そういえば、おばあちゃんの家に来る途中、作ることを止めてしまった田んぼや畑が結構ありました。この近くの農家も、どこも後継ぎがいなくて、みんな同じような事情のようです。
話には聞いていたけれど、都会での忙しい毎日の生活にまぎれて、ちゃんと見ていなかった田舎の様子に、みんな愕然、これからのことを話し合いました。
おばあちゃんに教わって、田んぼや畑を復活しよう!
 都会には食べるものがなくなった今、おばあちゃんの田んぼや畑は、唯一食料が手に入る場所です。とにかく当分の間、おばあちゃんに教わって、みんなで田んぼを復活してお米を作ったり、畑で野菜を作ったり、味噌や醤油や漬物やたくわんを作ることにしました。おばあちゃんは、教えることが山ほどあるので、大変だけど大はりきり。
メダカのがっこうは、2009年に自給自足くらぶを作りました。こんな日のために、どんな準備をしておいたらいいのか、いくつか提案します。
1、まず我が家のお米を1年分確保しましょう。
①この物語の一家のように、田舎に田んぼや畑がある場合は、今のうちに放置されているところを復活して、お米や野菜を作りましょう。週末に田舎に出かけて働くだけで、結構出来ます。何でも作れる師匠がいる幸せな方は、今のうちにその技術を受け継いでおいてください。
②農地に縁がない場合は、メダカのがっこうの花まる農家から直接1年分のお米を契約して確保してください。お米の量が確保できるグリーンオーナー制がいいでしょう。これでも十分生きものの生息環境を復活できます。また、全てを農家任せにせず、出来る限り出かけて行って、農作業の効率よい動きをマスターし、次世代の日本人に教えられる人になるつもりで、しっかり手伝いましょう。
2、野菜、調味料、漬物、その他の加工品を作れる人になりましょう。
①メダカのがっこうは、微力でも食糧生産の働き手になろうと、会員である有機農家の援農ボタンティアを始めました。かれらは自然栽培でおいしい野菜を作るすばらしい師匠です。野菜作りのほかにも、味噌、梅干、漬物、などいろいろな師匠がいるので、各地で自給自足くらぶの体験教室を開きます。どうぞご参加ください。
②2009年メダカのがっこうは、お醤油作りに挑戦して大成功したので、今年はメダカのがっこう理事である向山さんの五風十雨農場(山梨県白州町)で醤油造りをします。3月に仕込んで、12月に搾る計画です。こちらもご参加ください。
3.自給自足の食材で、おいしく健康になる食べ方を勉強しましょう。
①春夏秋と年3回行なっている若杉友子先生の野草料理教室は、野草の食べ方だけでなく、日本人の食の建て直しがテーマで、食べ方の基本が学べます。
②神田神保町おむすび茶屋と、その夜の部「若杉ばあちゃんの台所」は会員農家の在来種で作った有機野菜を、砂糖と添加物を使わず、手作り味噌、手作り醤油で料理しています。参考になさってください。
皆さん、今年は自分の食料を作るために、時間を作って働いてみませんか? 身体は大変でも、仕事の質と使う頭が全く違うので、リフレッシュすること請け合いです。

2008年11月3日

無農薬・生物多様性の農業こそが平和の礎

減農薬という言葉に気をつけて
「悪魔の農薬、ネオニコチノイド」船瀬俊介著という本が三五館から出ています。神経を冒す恐ろしい農薬で、世界で一番使っているのが日本だそうです。中国やベトナムからの事故米などで、驚いている場合ではありません。農薬について言えば、日本は、金額ベースで、世界中の農薬使用と半分を、この狭い国土にまいているのです。
減農薬という言葉には、気をつけて下さい。実は減農薬というのは、薬の種類や回数を半分にすればいいので、一発で済むように強くて長く効く農薬を使うのです。こちらの方が、生態系を壊してしまうという古川農業試験場の研究もあります。
このネオニコチノイドの成分が入っている農薬は、殺虫剤として普通に使われています。特に危ないのは、稲の穂が出始めてから撒くカメムシ防除のダントツという農薬です。
数年前、メダカのがっこうの花まる農家で岩手県の水沢江刺にいる農家から電話がかかってきたことがあります。彼の周辺で、ラジコンヘリによるカメムシ防除をした後、大量にミツバチが死んだり、体の大きなアオサギが口から血を吐いて死んだという内容でした。彼は大変だと役場に駆け込んだのですが、相手にされなかったそうで、メダカのがっこうにこの事実を広く知らせてほしいと言ってきたのです。
ラジコンヘリというのは、無農薬を希望する田んぼに、空散(空中散布)といってヘリコプターから農薬を撒くことを止めて、農薬を希望する田んぼだけに撒く方法で、空散より数倍濃い薬を撒くので、危険度が増してしまうのです。
「沈黙の兵器」、食生活が戦場
ネオニコチノイドの影響で、アメリカでは、ミツバチがいなくなったそうです。「沈黙の夏」が来ています。日本でもミツバチがいるのは都会ばかりで、田舎に行くほど、生きものが棲めない環境になっています。
また最近、遺伝子組み換え作物で食糧増産を促す呼びかけがアメリカから日本に来ています。虫の付かないように遺伝子操作されたトマトや大豆の葉を食べた虫は、数分でコロッと死ぬそうです。これを人間の食べ物だと思いますか?
日本は平和に見えますが、あらゆる食物の中に農薬や甘味料や添加物などの「沈黙の兵器」が隠されています。ボヤッとしていると、難病奇病、うつ病、原因不明の病気になり,殺されます。虫のようにコロッといかないだけです。日常の食生活がまさに戦場なのです。
どうぞ、農薬について、調べてみて下さい。減農薬は、無農薬への途中段階というイメージがありますが、まったくつながっている世界が違います。無農薬は生物多様性の平和な世界に、減農薬は農薬を使う農法と同様に生態系破壊の世界に繋がっているのです。

2008年11月3日

こんなにたくさんいる応援したい人たち

誰かの幸せを思うと智恵が湧いて喜んで働ける 
 やっぱりこれしかないなと思います。誰かとは、地球の素晴らしい仲間なのに、今の社会の中で弱い立場にあるもの。これを言語化してくれたのは、日本熊森協会の森山まり子さんです。(日本熊森協会のことは、次のページの応援歌を読んでください) 森山さんは、中学校の理科の先生をされていたのですが、それまで、あまり勉強する意欲がなかった子どもたちが、すみかとなる森がなくなり、餌を求めて里へ降りてきて、どんどん殺され絶滅の危機に瀕している熊のために、世の中を変えるんだという志を持ったとたん、猛然と勉強を始めたことを話してくれました。自分のためなら、苦しくなったらやめてしまうが、自分の助けを待っている弱者のためなら苦しくなってもがんばり続けられるというのです。
 これは本当にそうだと思います。森の熊や生きものたちのために働いて、問題にぶつかっても、身体が疲れることはあっても、心が疲れることはないでしょう。これは私たちメダカのがっこうも体験しています。メダカや田んぼの生きものたちがすめる田んぼを広げるために働いていると、問題にぶつかっても、己の問題解決能力にかかっているだけなので、根本的な絶望を感じたことはありません。多分それは水や緑や生きものたちの生命力を引き出す冬・水・田んぼに、環境を変える力があることを実感しているので、迷いなどの心の無駄がないからだと思います。熊の住める森と、メダカの住める田んぼは全く同じ自然観からスタートしています。日本熊森協会の方たちとの出会いは、メダカのがっこうにとって、大きな出会いです。日本の奥山を熊の住める森にするため、皆さん会員になって協力しましょう。そうした豊かな森が、田んぼの水を育んでくれるのです。奥山が杉と桧になってから田んぼの水はかなり少なくなってきています。
自然農法、有機栽培で成功するのは平和な人
 平和な人とは、すべての生きもの幸せを考える人のことです。これも最近気がついたことです。無農薬で農業をする決心をした人は、そこに天敵のバランスが取れた調和された生態系が出来るまで、辛抱我慢の日々を過ごすことになります。普通3年はかかります。その後、今まで邪魔にしてきた草や虫、菌たちの働きに感心したり感謝するときがやってきます。そうなると、そこに生きる生きものすべての幸せに思いを巡らせることができる人になります。私が知っているだけでも、赤峰勝人さんや、松沢政満さん、舘野廣幸さん、豊口安紀さんなど、日本各地にはかなりの方がいらっしゃいます。しかし、なかなか彼らに学んでまねだけしても、思うように出来ません。一部の天才しか出来ないことなのかな、と諦めていたこともありましたが、成功の秘密を一口に言えば、その地の生きものたちすべての幸せ(住処や餌や繁殖環境)を願う大きな心ではないかと思います。かといって複雑な生態系をすべて頭で理解できるものではないので、目に見えてきた生きものたちの住処や一生を考えてみると、徐々にみんなの幸せを考えられる人になると思います。都合の悪い生きもの(草や虫や菌)を殺さず、みんなの幸せを願う農業が、平和の源です。
天敵を利用した防除、アイガモやコイなど生きものを利用した除草は、ひとつの農法として優れたものですが、ただ生きものを利用するだけに終わらず、その生きものの幸せを考えると、さらに持続可能な平和な農業が発展すると思います。「利用する」と、「幸せを考える」とでは、動機に大きな違いがあり、大切なのは、動機の純粋さです。
純粋な動機でがんばっている人を応援したい!
 熊森協会を発足した子どもたちの心は、純粋です。心の底から応援したくなります。その他にも私の周りで、無私の心で地球のことを考えている人たちが何人かいます。メダカのがっこうの会員の中でも、途上国に森を復活させたり、現地に合った有機農業を指導したり、その国の人材育成を手がけて40年以上の歴史を持つ(財)オイスカの中野良子さんや、畑の生きものたちすべてを神草さん、神虫さん、神菌さんと呼んで循環農法の心を実践している赤峰勝人さん、国産の木を使って日本の森を復活させようとしている初雁木材さんの関根進さんや、新月に伐採することで樹木を1000年生きる木材に生まれ変わらせている新月の木国際協会の増田正雄さんや、日本の自然海塩を作りながら日本の海を美しく守る運動をしてくれている阪本ご夫妻、心から尊敬し、感謝し、応援したい方たちです。どうか皆様、メダカのがっこうの仲間として応援してください。そして宣伝してください。
 これからは、自分のPRをすることより、素晴らしい方たちを宣伝することが、世の中を変える力になっていくでしょう。自分のことは、動機が純粋なら他の人が宣伝してくれるでしょう。「先渡他」は私の座右の名です。