父なる空、母なる大地
先日、ザンビアの大統領が、遺伝子組換えされた小麦の輸入をアメリカに断った、というニュースがありました。「国民が飢えていたとしても、食とは命、訳の分からないものを、食べさせるわけにはいかない」というのです。“命に向き合う気高い魂”が、今でも健在なのを知り、私はとても感動しました。
私の中に確かにある、命に焦点を合わせた魂の中心、私はこれを毎日、地球の命に合わせていて、それをセンタリングと呼んでいます。私が基準にしている、命に向き合う気高い魂を一部分ご紹介します。(以下「父は空 母は大地」バロル舎より抜粋)
みんなが生きていける方法がある
毎日たくさんの種が絶滅しているそうです。どんな状況で最後の1匹が死んでいくのでしょう、全く無言で。彼らの声を拾い上げなくては、彼らの状況をつかまなくては、と思います。佐渡では、日本で最後の1匹となったトキの「キン」がまだ健在ですが、その種の最後の1匹には、生き残ろうとする強い意識を感じ、その健気な姿に感動します。
今年メダカのがっこうでは、田んぼの生きもの調査を始めました。生きものたちの声を聴くためです。絶滅危惧種の半数以上が、田んぼや水辺の生きものだと聞いています。私たちは、直接生きものたちとお話は出来ませんから、まず数を数えることから始めました。
自分の時間を生きる?
「くにうみまつりを語ろう」という会で、「自分の時間を生きていますか?」という問いかけが、心に残りました。言葉の主は、アメリカでホピ族のロンゲストウォークに参加してから、日本を沖縄から北海道へ一回、2回目は北海道から沖縄まで「生存への行進」を歩き続けた人、大友映夫さんです。彼は歩き続けることで、自分のリズムと、自分の野性を取り戻し、自分の顔で、自分の時間を生きるようになりました。
怖れと悔いのない生き方
私は学生時代、「飢餓輸出」と言う不思議な言葉に出合い、貧困や飢餓の国「を知りました。自分の国の食糧が足らないのに、農作物を輸出しなければならなくなる、また自分の利権にしがみつく政治家や役人の存在を知りました。そこで私は、国民のことを考えない政府や、世界の金融資本や、穀物メジャーに影響されずに生きられる人間は誰かと考えました。それは自給自足が出来る独立自営農民、自然と直接繋がっている自立した人間たちだと考えました。
お母さんのススメ
お母さんほどステキな立場はありません。「お母さんってお得よねー」と言った流奈君のお母さんに全く同感です。
何かの事情でお母さんになりたくてもなれない人には、ごめんなさい。
冒険家が旅を語らずにはいられないように、すばらしい人に会ったら黙ってはいられないように、私の人生で一番楽しかった事を話さずに入られないのです。それはお母さんになれたことです。
大切にしたい
人は人から大切にされたい。特に自分の愛する人から大切にされないと、とてもさびしい、辛い、我慢していると病気になる、と私は思っています。父が病気になりました。思い当たる節があります。
私の長男は数年間学校に行かなかったのですが、とてもいい子で天才で、落ちこぼれなんてとんでもないし、長女はどんなに無愛想でも黙々と葉っぱを食べる芋虫みたいに可愛く見えて、世間に出て苦労するなんてとても思えないし、私は、父から、「お前につける薬はない」と言われるほどの親ばかなのです。そう、それに私は、「おてんと様と親ばかの太陽があれば子は育つ」というのが持論なのです。良い子の時だけ良い子だなんて、とんでもない、私は父に心を閉ざしていました。
みんながみんないい関係
みんなが相手を否定しないだけでもすばらしいのに、互いに優れた点を認め合い、取り入れあって、もっといい方法を生み出そう、というすばらしい交流の場に、最近立ち会いました。「手をつなぐ無農薬・有機稲作農家」の会です。
主催団体は、9団体、農薬や化学肥料の問題点に、日本でいち早く気が付いて30年以上前から取り組んできた日本有機農業研究会をはじめ、自然農法国際研究開発センター、全国合鴨水稲会、全国産直産地リーダー協議会、日本自然農業協会、日本有機農業学会、農と自然の研究所、民間稲作研究所、メダカのがっこうの田、日本不耕起栽|普及会、いずれも現在、環境保全型稲作として注目されている元気な稲作集団です。
彼らはそれぞれ歴史と実績をもち、それぞれの循環型を求め、方法も違います。例えば自然農法や不耕起栽|は、有機農業とは、相いれないものがあったり、それぞれがもつ哲学も方法も違う中で、今どうして自分たちの枠を越えて手をつなげるようになったのか、考えてみました。